【今日の季語】初湯(はつゆ):「若湯」「初風呂」とも。新年に初めて風呂を立てて入浴すること。江戸期から銭湯は二日が初湯とされ民間に馴染みのある風習となっていた。◆嬰(こ)の尻を十指でつつむ初湯かな(小林波留) #jhaiku #kigo
2011-01-02 05:00:12明治まではこうだったらしい→"男女別に浴槽を設定することは経営的に困難であり、老若男女が混浴であった。浴衣のような湯浴み着を着て入浴していたとも言われている。" #銭湯 #goocus http://t.co/g5BG5YAi
2012-06-16 16:42:58【お知らせ】MSNドニッチ!今週のコラム更新!映画テルマエ・ロマエのヒットから、江戸の銭湯の話!銭湯行きたくなるなぁ〜。 第18回 男女混浴が普通!?江戸の銭湯事情(1) http://t.co/TG3D6rQO
2012-06-29 13:39:54湯女(ゆな):主に江戸時代に銭湯で入浴の流しから髪結い、衣服の世話を行った女性で、湯屋には欠かせない存在。古い温泉地などでは大湯女と少湯女がおり、少湯女は入浴の世話番を、大湯女は湯治客に男性向けのサービスを行なっていた。その意味では千尋は少湯女にあたる。
2012-07-06 22:01:43裸はいつから恥ずかしくなったか―日本人の羞恥心―中野明 http://t.co/a2WkyLhE 当時の裸体観は今と異なっていたのだ。だが、次第に日本人は裸を晒すことを不道徳と考えて、私的空間以外では肉体を隠すようになる。その間、日本人の性的な関心がどう変化したかを明らかにする。
2012-07-18 13:16:300488[暮らし]銭湯。今回より庶民の暮らしについて紹介します。順番になんの脈絡も無いものとなりますが、ご容赦を。なお、この話もキリの良い所でいったん切り上げます。
2012-10-14 20:29:320489[暮らし]銭湯。水が貴重で、更に薪も安くなかったこと、そして火事をなによりも恐れたことから、江戸では庶民はもちろん、下級武士でも自宅に風呂を設置する所は無かった。富裕な豪商でさえ、風呂を置かなかった所があったほど。このため、銭湯が繁盛した。
2012-10-14 20:34:540490[暮らし]銭湯。当時は湯屋(ゆや)と言ったが、大勢が利用する場だけに、自然とルールもできた。まず、いちいち声をかけること。今とは違い、江戸時代の湯屋では、最初にいきなり湯船につかる。かけ湯すらしない。着物を脱いだら、湯船に直行。そのため、お湯は後に入るほど汚れて濁った。
2012-10-14 20:39:440491[暮らし]銭湯。この湯船に入る時の掛け声が珍妙だ。湯船の手前はざくろ口と言い、天井から壁が半分だけある。下半分はがらんどう。そこから前屈みになって入るが、照明のない当時のこと、中はほとんど暗闇。その上に湯気もモウモウと立ちこめている。他人とぶつかるのは必至。
2012-10-14 20:45:160492[暮らし]銭湯。暗がりの湯船に浸かっている人からはざくろ口のほうが見えるが、明るい洗い場を背にして中へ入ろうとする人には何も見えない。そこで自然発生したのが声かけのルール。
2012-10-14 20:48:230493[暮らし]銭湯。声かけの1。「枝がさわります」枝とは自分の手や足のこと。これから湯船に浸かりますが、もし手や足がお体に触れたらごめんなさい、という意味での予告。湯船に1人2人の小人数なら奥へ退くこともできるが、大勢だと接触は免れない。そのため先に謝ってしまおうというわけ。
2012-10-14 20:52:470494[暮らし]銭湯。声かけの2。「ひえもんでござい」これから湯に入る人は、特に冬場は体が冷え切っている。そこで、私は冷えている物でございます、という意味のこの言葉をかける。ひえもんは冷え物。自分をあくまで物に例えて自虐の意味をこめる。一種のユーモア。
2012-10-14 20:56:56若い人などが銭湯に後から入るとき「冷えものが通りやす」という挨拶が江戸の銭湯にはあり、昭和の始めには楽屋風呂で「冷えものです」と言ったと六代目菊五郎のお弟子の芸談に出ていた。
2012-10-15 18:50:020495[暮らし]銭湯。声かけの3。「田舎者でござい」私は不慣れな者でございます、粗相があったらごめんなさい、というのを田舎者と自称して謙遜した。以上の3種のどれかを言って湯船に浸かった。中には「ひえもんでござい」に対して「又右衛門でござい」などと返事をして存在を教えた人もあった
2012-10-14 21:00:480497[暮らし]銭湯。今ではよほど時間に余裕がある人でなければ労働者では不可能だが、当時は朝の仕事前と夕方仕事を終えてひと風呂浴びるのが普通。1日に4回5回入る人もザラにいた。埃っぽい風土によるとみる人もいるが、なにしろ江戸人はキレイ好きだった。
2012-10-15 18:27:000498[暮らし]銭湯。1日に何度も風呂に入ったことから、女性はもちろん、江戸の男たちの肌もそれはキレイでスベスベしていたという。日本人の肌がキメ細やかでデリケートなのは、先人たちが長い年月に亘って磨き続けた結果かもしれない(笑)。
2012-10-15 18:30:170499[暮らし]銭湯。「将軍の一日」で紹介したように、将軍は1日1回の入浴だった。大名や高位高官たちも同じ。むしろ庶民のほうがキレイで健康的だった、とはよく言われること。それに身分高い者はゴシゴシ洗うことをしなかったから、不健康でひ弱なのが多いのもうなずける。
2012-10-15 18:33:200500[暮らし]銭湯。湯の温度。当然これは推定だが、およそ47~48度だったようだ。若者などは入ってすぐ出てしまい、町のご隠居さんなどがガマン強くずっと浸かっていた。ただし、これだけ熱かったのは江戸だけで、上方などはもっと低くてちょうどいい湯加減だった。
2012-10-15 18:38:220501[暮らし]銭湯。さて、江戸時代の銭湯といえば混浴。これは事実。ただし、混浴が幕末までたびたびの禁令にもかかわらず存続したのは、設備の問題と、それから社会的ルールがうまく機能していたからだった。
2012-10-15 18:41:410502[暮らし]銭湯。まず設備。なにしろ照明などなく、洗い場はわずかな窓、湯船のある奧の部屋はあっても小窓一つ。全体に湯気が充満し、暗かったから、そばにいるのが男か女かさえわからないことがよくあったという。これでは意識するどころではない。湯気はわざと充満させてスチーム浴を兼ねた
2012-10-15 18:45:290503[暮らし]銭湯。社会的ルール。江戸の庶民は対等に暮らしていた。そのため、ちょっとでも女性の体に触れたりジロジロ見たら、それだけで痴漢呼ばわりされ、他の男衆がその者をどやしつけた。若い女性には年配の女性たちがガードをしたので、近づくことさえできなかった。
2012-10-15 18:48:31