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「軍師」っていう存在は実際にはなかったという話。

9/11、9/14あたりのツイートをまとめてみました。 関連するまとめ:実は、軍師は存在しなかったんだよ、という会話http://togetter.com/li/387984 ↑こちらには2014大河ドラマ発表(10/10)以後のツイートがまとめられています。
人文 軍事 戦国時代 三国志 歴史 日本史 軍師 三国時代
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地雷魚 @Jiraygyo
光栄の三国志が画期的だった部分は、武将が個人のユニットとして個性があったというキャラクターゲームの理想的な展開だったのと、「軍師の助言」というゲームの中から話しかけられてくるというコミュニケート部分にあったと思う。この両軸が歴史知らない人にも魅力的だった。
地雷魚 @Jiraygyo
RPGもアドベンチャーゲームも、シナリオ通りのことしか言わなかった時代、それなりに「状況にあわせてセリフが変わる」『三國志』の軍師たちは非常に画期的なシステムだったわけである。
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf
光栄のなんたら事典にも書いてあったが、30~40代くらいの年齢層に「軍師」の存在をイメージ付けたのは光栄の影響が大きかったと思う。それ以上は江戸時代以来の講談と、歴史小説の影響かな。いずれにせよ、「日本の戦国時代に軍師はいない」ということを毎回説明しなきゃいけないのは少々面倒。
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf
研究者でも「軍師」はいたと唱え続けている人もいるが(苦笑)。そろそろ校正が送られて来る予定の論文の注釈で、真面目に批判します。注釈だから正面から批判とまではいえないが。
地雷魚 @Jiraygyo
実は三国志にもいない。
布団 @F_no_kami
@Jiraygyo えっ、そうなんですか。講談の影響恐ろしい…。
地雷魚 @Jiraygyo
三国志にもいないというか、もう、ああいうのと違うからとかいろいろ官職やら官僚制度とかの話になってやはり面倒。たぶん納得させるのもっと大変な気がする。
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf
戦陣の吉凶を占う軍配者なる存在はたしかにいました。でも軍配者を「戦国の軍師と呼ぼう」と自分で決めて、「だから戦国時代にも軍師はいたんだ」と結論づけるのは、世間ではトートロジーというのです。そう真面目に書いた。
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf
ちなみに小学館『日本国語大辞典』で「軍師」を引くと、出典として浄瑠璃・信州川中島合戦(1721年)が引用される。ようするに講談・浄瑠璃の類が初出ってこと。
地雷魚 @Jiraygyo
それどころか政治経済外交も担当 RT @HighTaka: 参謀本部/参謀のイメージがかぶってるのだろうのう>軍師
地雷魚 @Jiraygyo
つか、三国志の場合、んじゃ、あんた軍師って誰をイメージして、どんな仕事を想定している? というのが人によってバラバラなのが、説明しずらくしている。そして本来はうやむやな「軍師」の定義をなぜかこっちが設定しなくちゃならなくなったりする。非常に困る。
るーでる@柏葉 @rudel101
@Jiraygyo なるほど。迂闊に「一般的なイメージ」などと私はつぶやいてしまいましたが、イメージそのものがバラバラだと。
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf
というかここまで広がってしまうと、後は研究者の良心の問題の気がしてくる。というわけで、今度書いた論文が載るのは、学術雑誌ではなく、わりと一般の歴史愛好家をも読者層に見据えた本です(ですよね?>出版社様)。なので敢えて実名で「軍師」論を展開させている某氏を批判させて頂きました。
カイザー富士鷹 @D_Fujitaka
@Jiraygyo 自分の場合、無理矢理言葉にすると、天下統一や国歌安寧をマネジメントするメイン担当者的な感じですかね。 
地雷魚 @Jiraygyo
@D_Fujitaka じゃあ、曹操や劉備や袁紹たちのことやね。
カイザー富士鷹 @D_Fujitaka
@Jiraygyo あー。そう言われると軍師のイメージを統一するの難しいですね(´ω`)
お菓子っ子 @sweets_street
夜中に@FXMC_さんから軍師の定義について、「軍師というポジションの原型は、前漢の張良であり、兵法書の六韜で言う筆頭幕僚の腹心の仕事ではないか」「将軍の幕僚の本来の職責の中には天文や方術といったオカルト的な要素も含まれるのではないか」という御意見をいただきました(続
お菓子っ子 @sweets_street
受)ぶっちゃけ、中国の兵法書では将軍の何たるかについてはしつこいほど語っていても、幕僚=軍師の職責について詳細に語っている兵法書はほとんど無く、@FXMC_さんが引いた六韜ぐらいしか無いです。というわけで、まずは六韜の語る幕僚の何たるかについて話していこうかなあと思います
