「軍師」っていう存在は実際にはなかったという話。
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nonchan_pdx
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光栄の三国志が画期的だった部分は、武将が個人のユニットとして個性があったというキャラクターゲームの理想的な展開だったのと、「軍師の助言」というゲームの中から話しかけられてくるというコミュニケート部分にあったと思う。この両軸が歴史知らない人にも魅力的だった。
2012-09-11 22:34:42
RPGもアドベンチャーゲームも、シナリオ通りのことしか言わなかった時代、それなりに「状況にあわせてセリフが変わる」『三國志』の軍師たちは非常に画期的なシステムだったわけである。
2012-09-11 22:35:48
光栄のなんたら事典にも書いてあったが、30~40代くらいの年齢層に「軍師」の存在をイメージ付けたのは光栄の影響が大きかったと思う。それ以上は江戸時代以来の講談と、歴史小説の影響かな。いずれにせよ、「日本の戦国時代に軍師はいない」ということを毎回説明しなきゃいけないのは少々面倒。
2012-09-11 23:07:55
研究者でも「軍師」はいたと唱え続けている人もいるが(苦笑)。そろそろ校正が送られて来る予定の論文の注釈で、真面目に批判します。注釈だから正面から批判とまではいえないが。
2012-09-11 23:08:59
三国志にもいないというか、もう、ああいうのと違うからとかいろいろ官職やら官僚制度とかの話になってやはり面倒。たぶん納得させるのもっと大変な気がする。
2012-09-11 23:11:38
戦陣の吉凶を占う軍配者なる存在はたしかにいました。でも軍配者を「戦国の軍師と呼ぼう」と自分で決めて、「だから戦国時代にも軍師はいたんだ」と結論づけるのは、世間ではトートロジーというのです。そう真面目に書いた。
2012-09-11 23:12:55
ちなみに小学館『日本国語大辞典』で「軍師」を引くと、出典として浄瑠璃・信州川中島合戦(1721年)が引用される。ようするに講談・浄瑠璃の類が初出ってこと。
2012-09-11 23:17:39
つか、三国志の場合、んじゃ、あんた軍師って誰をイメージして、どんな仕事を想定している? というのが人によってバラバラなのが、説明しずらくしている。そして本来はうやむやな「軍師」の定義をなぜかこっちが設定しなくちゃならなくなったりする。非常に困る。
2012-09-11 23:33:23
@Jiraygyo なるほど。迂闊に「一般的なイメージ」などと私はつぶやいてしまいましたが、イメージそのものがバラバラだと。
2012-09-11 23:35:54
というかここまで広がってしまうと、後は研究者の良心の問題の気がしてくる。というわけで、今度書いた論文が載るのは、学術雑誌ではなく、わりと一般の歴史愛好家をも読者層に見据えた本です(ですよね?>出版社様)。なので敢えて実名で「軍師」論を展開させている某氏を批判させて頂きました。
2012-09-11 23:43:24
@Jiraygyo 自分の場合、無理矢理言葉にすると、天下統一や国歌安寧をマネジメントするメイン担当者的な感じですかね。
2012-09-11 23:48:27
夜中に@FXMC_さんから軍師の定義について、「軍師というポジションの原型は、前漢の張良であり、兵法書の六韜で言う筆頭幕僚の腹心の仕事ではないか」「将軍の幕僚の本来の職責の中には天文や方術といったオカルト的な要素も含まれるのではないか」という御意見をいただきました(続
2012-09-13 22:22:09
受)ぶっちゃけ、中国の兵法書では将軍の何たるかについてはしつこいほど語っていても、幕僚=軍師の職責について詳細に語っている兵法書はほとんど無く、@FXMC_さんが引いた六韜ぐらいしか無いです。というわけで、まずは六韜の語る幕僚の何たるかについて話していこうかなあと思います
2012-09-13 22:35:20
六韜第18の王翼の項は、幕僚を18種類72人置くように定めています。筆頭幕僚の腹心を筆頭に、人事担当幕僚の謀士、天文吉凶を占う天文、情報幕僚の地理・耳目・遊士、作戦幕僚の兵法・奮威、通信幕僚の伏旗鼓、土木担当幕僚の股肱、渉外担当幕僚の通才、謀略担当幕僚の権士・術士、(続
2012-09-13 22:57:05
受)宣伝担当幕僚の爪牙、補給担当幕僚の通糧、経理担当幕僚の法算、軍医の方士などがいます。近代軍も真っ青の充実ぶりです。ただ、歴史書に残っている幕僚組織はずっとシンプルで、後漢までは事務官を総括する長史、部隊運営を統括する司馬、君主直属の監察官である護軍などが置かれていました(続
2012-09-13 23:09:20
受)後漢末の動乱期から魏にかけて、筆頭幕僚・監察官を務める軍師・監軍、作戦幕僚や兵站幕僚を務める参軍などが設けられるようになります。長史・司馬・参軍の名称は唐の時代まで用いられました。六韜の幕僚職に比べて、歴史上の幕僚職が簡素なのには理由があります(続
2012-09-13 23:23:17
受)六韜で定める幕僚は「謀を賛け卒に応じ、天を揆り変を消し、計謀を総攬し、民命を保全するを主る」という「作戦・政治・天文を全部統括しますよ」という筆頭幕僚の腹心以外は、どれも細々とした実務を司るスタッフ。それに対して、歴史書に定められている幕僚職は、(続
2012-09-13 23:30:39
受)スタッフ全体の統括者である長史・司馬・軍師、顧問官的なブレーン、もしくはある部門のスタッフを統括する管理職である参軍、監察官の護軍・監軍といった実務スタッフの上位にいる高級幕僚ばかりなのです。そもそも、歴史に名を残すような人物は、(続
2012-09-13 23:38:26
受)スタッフを統括する管理職か、あるいはトップを直接助ける監察官や補佐官といった極めて高い立場の人間ばかりなのです。歴史において君主を助けて活躍し、後世に優秀な軍師としてイメージされた人間が宰相や将軍などを務める最高位の管理職だったり、(続
2012-09-13 23:43:24
受)トップに政治的・軍事的アドバイスをする顧問格の人物だったり、トップの代理人として軍規を取り締まって諸将に睨みをきかせる監察官だったりするのは、軍師概念の由来である幕僚の何たるかを考えると、実に腑に落ちる話なのです。講談の軍師がオカルト的な性格を持っていたのも、(続
2012-09-13 23:48:39