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津波の記憶の伝承

爆走する科学史家・佐藤賢一先生が、津波の記憶の伝承についてツイートされていました。関連ツイートと共にまとめました。
震災 復興 津波 伝承
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佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
講義を終えて、ほっと一息。休憩中。あー、でも学生さんがこれから来るのであった。。。
えーたろう @yasegamanA
@ke_1sato 先生って、外回りと授業とツイッターの、三人でやってるでしょ?^^;
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
ばれましたかw RT @yasegamanA 先生って、外回りと授業とツイッターの、三人でやってるでしょ?^^;
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
先日、東北を一周した時に確かめたかったのは、1983年日本海中部地震の津波の現場。あの時、自分は中学3年生。ちょうど地元の中学校で理科の授業中で、揺れが収まった後、担当の先生が「これはきっと大変な地震が遠くで起きたはず」と言われたことを今も覚えている。事実、凄い地震だった。→
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
あの当時、日本海側で大きな津波が起きるという想定は地元民には無かったように記憶している。津波の犠牲者も100人以上になったわけだが、その時の教訓や振り返りを話題にすることが、これまで一般には少なかったのではないかと思う。(その後、奥尻の津波が起きたこともあるだろうが。)→
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
やはり30年近く経過すると、100人以上の犠牲を出した津波の記憶も社会的に風化してしまうんだな、と思ったこともあり、今回、その現場を走ってみる気持ちになった。青森のつがる市車力から、男鹿半島突端まで、これだけで150km以上の海岸線。大規模な津波であったことを実感できた。→
八卦仙人見習い(教科書はZiman) @_sennin_
日本海側(酒田)であるが、子供の頃に年寄りから地震が来て海の水が引いたら津波が来るから、大急ぎで高台に逃げろと言われていたのを憶えている。 RT @ke_1sato あの当時、日本海側で大きな津波が起きるという想定は地元民には無かったように記憶している。
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
そのような伝承の残った地域も、やはりあったんですね。私の少年期の印象が偏っている可能性もあります。 QT @akira_ikeda1: 日本海側(酒田)であるが、子供の頃に年寄りから地震が来て海の水が引いたら津波が来るから、大急ぎで高台に逃げろと言われていたのを憶えている。
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
この日本海中部地震の被害から地域が立ち直っていく過程を、少年期の自分はほとんどど覚えていない。地元の皆さんが大変な思いをされたであろう事は今も想像できるのだが、隣県にいた当時の自分にはすぐに忘れてしまう出来事であった。今の震災を見ている他地域の若い世代を責められないなあ、と反省。
澤正宗 @Osiziga_ni
@ke_1sato 10年位前に、父親に「津波の前は潮が引くんだってねぇ」と話を振ったら、「違う! チリ津波の時は押し波で始まった。そういうことを覚えておけ!」と逆に叱られました。「変事を感じたらとにかく高台へ逃げろ」というのは共通しておりましたが・・・。
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
津波の体験談を追いかけると、安政、明治、昭和、チリのそれそれの津波で、予兆となる潮の満ち干のパターンは違っていたようですね。つまり、前例の記憶が役にたたなかったようです。。。 QT @Osiziga_ni: 10年位前に、父親に「津波の前は潮が引くんだってねぇ」と話を振ったら、
澤正宗 @Osiziga_ni
@ke_1sato 父方の祖母は昭和津波も体験していて、「ドーンという音がした。大船渡線工事の発破かと思った(1933.3は近所で鉄道工事してたため)」と以前に語っていたことも。書物だけでなく、実際の体験者から話を聞くと、些細なところに重要なことがあると気付かされますね。
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