お菓子っ子 @sweets_street
六韜第18の王翼の項は、幕僚を18種類72人置くように定めています。筆頭幕僚の腹心を筆頭に、人事担当幕僚の謀士、天文吉凶を占う天文、情報幕僚の地理・耳目・遊士、作戦幕僚の兵法・奮威、通信幕僚の伏旗鼓、土木担当幕僚の股肱、渉外担当幕僚の通才、謀略担当幕僚の権士・術士、(続
お菓子っ子 @sweets_street
受)宣伝担当幕僚の爪牙、補給担当幕僚の通糧、経理担当幕僚の法算、軍医の方士などがいます。近代軍も真っ青の充実ぶりです。ただ、歴史書に残っている幕僚組織はずっとシンプルで、後漢までは事務官を総括する長史、部隊運営を統括する司馬、君主直属の監察官である護軍などが置かれていました(続
お菓子っ子 @sweets_street
受)後漢末の動乱期から魏にかけて、筆頭幕僚・監察官を務める軍師・監軍、作戦幕僚や兵站幕僚を務める参軍などが設けられるようになります。長史・司馬・参軍の名称は唐の時代まで用いられました。六韜の幕僚職に比べて、歴史上の幕僚職が簡素なのには理由があります(続
お菓子っ子 @sweets_street
受)六韜で定める幕僚は「謀を賛け卒に応じ、天を揆り変を消し、計謀を総攬し、民命を保全するを主る」という「作戦・政治・天文を全部統括しますよ」という筆頭幕僚の腹心以外は、どれも細々とした実務を司るスタッフ。それに対して、歴史書に定められている幕僚職は、(続
お菓子っ子 @sweets_street
受)スタッフ全体の統括者である長史・司馬・軍師、顧問官的なブレーン、もしくはある部門のスタッフを統括する管理職である参軍、監察官の護軍・監軍といった実務スタッフの上位にいる高級幕僚ばかりなのです。そもそも、歴史に名を残すような人物は、(続
お菓子っ子 @sweets_street
受)スタッフを統括する管理職か、あるいはトップを直接助ける監察官や補佐官といった極めて高い立場の人間ばかりなのです。歴史において君主を助けて活躍し、後世に優秀な軍師としてイメージされた人間が宰相や将軍などを務める最高位の管理職だったり、(続
お菓子っ子 @sweets_street
受)トップに政治的・軍事的アドバイスをする顧問格の人物だったり、トップの代理人として軍規を取り締まって諸将に睨みをきかせる監察官だったりするのは、軍師概念の由来である幕僚の何たるかを考えると、実に腑に落ちる話なのです。講談の軍師がオカルト的な性格を持っていたのも、(続
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コメント

trycatch777 @trycatch777 2012年10月11日
光栄の初代「三國志」では、「軍師」は助言者として設定できたものの、別に特定の武将(例えば諸葛亮)を軍師と捉えるゲームではなかった。劉備陣営で最初からゲームを始めた時は最高知力の関羽を「軍師」にしていたり。軍師を無し(助言無し)で進めることも可能でした。
trycatch777 @trycatch777 2012年10月11日
また、割と純粋なシミュレーション・ウォー・ゲームだったため、全ては固定数値+乱数で進むようになっており、例え諸葛亮だろうが司馬懿だろうが特別なイベントは起きず。ただ知力が著しく高い武将なだけでした。プレイヤーは想像力をかき立てつつプレイするようになっていました。
trycatch777 @trycatch777 2012年10月11日
さらに光栄から出ていたガイドブックには、ひとくくりに知将と言っても参謀役もいれば事務方もいて、というように、ここでまとめられているような内容も掲載されていてためになりました。本まとめの趣旨に反するかも知れませんが、思わずコメントしてしまいました。連投すみません。
ゴイスー @goisup 2012年10月11日
伊尹や太公望はある意味メインプレーヤーだし、管仲は超絶行政官だしなぁ。
伊坂一馬 @Ithaca_Chasma 2012年10月11日
主君の日常的な相談相手だった側近が非常に知に富んだ人間であった場合、主君がその判断を尊重するようになっていく……という形での擬似的な軍師ならあり得るような気も。合議の場で発言する権限は無いだろうから華々しい活躍や記録などはないでしょうけど。
ゆ~り / Iouri @iouri 2012年10月11日
戦国鍋TVの戦国サポセン思い出したw
平尾 由矢(パブリックエネミー) @astray000 2012年10月11日
@Jiraygyoさんの『強固な軍師幻想に対する懸念』は、三国志の更なる創作たる『蒼天航路』の曹操のセリフにも良く現れているなぁとこれを読んで思う。原作・原案の李學仁、原画の王欣太が意識してそういう言い回しを好んで使ったどうかはいざ知らず。
平尾 由矢(パブリックエネミー) @astray000 2012年10月11日
あの作品では、度々曹操が軍師に対して『理論と知識だけの上っ面な助言ばっかりしてたら頚とか舌とか飛ぶぞ。もっと自分の意見をぶつけて来い』(超意訳)みたいなことを言いまくっていたからね。
鐵太郎@ただの人 @Tetsutaro2008 2012年10月11日
諸葛亮は、劉備の陣営の中で将の一人ではなかったろうし文官ではむろんなかった。「軍師」がフィクションだとすると、どのような存在だと認識すればいいんだろうねえ?
