20世紀ぐらいまでの食べ物の作り方

最近読んだ本とか今まで溜め込んだ知識で食べ物を作るってどういうことなのかな?と書いてみました。 書いていて疑問点や解釈に不備がありそうなところや資料の多重チェックしていないところが多いので 間違いも多々あるかと思います。 数年後には読み返してぎゃー!ぎゃー!と言えるぐらいになってるといいですね
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初期の農業と肥料の三要素

ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

初期の農業の手法で有名な焼畑農業は石斧程度の簡単な道具で未開の森林を効率的に焼き払い開墾することが可能で耕地の確保更に森林の植物たちが持っていたリン・カリウム・カルシウムなどの養分を灰にして可溶化し効率良く土に供給し、雑草の種子まで死滅することもできた

2012-10-21 22:58:12
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

さらには火の熱で土壌表層の生物が死滅することで土壌中の生物相を撹乱し活性化され土壌有機物の分解を促進させこれにより土壌中の窒素養分も供給することが可能になる。焼畑農業は植物の生育には3大要素と言われるほど重要な窒素・リン酸・カリウムを全てを満たすことができる

2012-10-21 23:02:04
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

しかし、焼き畑で作った農地は数年ほどで作物による収奪や風雨などによる流亡で土の肥沃度は低下し、雑草も生い茂り満足な収穫は見込めなくなる、こうなると農地を移動しまた森を焼き、これを何回か繰り返し森林が回復した頃最初の地に戻るというサイクルが作られた

2012-10-21 23:05:21
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

鉱物肥料、化学肥料が登場するまでは手段は違えど収奪と回復の自然に任せたサイクルをどのように効率的に行うかが19世紀までの農業の大きな課題となった

2012-10-21 23:07:17

エジプトで行われた灌漑農業と日本の水田

ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

火の代わりに水を使って養分の補給を行ったのがエジプトなんかで行われていた灌漑農業(単語がこれで合っているかちょっと不安ですが)で、日本の水田もこれに当てはまるようです

2012-10-21 23:11:19
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

水田は農業用水の確保や水田の水位管理など高い技術が必要な一方で灌漑水に溶けている養分や土中の養分の可溶化(潅水により土の還元によってリン酸の可溶化などがおきる)、さらには藍藻などの微生物により窒素固定などの影響でヨーロッパの畑よりも地力を維持しやすいという大きなメリットがあった

2012-10-21 23:14:58
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

あと連作障害といって同じ土地で作物を作り続けると収量が低下したり、病気が蔓延したりするのですが、水田は病害虫を窒息死させたり、連作障害の原因物質や病原菌を水で流したりして連作障害が発生しにくいというのも大きなメリットだと思われます。

2012-10-21 23:17:48
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

一方で労働生産性は麦などと比べると低く、狭い土地で高収量を継続して手に入れるのには向いているが非常に手間がかかるというのが水田による稲作と言えそうです。

2012-10-21 23:19:15

ヨーロッパで主流となった輪作農業と農地の有効活用

ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

ヨーロッパで発達したのは輪作農業でこれは同じ土地で年によって植える作物などを変えサイクルをつくって土地を利用していく農業で、初期の輪作は耕地の半分に作物を植えもう半分は休耕する二圃式農業が行われたが、八世紀には人口の増加により開梱だけでは追いつかず土地の利用率を高める必要が出た

2012-10-21 23:24:21
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

そのため土地の半分が遊んでしまう二圃式農業に変わりもっと効率的に土地が利用できる三圃式農業へと移行が始まる

2012-10-21 23:26:14
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

三圃式農業は秋にライ麦、小麦などの越冬作物を作付し、春になるとカラスムギや大麦、いんげん豆、レンズ豆など夏の作物を栽培し、残りを休耕させ従来の1/2から1/3に土地の利用率が向上した

2012-10-21 23:28:37
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

さらにこの三圃式農業のメリットは種を蒔く時期が年二回に分かれるので農作業の均分化と凶作の危険分散、さらに牛よりもパワーがあり重粘土質の土地でも農耕具を引かせることのできる馬をカラスムギによって飼育することが可能となり雑草で済んでいた牛から馬の使用が一般化するようになる

2012-10-21 23:31:43
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

ヨーロッパで農業の機械化が積極的に行われたのは馬なしでは農業が成り立たないぐらいこのスタイルの農業が一般化していて、飼料を用意しなくていい、つまりさらに人間向けの土地活用ができる機械化の需要が高かったというのもありそうですね

2012-10-21 23:34:05
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

ヨーロッパの農業は三圃式農業に移行する過程で穀作と牧畜を結合させ、休耕地で放牧することにより家畜のふんを肥料にすることで地力を維持をはかるようになり、労働力や食料としてだけでなく肥料製造機としての役目を家畜は担っていた

2012-10-21 23:39:43
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

しかし三圃式農業では冬期の飼料製薬から晩秋にかけて放牧家畜の淘汰が行われて放牧に依存する牧畜では多数の家畜を飼うことは難しく家畜が足りないと肥料が不足するという悪循環が起きていた

2012-10-21 23:41:39
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

ヨーロッパで肉食文化が発達したのは冬期に養えない家畜の定期的な屠殺があったための有効利用の側面もあったのかもしれません

2012-10-21 23:43:14
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

ココら辺は調べたことのないエリアなので、憶測ですが

2012-10-21 23:43:42

有機農法の完成と限界

ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

この状況が変わったのはイギリスで起きた農業革命でノーフォーク農法とよばれた輪栽式農業は飼料価値の高いテンサイ、カブ、クローバーなどを三圃式農業に組み入れたもので特にクローバーは空気中の窒素を土中に固定する能力で耕地への窒素の取り組みを促進させ

2012-10-21 23:50:59
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

これにより冬期の資料不足は解消され大量の家畜の飼育が通年通して可能となり肥料の供給も潤沢になり、当時ノーフォーク州のみで、前イングランドの穀物生産の九割をしめるほどになった

2012-10-21 23:53:15
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

というわけでここまでが18世紀終わりぐらいまでの農業の歴史で自然を利用した有機農法の到達点と言えるような気がします。

2012-10-21 23:54:51
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

1775年アメリカでは1エーカーあた30ブッシェル(体積の単位ですよ)あった穀物の収量は1845年には8ブッシェルに低下し、わたやタバコなど更に養分を必要とする作物の収量低下はさらに深刻だったそうです。 http://t.co/fk4iwOIh

2012-10-22 00:02:13
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