我々は普段 map を地図と訳しているが、私は時々 写像 と訳すことがある。 写像の場合、定義域はたいてい実世界で、地域は紙の上だったり電脳空間だったりする。地域が紙の場合、この写像は2次元の多様体の局所座標だと考えるのが自然だが、その上のファイバー束の射影とみることもあるかも。
2010-07-29 21:50:57値域が電脳空間の場合、この写像は高次元の多様体の局所座標だとみるべきだろう。 紙の地図が地域の場合と比較して、取得基準も、表現方法も、違っていてもおかしくない。(残念ながら、数学的に厳密に定式化するだけの力は私にはないが)
2010-07-29 21:52:41@geo80k 英語のMapが,地図であるだけでなく「写像」あったり,mapが動詞として使えることって,随分と想像力を拡げてるんじゃないかと思っています.そういう含みのあるmapとかmappingとかに相当する日本語がないのを残念に感じたりします.
2010-07-29 21:57:09@niyalist いえいえ、写像と地図は結果だけを見れば非常に遠い概念のように見えますが、投影という行為が(多様体からユークリッド空間への)写像なので、実は近いと思うのです。
2010-07-29 23:34:02地表面を多様体Mだとみると、たとえば、最急降下線とか等高線とかは、すべてベクトル場(Mから接ベクトルバンドルTMへの写像)なんですから。
2010-07-29 23:34:09地表面は2次元多様体ですが、3次元空間にはめ込まれています。(局所的には埋め込みだが、大域的には埋め込みではない) これが、局所的に地図の取り扱いを難しくしている原因です。このあたりは twitter で詳しく書くのは無理ですが。
2010-07-29 23:36:39@geo80k 概念は近い(同じ)であるが故に,日本語の「地図」という限定的なニュアンスが勿体ないな,と感じることがあります.英語を使うのは好きじゃないんですが,わざわざmapと言わざるをえない場面があったり.ともあれ,「地図」「空間情報」などどれを使うかで立ち位置が表れますね.
2010-07-29 23:40:45@niyalist 日本語の「地図」に限定的なニュアンスを与えているのは、明治の人と、明治の人の伝統を守っているつもりの人たちなのでしょうね。私ももちろん思い入れはありますが、過剰な思い入れは時に邪魔をすると承知しています。特にこんな時代には。
2010-07-29 23:46:48その意味では、「測量」という言葉は「写像」という概念を含んでいるような気がしないですね(今気づいた)。写像の大域的な性質を気にするのではなく、定義域から特定の元を選んだ場合に地域でどのような値を取るか、という単純な対応関係を見ているようだ。(計量という言葉はもっとこの傾向が強い)
2010-07-29 23:51:03@wata909 @geo80k おお,ドイツからありがとうございます!自分のニュアンス云々,って言うのは,単に地図って言葉を使わずに「写像」で通せばいい気がしてきました.写像する,って言えそうだし.(地図する,とは言えない)
2010-07-29 23:51:32ちょっとずれるかもしれないっすが,デジカメと銀塩カメラの関係が紙の地図とデジタルの地図の関係に近いとも思います。デジカメは銀塩に劣る部分も当然あるけど,携帯に内蔵されて,だれでも使えるようになった。
2010-07-29 23:53:02それは写真を撮る人の裾野を増やしたことになり,結果として業界全体が大きくなったと思う。なので,まずはデジタルな地図でいろんな人に「地図」というもの自体に親しんでもらうのが重要かと思う。その上で,紙でしかできないことを考えてもいいんじゃないかと。
2010-07-29 23:55:02@wata909 デジカメ.vs.銀塩カメラ、賛成です。銀塩カメラは写像の性質が一定している(フィルムを変えれば多少バリエーションがあるが)。デジカメは、センサが光を感じた後に(測量した後に?)エッジ強調処理その他の多種多様な写像が施される。
2010-07-29 23:56:32@wata909 その意味で、測量業界の人が一人も執筆していない状況で、地理空間情報の特集記事が雑誌に載る(それもウェブ系の雑誌)、というのは象徴的かも。生まれつき map を写像だととらえている人が測量業界の外側で育っているということなのだろう。
2010-07-29 23:58:18写真測量は「大域的な相対位置関係を崩さない」という意味で、かぐわしき写像の香りがする。これを単に図化の手段だと思うから地図になっちまうのかなぁ。すると、中の人を惑わしているのは作業規定なのか? まるで、教義が集団を引っ張り回す古代インドみたいだなぁ(表現をわざとぼかしています)。
2010-07-30 00:13:12OpenStreetMapを作っているときに,自分が体験した空間と地図として完成したものの乖離感にびっくりしたことがあります.この複雑で多様な世界を情報をそぎ落とし「道」という抽象度で切り取っていいものかと.職業的に地図作りを続けると,最初の驚きを忘れてるだろうとも思いました.
2010-07-30 00:17:55@niyalist 職業的な地図屋は、その意味で、適当な関数空間の中の一つの元になりきってしまっているのでしょう。(つまり、その人は抽象化され特定の写像に変身してしまっているので、抽象化の過程で「驚く」という感受性がそぎ落とされているのでしょう)
2010-07-30 00:20:57