笠井潔さん @kiyoshikasai による「左右」の話

メモ
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笠井潔 @kiyoshikasai

ヨーロッパでは(日本でも)保守派や右派は反市民革命派であることが多い。場合によっては王党派だったりする。しかしアメリカの保守や右翼は市民革命派だ。建国の理想に忠実だから、反連邦主義にもなる。戦後日本人がイーストウッドやハインラインの思想を理解しにくいのは、そのせいかもしれない。

2012-10-23 14:23:18
笠井潔 @kiyoshikasai

日本の戦後左翼や戦後民主主義は、前近代的な戦前日本の軍事的・半封建的資本主義や反民主主義的な天皇制国家を「敵」とした。ようするに市民革命派だったわけで、同じ市民革命派がアメリカでは保守や右翼である事実など想像外だったのだろう。

2012-10-23 14:31:44
笠井潔 @kiyoshikasai

だからネオコンの「コン=保守」も、市民革命を批判したバークの保守主義とは意味が反対になる。独立革命による建国の理想を「保守」することが、アメリカの保守主義だ。ライフル協会が共和党支持では最大団体だが、アメリカの保守派や右翼が銃規制に反対するのは革命権と関係がある。

2012-10-23 14:39:27
笠井潔 @kiyoshikasai

連邦政府軍にライフル程度で対抗できるわけはないが、それでも市民の武装権は市民革命の理念からして譲れない一線だから、保守派は銃規制を認めない。市民革命の理念を全世界に布教しなければならないという使命感は、ナポレオンのフランスと今日までのアメリカに共通する。

2012-10-23 14:45:29
笠井潔 @kiyoshikasai

共産主義世界革命ならぬ反封建世界革命だ。ヴェトナムで闘ったアメリカ兵にも、こうした使命感はあったろう。米帝に「騙されている」とかいう批判は、容易には通じない。日本だって同じことで、「東亜解放」の理想のために出征し、戦死した兵士も多かった。

2012-10-23 14:48:46
笠井潔 @kiyoshikasai

これらにたいして、帝国主義に騙されているというような「客観的認識」を対置しても無駄だろう。理念には理念で勝負しなければならない。市民革命や東亜解放の理念それ自体を覆さなければ、ネオコンや大東亜戦争肯定論を批判できない。

2012-10-23 14:52:48
笠井潔 @kiyoshikasai

封建的抑圧や欧米の植民地主義を容認することなく、市民革命や東亜解放を否定できるだろうか。そこで登場するのが資本主義批判であり、市民革命の不徹底性を超えるものとしての社会主義だ。しかしマルクス主義的な資本主義批判は、市民革命以前的な抑圧と貧困にしか帰結しえない。

2012-10-23 14:59:02
笠井潔 @kiyoshikasai

ボリシェヴィズム=20世紀マルクス主義の「実験」は、こうした事実を誰の目にも明らかにした。その結果、グローバリズム=ネオリベとネオコンの二人三脚は、ソ連崩壊後に圧勝した。それに対抗しえたのはイスラム革命だが、市民革命以前の宗教原理主義に希望を託すわけにもいかないだろう。

2012-10-23 15:04:06
笠井潔 @kiyoshikasai

ちなみにアメリカのキリスト教原理主義は、市民革命の理念と矛盾しない。少なくとも市民革命的な自由までは、キリスト教原理主義者も否定はしないだろう。国教会の弾圧から逃れて新大陸に渡ったピューリタンが、東海岸植民地の基礎を築いたという歴史的事実に、これは関係している。

2012-10-23 15:07:37
笠井潔 @kiyoshikasai

市民革命はイギリスでもフランスでも、国教会やカトリックの宗教的支配に抵抗する宗教革命でもあった。信教の自由とは、既成の宗教権力からの自由を意味する。無神論者である自由も含まれるが、それが信教の自由の第一義とはいえない。

2012-10-23 15:11:51
笠井潔 @kiyoshikasai

市民革命の限界を超えようとした19世紀の初期社会主義も、だから半分は反教権の神秘主義運動だった。キリスト教原理主義派が反連邦主義のテロ(武装闘争)を起こすというのも、このように考えれば納得できるはず。

2012-10-23 15:14:24
笠井潔 @kiyoshikasai

アメリカニズムを結果(実際にやっていること)で非難するのは容易だが、理念的な水準で徹底批判するのはなかなか難しい。たんなる平等や社会正義の観点を対置しても無効。ソ連崩壊後に、この課題に挑戦したマルクス主義者がネグリだが、〈帝国〉論の是非についてはあらためて書くことにしよう。

2012-10-23 15:23:31