金田一耕助についてのツイートまとめ(2012/10)

ここ最近の横溝正史作品「金田一耕助シリーズ」についてのツイートをメモ代わりにまとめました。 物語のラストシーンに言及しているツイートもありますのでこれから横溝を読んでみようという方はご注意ください。
文学 書籍 金田一耕助 八つ墓村 片岡千恵蔵 黒猫亭事件 横溝正史 悪魔の手毬唄 悪霊島 悪魔が来りて笛を吹く
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金田一耕助の推理方法について
木魚庵 @mokugyo_note
天才探偵のツイートを受けて、金田一耕助の推理の手法について。金田一耕助が難事件を推理するとき、しばしば「推理の積み木細工」という表現を用いることがある。ジグソーパズルのように決まった場所にピースをはめていくのではなく、あれこれと自由な形に積み木を重ね、その完成形が真相ということ。
木魚庵 @mokugyo_note
実はこれは浜田知明さんが創元推理倶楽部秋田分科会の同人誌に書いた文章の受け売りで、僕自身はその文を読むまでまったく意識していなかった。その文章で浜田さんは「推理の積み木」という表現が登場する作品として「本陣」「女怪」「夜の黒豹」「首」をあげておられた。
木魚庵 @mokugyo_note
後に『金田一耕助The Complete』で金田一耕助名言集を書くこととなり、そこで「推理の積み木」に触れざるを得なくなった。事件簿をひっくり返して浜田さんが先の文章であげていなかった「貸しボート十三号」から「推理の積み木」の表現を見つけ出して紹介できたときには、正直ほっとした。
木魚庵 @mokugyo_note
(深夜の続き)探偵の推理方法をたとえるのにジグソーパズルも積み木も同じと思うかもしれないが、完成図がわかっているパズルと、積み方によって車になったりお城になったりする積み木とは思考のプロセスがまるで違う。金田一は幾通りもの積み方を試し、その中からもっとも正しい組合せを選ぶのだ。
木魚庵 @mokugyo_note
あまりにつらすぎる解決の場合には、金田一耕助はその積み木を崩してもっとやさしい形に積みなおすこともあったかもしれない。金田一耕助にとって事件の推理は、「真実はいつもひとつ」とは限らないのだ。
木魚庵 @mokugyo_note
話がそれるが、今まで「金田一耕助名言集」としてまとめられたものには『名探偵読本8金田一耕助』の森英俊氏の文章、『横溝正史に捧ぐ新世紀からの手紙』の山前譲氏の選出などがある。『TheComplete』では先駆者への礼儀としてそこで既に紹介された名言は採用しない方針で取り組んだ。
木魚庵 @mokugyo_note
今比較してみたら実際には2箇所ほどダブってしまったものがあった。てへぺろ。それにしてもこの時期に金田一耕助BOTがあったらどれほど助かったことか。BOTの作者にはぜひとも2012年度版「金田一耕助名言集」を作ってもらいたい。全文引用であってもそこに編者の意図が加われば作品となる。
木魚庵 @mokugyo_note
「やあ」 「やあ」 「ごきげんよう」 「あなたもお達者で……」 なんてことのないただの挨拶だが、原作を知っていればこれだけでもじゅうぶん名言となりうるのである。
『悪魔の手毬唄』は「磯川警部最後の事件」だった
木魚庵 @mokugyo_note
『悪魔の手毬唄』は金田一耕助シリーズでも一、二を争う傑作のため、読者も早い時期に読む機会が多いので見過ごされがちだが、執筆時の横溝の状況からみて本作は「磯川警部最後の事件」として書かれたといってもよいだろう。
木魚庵 @mokugyo_note
『本陣殺人事件』で戦後の本格探偵小説の口火を切った横溝は、その後10年もたたないうちに探偵小説を書くことに疲れてきていた。また松本清張の登場で探偵小説自体が過去のものとして追いやられつつあり、横溝作品に対する批評も厳しくなっていたという。
木魚庵 @mokugyo_note
そこで横溝は一念発起、自ら築き上げた本格探偵小説の集大成として『悪魔の手毬唄』に取り組んだ。トリックは童謡殺人、それも冒頭に元となった手毬唄を掲げ読者に挑戦している。舞台はもちろん岡山県、磯川警部が相棒だ。