それは貴重な証言ですね。発破音に慣れていたことで、もしや初動が遅れた可能性もあったのでは?と考えてしまいます。 QT @Osiziga_ni: 父方の祖母は昭和津波も体験していて、「ドーンという音がした。大船渡線工事の発破かと思った(1933.3は近所で鉄道工事してたため)」
まりまど@marimado @marimandona262
@ke_1sato 今回うちの両親は恐らく5~10分の差で津波到達前に高台に避難したのですが本人達は目の前の潮がひいてないので充分余裕と信じきっていたようです。女川でも場所によって引き潮が見られたようですが場所や見る高さに左右される引き潮の具合を目安にするのは危険なのだと実感です
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
今回は津波被害地が広かっただけに、様々なケースが出てくるでしょうね。一度だけの体験を基準にしてはいけないという教訓ですね。 QT @marimandona262: 今回うちの両親は恐らく5~10分の差で津波到達前に高台に避難したのですが本人達は目の前の潮がひいてないので
澤正宗 @Osiziga_ni
@ke_1sato 一つ前のtweetに戻ると、チリ津波第1波は沿岸道路を水浸しにする程度の高さでしたが(地震が無かったので大概の人はそのときに気付いていなかった)、なぜか父親の実家はその時点で裸足で逃げていた様子。昭和津波の記憶が残っていたんですね。
澤正宗 @Osiziga_ni
@ke_1sato チリ津波以降に付近の高台に移動しましたが、地震が来るたびに玄関先から海を見て確認していたそう。去年の津波の時も「これはおかしい!」と逃げたのですが、いかんせん老人の足取りなのでぎりぎりだったとか(最初逃げた大船渡線築堤上も、家も波を被り・・・)。
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
やはり、地震の時は迷わず逃げるということが、何度も言われていることですが、大事なんですね。 QT @Osiziga_ni: チリ津波以降に付近の高台に移動しましたが、地震が来るたびに玄関先から海を見て確認していたそう。去年の津波の時も「これはおかしい!」と逃げたのですが、
norikimu @norikimu
@ke_1sato 能登半島地震の時,輪島では,津波が来るのではと皆恐れたそうです.日本海中部地震の津波の記憶がここでは未だ残っていたと思われます.輪島沖の舳倉島では,日本海中部地震の津波で島全体が被災したので,能登半島地震では高台避難http://t.co/54iBAeao
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
ありがとうございます。能登半島付近まで津波が達していたのですね。やはり津波を体験した世代の記憶は貴重ですね。 QT @norikimu: 能登半島地震の時,輪島では,津波が来るのではと皆恐れたそうです.日本海中部地震の津波の記憶がここでは未だ残っていたと思われます.
norikimu @norikimu
@ke_1sato NHK金沢放送局の記者が津波の河口からの遡上や船の転覆を撮影したそうです.YouTubeにそれらしい動画があるのですが,本当に輪島のかちょっと判断できません.が,これはこれで怖い映像です.http://t.co/fkAn3tOd
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佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
この動画は初めて見ました。今ならば、こんな間近で撮影せずにもっと安全な場所へ!と言いたいところですね。それにしても凄いです。 QT @norikimu: NHK金沢放送局の記者が津波の河口からの遡上や船の転覆を撮影したそうです.YouTubeにそれらしい動画があるのですが,
norikimu @norikimu
@ke_1sato 漁師も逃げるというより津波を眺めていて,迫ってから慌てて逃げていますね.津波の怖さを知らなかった地域だと思われます.自らの被災経験や,被災経験者が身近にいないと,適切な行動はなかなか出来ないのでしょう.
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コメント

ロクスケ(ロクデモ ナイ) @HRokusuke 2012年10月18日
この国には「伝承の科学」って研究分野も要るんだと思うね、災害だけじゃなくて他の分野でも。
きむらクー @KimuraQoo 2012年10月18日
男鹿で遠足のこども達が犠牲になったあまりに悲しい出来事。
s_matashiro @glasscatfish 2012年10月18日
おお。なかなか良質の関連商品が。
(*゚ー゚)@しぃ(忙しいモード) @shilichan 2012年10月21日
数日後に男鹿水族館に遠足に行く予定だったんだよなぁ…被害にあった小学生たちは山間の学校の子たちでした。