佐藤正美Tweet_20121001_15

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佐藤正美 @satou_masami

事物の構成条件を我々の「概念(観念)」という作用がどれほど間違うか、我々の直接体験の結晶作用がなんと曖昧で信用できないかという事を忘れてはなるまい。我々の曖昧な知覚を正確な図式(アルゴリズム)で記述する(変換する)のが「論理」である筈だ。

2012-10-01 16:48:02
佐藤正美 @satou_masami

知覚(概念)は、私たちが外界に対してどういう動作をとるかに応じて作用する。『井の中の蛙』という皮肉もあるが、大海を知覚していては蛙は生存できない。私たちは生活の要求に応じて経験を制限している──考える必要のないものを考えない。こういう制限を開け放つには極度の努力を要する。

2012-10-02 01:33:04
佐藤正美 @satou_masami

事業にあっては、経営者は先ず新しい独自の vision の創造に挑まなければならない。事業がその形式上、どんなにエンジニアの思考に訴える条件が多かろうとも、その戦略上、vision が問われる──エンジニアが事業の vision を創るというのは洒落であろう。

2012-10-03 01:02:40
佐藤正美 @satou_masami

私の文に文学的表白が多すぎるという非難もあるが、私はエンジニアとして正確に語ろうとしたのであって、正確に語れない概念を文学的表現で取り繕ろうとした事はない。SEたちの使用する専門語がSE個人の定義に依存するなら私はそれらを悉く避けて、専門語を使うなら数学から借用している。

2012-10-06 07:37:51
佐藤正美 @satou_masami

「翻訳の不確定性、指示の不可測性」が「概念」の曖昧性に対峙する。ユーザは「意味」を伝えるが、エンジニアは「意味」(構成条件)とは何かを考えなければならない。私が数学に惹かれるのは、絶対的性質の記述は不可能である事を教えられたからである。「実体」などという概念を私は信用しない。

2012-10-08 16:57:18
佐藤正美 @satou_masami

観念の群れを枚挙しさえできれば、それらに構造を与える事など訳はないと信じているSEが多い。「論理」に記号が服従している限り、定義によって勝手な用語を発明してもいいが、それは安直な態度であろう。それに慣れたら、事業分析にはユーザが使う言語で充分であるという認識は簡明な事ではない。

2012-10-09 03:24:06
佐藤正美 @satou_masami

概念的ポンチ絵が多くなったという事は、「現実」について現実的に語るSEが少なくなったという事なのであろう。導出的真・事実的真を満たした構成条件が明かされるとは「現実」が現れる事である。「概念」設計などとSEは平気で云っているが、「概念」をそんな様に使ったらエンジニアの名折れだ。

2012-10-10 00:35:01
佐藤正美 @satou_masami

現実的事態の構成条件(妥当な構造、真とされる値)だけを「情報」の信用できる憑証にするという事は、科学の基本的要件である筈だ。モデルを論ずるSEにそこまで降りて出直す意識がなければ、「概念」の上に「概念」を重ねるにすぎない。

2012-10-12 15:47:42
佐藤正美 @satou_masami

「現実」は常に「概念」より豊富だ。「論理」など「概念」設計では必要としないとうそぶくSEにとって、必要でないのは実は「論理」ではなく「概念」そのものの解釈なのである。文脈の中で語の「意味」を掴もうとしないのだから、「論理」に眼を向ける必要も従って生じない訳なのであろう。

2012-10-12 15:48:59
佐藤正美 @satou_masami

SEたちはユーザの使う日常言語を真面目に考えようとはしていない様だ。否、無関心であるばかりでなく、それを軽蔑しているかの様だ。「概念」を定立するには日常言語などという曖昧なものは方言であって助けにならぬ、そういう(素朴な)錯覚を抱いているのではないか。

2012-10-13 03:05:39
佐藤正美 @satou_masami

日常言語を変数としか扱わぬSEは、「概念」の定立に夢中になっているSEに、「現実」を観ていない点で、似ている。前者は「意味」の片面(表現関係)を軽視し、後者は「意味」の他の片面(指示関係)を軽視している状態で、実際の事態の条件を観ないで論じているという点で同類である。

2012-10-15 04:02:11