〔AR〕その16
『――ご報告ありがとうございます。直ちに対策を行いますので、今しばらくお待ちください』 一日ほど置いてから、そのようなメッセージが古明地さとりのアカウントに届いた。さとりの報告は受理されたようだったが、それ以上のことは示されなかった。
2012-10-07 20:07:03「……まぁ、追加で何か訊ねられるよりかはいいかしら」 時刻はやはり深夜。地霊殿の住人は、さとり以外の誰もが寝静まっている。さとりは自室でバイオネットの印刷物を眠たそうに眺めていた。
2012-10-07 20:10:45幻影は、あれ以降出現することはなかった。時間が経つにつれて、さとりは、あれはやはり見間違いなのではないか……と思うようになってきた。信用できるかは置いておくとしても、運営側から返信が来たのも、それを後押しする。
2012-10-07 20:13:12こいしやペットたちにもそれとなく聞いてみたが、異変を訴えるような話はとんと耳にしなかった。よってさとりは、ここに至って、その件について思索することをやめた。
2012-10-07 20:13:27運営側のメッセージを後ろに回し、他の印刷物にも目を通す。こいしは再び命蓮寺に長期間の合宿へ赴いており、何をやっているかを手紙で伝えてきた。数週間後に人里で秋祭りが開かれるそうで、命蓮寺は奉仕活動として祭りの準備の手伝いをしているという。
2012-10-07 20:14:22守矢神社からも手紙が届いており、空が常温核融合実験でゆで卵を作れるようになって有頂天になった話が書かれていた。 半ば業務連絡的なメッセージを読み終えたところで、さとりは『Surplus R』アカウントに届いていた手紙の方を読む。
2012-10-07 20:15:09こちらも、一日ほど置いて、『Initial A』から返信が届いていた。 「この前出した作品の感想がもう書かれてる……短編とは言え、この人本当に読むの早いわねぇ」
2012-10-07 20:16:16手紙の前半は、作品を出した次の手紙では定番となった『Initial A』の大感想大会でかなりの紙面が割かれており、さとりは未だに気恥ずかしさが馴れない。 (前略) >さて、今回はRさんにお伺いしたいことがあります。
2012-10-07 20:17:10>先日のことです。私の知人に、お芝居を見せる芸人さんがいるのですが、その方は次に行う劇の脚本作りに悩んでおられます。そこで、私は僭越ながらも、Rさんの小説を芝居にしてみるのはどうか、と提案いたしました。
2012-10-07 20:18:43>しかし芸人さんの方から、芝居化に際して執筆者の許可は大丈夫なのか、というご指摘を頂き、その場は一旦保留と言うことになりました。 >そこでお伺いしたいのですが、Rさんとしては、ご自身の小説を現在発表されているのとは異なる形態にされることについて、どうお思いでしょうか。
2012-10-07 20:19:15「……え?」 思いも寄らぬ話に、さとりの目は点となった。 (私の作品を……芝居化? 随分と奇特な発想ね……) そう、さとりにとっては本当に埒外の発想だった。さとりは、自分の作品が文字媒体として読まれる以外の形を、想像したことなどない。
2012-10-07 20:22:11さとりは、本当に趣味のために、時間を潰すために、今の今までただひたすら書き続けてきた。 言ってしまえば、さとりは自分の書き連ね続けてきた文字の山に、一切価値を見いだしたことなどなかった。
2012-10-07 20:24:39『頼れるアルフレッド』のような特別な事情を持った作品であっても、書き終えたものに執着はない。彼女には、物語を思い描き、執筆する、その行為のみがあればよかった。
2012-10-07 20:24:50……しかし、今はその心境の変化がないといえば嘘になる。バイオネットに作品を公開することで、さとりは自分の作品を見せる楽しみを、読まれる楽しみを、ようやく知り始めた。 自分の作品を読んで貰うということは、自分を分かって貰うひとつの手法なのではないか? 「……っ」
2012-10-07 20:28:02さとりは、ブンブンと頭を振るう。飛躍しすぎた思考を、強引に止めた。 閑話休題。とりあえず『Initial A』は、『Surplus R』に対して、小説の芝居化の許可を求めている。それに関しての是非はどうか? 「別に、構いはしないわね」
2012-10-07 20:28:26心境の変化は確かに去来しているが、作品そのものに対する執着のなさは、変わっていない。過去、ついうっかり書きためた小説の紙の束を、廃品回収か何かに放出してしまい、作品を流失させた経験があるものの、さとりはそれに対して一切の後悔はなかった。
2012-10-07 20:31:27さとりは自身の作品に名前を残さない。個人の特定をされる可能性は低く、実際迷惑を被ったこともなかった。 余談ではあるが、こいしをはじめとする地霊殿の住人が、バイオネットに公開されている『Surplus R』の小説を見ても、それがさとりの創作物であると思い当たることはないだろう。
2012-10-07 20:32:30地霊殿の住人は、さとりが小説を書いていることを知ってはいるが、それをまともに読んでいる者(あるいは、読める者)はいない。妹のこいしでさえもだ。 さらにさとりは用意周到に、公開した小説の原稿を鍵付きの引き出しに封印しているため、それが住人の目に触れることはない。
2012-10-07 20:34:15地霊殿の住人から身元がばれる可能性は、こいしという不安要素を考慮しても、非常に低いといえる。 正直に言って、さとりは、今現在バイオネット上に公開されている作品群を、勝手に改変されたり、名義を偽造して許可なく出版物にされたりしても、腹を立てることはないだろうと自分では思っている。
2012-10-07 20:34:54自分の作品に価値を見いだしていないため、そんなことをする者もいないだろうという考えであった。 「というわけで、向こう方が後ろめたい思いをしないためにも、許可を出しておきましょう」 善は急げ、というわけではないが、さとりは手紙の返信をすぐに書き出すため、手紙の続きを読みだした。
2012-10-07 20:39:28『Initial A』の手紙は、芝居の話の後に、今から数週間後、秋祭りが控えているという話で締めくくられていた。 「Aさんの住んでいるところでも秋祭りが……やはり、Aさんは人里かその周辺にお住まいなのかしら」
2012-10-07 20:41:47過去のやりとりから、さとりは『Initial A』が地上の人里に住む人間ではないか、と考えていた。『Initial A』の方から住処を伝えてきたことはないが、匂わせる材料はいくつもあった。はからずも、今回の手紙で、そのことがほぼ実証されたといってもよい。
2012-10-07 20:41:59「こいしが命蓮寺のメンバーとして人里に赴くことを考えると何かの拍子に出会う可能性も……」 一瞬、こちらの素性が暴露される危惧がよぎったが、考えすぎだとさとりは思い直した。こいしがさとりのやっていることに気づく材料は少ないし、今は命蓮寺の奉仕活動の方が興味の対象を占めているはずだ。
2012-10-07 20:43:53また思考が逸れてきた。ひとまず、優先するべきは芝居化の許可であろう。手紙を読み終え、さとりはメモ書きの紙に筆を落として手紙の返信を考え始めた。 「うーん、でもちょっと残念ねぇ」
2012-10-07 20:47:55返信の言葉を用意しながら、さとりは誰かに語るようにひとりごちる。 「仮に本当にお芝居になったら、どんな風になるのかしら。流石にそれは見れないものねぇ」 さとりの想像の中で、こいしとお燐と空が、手作りの舞台セットでままごとのような芝居を行う様が、微笑ましく思い浮かべられた。
2012-10-07 20:49:13