渡邊芳之先生ynabe39の「素朴な善意というものがいかに残酷かというお話。」
RT @nhk_seikatsu: 【長野 熊が侵入の保育園で警戒続く】熊が侵入した跡が見つかった長野県佐久穂町の保育園で、町の職員や猟友会のメンバーが警戒を続けるなか、園児たちが保護者と一緒に登園しました。(15:10) http://t.co/UHE6QZTB
2012-10-22 15:10:05RT @composer1616: @ynabe39 ある意味で良いことですよね。趣味で生き物を殺生することを、若者が忌避しているわけですから。
2012-10-22 15:16:25ハンターがいないと人里に熊が出ても防御できないし増えすぎた野生動物の個体数調整ができなくてけっきょく絶滅させちゃったりもするわけで。
2012-10-22 15:17:52RT @composer1616: @ynabe39 人間の安全を守るための熊の駆除や、生物の個体数調整のための猟は当然あるべきだと思います。が、それは行政が公務として行うべきことで、民間人が趣味で行う猟とは、意味が違ってくると思います。
2012-10-22 15:31:38RT @composer1616: @ynabe39 その必要性がある地域の行政府には、そういう部署が設置されるべきではないでしょうか?実際、犬猫は保健所がやってるみたいだし。
2012-10-22 15:38:56なるほど人間の命が大切にされるようになるにしたがって「人を殺すこと」が軍隊や警察や司法などに「公務化」されてきたのと同じ理屈で動物を殺すのも公務化すべきだということか。わからないでもない。
2012-10-22 15:41:39少なくとも殺される側からは何の違いもないのは間違いないです。違いがあると考えるのは人間の都合。 RT @at_koy: そうかなぁ 楽しみで殺すのって何だかな
2012-10-22 15:42:33それはたとえば同じ屠殺において虐待的要素が多いのと少ないのでどっちがいいかというような比較で考えるべき問題です。 RT @at_koy: そりゃそうですが虐待して殺すのと食肉の屠殺を同じと考える人は少ないでしょう
2012-10-22 15:47:25「人間の倫理として許すべきでない」のはわかりますが殺される側にはほとんどまったく関係のないことです。 RT @at_koy: 少なくとも遊びやストレス発散目的で殺すのは許すべきでないと思います
2012-10-22 15:49:17RT @composer1616: @ynabe39 「殺す」という行為は、やむを得ず泣く泣くやることであって、楽しんでやることではないと思うのです。倫理道徳宗教とも関わってくることですし。昔暴君ネロが闘技場にキリスト教徒を集め、猛獣に襲わせて殺すのを、観客が見て楽しんだというのは、趣味の猟に通じるものがあります。
2012-10-22 15:50:45まあ自衛隊の任務を増やすのは最近の流れですから熊退治も自衛隊の仕事にしたらいいかもしれないですね。 RT @tksnt6: 北海道といえば、昔自衛隊がトド撃ちやってましたね。
2012-10-22 15:54:18@joefromyamagata それがまさに「人間の都合」ということです。誰かが殺してくれなきゃ困るし,人口の多い地域ではその人たちをハブっても社会が成り立つけど,僻地ではそれでは社会が成り立たない。
2012-10-22 15:57:22熊については三毛別事件をもっと周知すれば甘い考えが減ると思います。 RT @Uske_S: 熊一匹退治しようと陸軍が駆り出された話を思い出しました。でも結局最後に熊を仕留めたのはベテラン猟師だった、という。(大正4年の三毛別羆事件)
2012-10-22 16:00:42「人間の動物愛護と動物側の利益や都合はもともと別個のものである」ということです。動物愛護についての対立は人間と動物の対立ではなく人間の価値観の対立。愛護側が動物側というわけではない。 RT @at_koy: 結局、愛護disかよって思うのですが 何が気に食わないんですか
2012-10-22 16:07:38