NiKe @fnord_jp 2012年10月11日
リアル孔明は文官だったのでは。
関野武志 @midorikurage 2012年10月11日
実際の補佐能力は軍事、経済、工事管理等の専門分野によって違う、というのが実態でしょう。それをゲームでは知力90、政治85のようにデフォルメしているので、「万能の軍師」のようなファンタジーが生まれるのでしょうね。
鐵太郎@ただの人 @Tetsutaro2008 2012年10月11日
ああそうか、「文官」の意味を官僚層と考えてしまった。そう、諸葛亮は文官の「閣僚・外交官」と考えるべきかも。実質的には、劉備の晩年になるまで、政治的にも軍事的にもたいした地位ではなかったし。
@tomy_machi 2012年10月11日
http://togetter.com/li/360322 中国の軍師とかの役割の説明したまとめありますよ。
偽教授 @Fake_professor 2012年10月11日
ここまで山本勘助の名前なし
偽教授 @Fake_professor 2012年10月11日
甲陽軍鑑は遅く見積もっても17世紀には完成している作品だが、山本勘助が「軍師」だったとは書かれているのかな。
きゃっつ(Kats)⊿7/20乃木坂福岡ドーム @grayengineer 2012年10月11日
諸葛亮は「軍師中郎将」とか「軍師将軍」なんていう職に就いてるので、「ほらやっぱり軍師なんじゃん」と思われやすいと思う。ただこの職名の「軍師」って今の我々が持っている「軍師」の概念とは全然違うみたいだけどね
きゃっつ(Kats)⊿7/20乃木坂福岡ドーム @grayengineer 2012年10月11日
trycatch777 ん?光栄のPC版「三国志」の1作目のことですよね?記憶が錯綜されてませんか? あの作品ではコマンドを実行している地区に知力90以上の武将がいたら(複数いる場合は最も知力の高い武将が)コマンド実行時に自動的に助言が表示される、という仕様でしたよ。軍師に任命とかそういう設定はなかったです。なので知力90以上の武将は「軍師キャラ」という捉え方がされていました。
きゃっつ(Kats)⊿7/20乃木坂福岡ドーム @grayengineer 2012年10月11日
任命する、というのは確か「三国志II」からだった気がします。
北岡修二:S.KITAOKA @regedry33 2012年10月12日
野生の馬を最初に調教したのは紀元前4000年の黒海北岸地方とのこと。すでに「ハミ」も造られ手綱で馬を操る技術もあったと言うから驚き。その後この地方は騎馬隊によって世界帝国を築いたバツーのキプチャクハン国となりコサックの故郷へ。個人的には「軍師」という人格よりもこうした技術・技法に興味を感じる。文学的にはキャラは必須だが、社会学的考察には邪魔になることもあるのでは?
addicks(あでぃっくす)🌧️ @addicks_cycle 2012年10月12日
西洋では史実とは言えないのですがアーサー王物語における魔術師マーリンが軍師の概念に近い存在なのか・・・な?