木魚庵 @mokugyo_note
本作で横溝は磯川警部に今まで禁じ手としてやらせなかった行為を次々とさせている。いちばん大きいのは、警察機構の擬人化であったはずの警部自身の境遇を語り、一人間として描いていること。ラストで明かされる警部の感情がいい例である。
木魚庵 @mokugyo_note
さらに、本作ではじめて磯川警部のファースト・ネームが「常次郎」と命名された。これもまた一警部からフルネームをもつ登場人物への昇格といってよいだろう。そして全編の幕切れを磯川警部の一人称でまとめている。それまでの作品で、手紙の文章はあっても警部に一人称を語らせたことはない。
木魚庵 @mokugyo_note
物語のラストを磯川警部の一人称で締める、これが去り行く磯川警部へのはなむけでなくてなんであろう。横溝正史は『悪魔の手毬唄』以降、磯川警部が活躍できるような大事件を書く機会に恵まれないと予見し、彼の花道を用意したのだろう。事実、その後『悪霊島』まで金田一の岡山ものは書かれなかった。
木魚庵 @mokugyo_note
『悪魔の手毬唄』が磯川警部最後の事件なら、『悪霊島』で警部が再登場したことをどう説明するか。それほど難しく考える必要はなくて、人気が出たからアンコールとなっただけのことである。ただし、今度こそ横溝の年齢的に最後の作品となる可能性が強く、警部には『手毬唄』以上のドラマが用意された。
木魚庵 @mokugyo_note
だから『悪霊島』での磯川警部には、『本陣』~『手毬唄』では設定されていなかった新しい物語が加えられ、『手毬唄』以上に彼の人生に深くかかわる事件にせざるを得なかったのだろう。
木魚庵 @mokugyo_note
(深夜の続き)こうしてはからずも「最後の事件」に二度も遭遇することとなった磯川警部は、そのたびに新たな設定が積み上げられすっかり悲劇の警部となってしまった。その分人間的に親しみやすいキャラクターとして、等々力警部より人気が出たことは皮肉だった。おしまい。
金田一耕助は連込み宿に住んでいた
木魚庵 @mokugyo_note
地名を言っただけでどういう場所かをにおわせることがある。土地柄、というやつだ。「親父は平和島に入りびたり」といえば競艇、「昨日は彼氏と道玄坂にお泊まり」といえばラブホテルを意味している。同様に、戦前から戦後にかけて「大森」といえば、それは連込み宿を意味していた。
木魚庵 @mokugyo_note
戦争が終わった昭和20年8月、日本政府がまず行ったことは日本を統治しにやってくる連合国軍の慰安所の設置であった。資金は大蔵省が提供、全国の警察署長が慰安婦を斡旋し、カフェや置屋などの業者を皇居広場に集めて決起集会を催した。8/27に第一号施設に指定された「小町園」は大森にあった。
木魚庵 @mokugyo_note
なぜ大森だったか。元々その手の旅館が多く建ち並び、居ぬきで使えたからである。それほど大森という土地は三業地(芸妓置屋、待合、料亭の営業が許可される区域)として栄えていた。さて、その大森に戦後すぐに「松月」という割烹旅館が建った。これがただの割烹旅館でないことはもうおわかりだろう。
木魚庵 @mokugyo_note
大森の割烹旅館「松月」がいかがわしい宿であることは原作にも書かれている。「男でもそういう場所へ出入りするということは、かなりためらわれるところだが、とりわけ相手が妙齢の婦人の場合など、単身割烹旅館の門をくぐるということは、かなり勇気のいる仕事らしかった」(悪魔が来りて笛を吹く)
木魚庵 @mokugyo_note
「黒猫亭事件」に書かれている「松月」の離れの間取りと、「霧の中の女」や「花園の悪魔」に登場する連込み宿の間取りとを比較してみると驚くほど似ていることに気がつく。「松月」の離れにないのは室内の声をかき消す竹の植え込みくらいだが、竹のかわりに梅の木を植えている(蝋美人)のはご愛嬌。
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