Shu Xenoblast W. @galway932 2012年10月12日
コメント欄が軍師神話の強固さを雄弁に物語っているな…
trycatch777 @trycatch777 2012年10月12日
grayengineer そうでしたっけ。すみませんIIもかなりヘビーにプレイしてたので錯綜したかも…単に知力の低い武将しかいなかったら助言されないだけだったかも知れません。御指摘どうもありがとうございました。
haka @ara12ara 2012年10月12日
ゲームにおける軍師とは、所謂シムシティにおける「秘書」としての役割。人物の知力に併せて助言の正確さに揺らぎを持たせたのは大発明であったと思う。
haka @ara12ara 2012年10月12日
三国志を語る場合、名士や士大夫といった独特のシステムに触れないと理解が進まない。儒教的な徳に基づく人物評価による推挙が名声を与え、その身一つで高座に駆け上がることが出来る仕組みが整備されていた。これは曹操の求賢令と対比してみると面白い。蒼天航路で崔炎が獄中の中1000人の人間を評価したことを咎められて自ら死を賜った描写があるが、従来の人物登用は崔炎の方式が正当なのである
haka @ara12ara 2012年10月12日
諸葛亮は物語にあるような知る人ぞ知る野にある無名の人物というわけではなく、荊州を基盤とする名士グループの中で、劉表に迎合せずにいたグループの中心人物のような存在であった。自らの理想を実現させるため名士の支持を持たない劉備に近づき、三顧の礼という儒学者を迎える最高の礼を持って迎えさせたのである。
haka @ara12ara 2012年10月12日
まぁこの辺りは研究が進んでおり本などで広く知られている話。本題はおふざけで、「諸葛亮のように召抱えられるにはどうしたらいいか」を考えてみた(急に俗っぽくなったな。 選挙事務所などに「軍師志願」のメールやら電話がひっきりなしに飛んでいるようだが、そもそも無名の人間が売り込もうとするのが過ちなのだ。まずは諸葛亮に習い、勉学を修め、学者として高い名声を得なければならない。
haka @ara12ara 2012年10月12日
ただ修めるだけではなく、「○○大にその人あり」といわれるだけの見識と聡明さが必要だろう。無論教授や先輩、後輩等の繋がりを保ち、広大な人物網を作ることも必要だ。現代ならば海外に対してもコネを持つことが不可欠になるだろう。教授になり、シンクタンクに所属し、多くの論文をもって学会の支持を得て、テレビや新聞などに「ご意見番」として呼ばれて弁を揮う。そうした上で有力と目をつけた政治家に近づくのだ。可能ならば友人を先に顧問として付けさせ
haka @ara12ara 2012年10月12日
続き)「○○先生という高名な学者がおられる。友人である私が紹介して招待するのが筋であるが、ここは先生が曲げて自ら赴かれるとよろしい」といって三顧の礼を唆すことが出来ればなお良い。こうした新参者は古くからの政治家先生の支持者から目の敵にされるので「○○さんは水魚の交わりのようなもので」と政治家先生からの擁護が必要不可欠になるだろう。まぁ諸葛亮が全権を揮えたのは、名士の支持がなかった劉備に近づけたのが大きいので、多分召抱えられても自分の思うように政策作れないと思うけど。
鐵太郎@ただの人 @Tetsutaro2008 2012年10月12日
三顧の礼とは、名士と呼ばれる人を迎えるための当時よくあったセレモニーである、と書いた本はなんだったかなぁ。「諸葛亮 孔明 その虚像と実像」(渡邉義浩)か「諸葛孔明 「三国志」とその時代」(宮川尚志)のどちらかだと思うけど、確信なし。
鐵太郎@ただの人 @Tetsutaro2008 2012年10月12日
劉備は、当時在野において名高かった若い諸葛亮を、ことさらに持ち上げて師事する姿勢まで見せて配下に入れることによって、人材を集める有徳な人物を演じて見せたのだという。そんな説もあり、か。
鐵太郎@ただの人 @Tetsutaro2008 2012年10月12日
「太閤記」における木下藤吉郞が竹中半兵衛を配下にした経緯は、これに習ったもの。ただし竹中重治が秀吉に臣従したのはずっとあと。それまでは、同格の信長家臣か、信長が秀吉に与力として付けた武将に過ぎないよね。
清田進 @taro_do 2014年3月15日
国内での軍師の初出は東鑑の頼朝による山木判官館襲撃の段にある「軍士」ではないかと思われます。 海を渡ると後漢書だということです。
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