茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの連続ツイート第754回「人生という演劇においては、誰にでも役割がある。」

脳科学者・茂木健一郎さんの10月24日の連続ツイート。 本日も、引き続いて、日本を元気にするツイートシリーズ。
コラム 演劇 じだ キャスト 落語 役割 茂木健一郎
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茂木健一郎 @kenichiromogi
しゅりんんくっ! ぷれいりーどっぐくん、シチリア島のタオルミーナでおはよう! 今、現地時刻は、午前3時40分です。
茂木健一郎 @kenichiromogi
滞在中のシチリア島タオルミーナから、連続ツイート第754回をお届けします。文章は、その場で即興で書いています。本日も、引き続いて、日本を元気にするツイートシリーズ! 
茂木健一郎 @kenichiromogi
じだ(1)シシリア島は、古代ギリシャ、ローマの遺跡がたくさんある。その中でも強い印象を受けるのは、円形闘技場、円形劇場である。古代ギリシャで演劇が発明されて、それがあまりにも効果的だったので、全市民に観劇が義務づけられたと聞く。円形の座席の配列が、一つの哲学を表している。
茂木健一郎 @kenichiromogi
じだ(2)古代ギリシャの演劇には、悲劇と喜劇があったが、両者の関係は考えると深い。人生は、悲劇か、それとも喜劇か。ダンテの『神曲』は「神聖なる喜劇」である。ニーチェは、悲劇の時代が終わり、喜劇の時代が到来すると予言した。悲劇が同一律を前提にするのに対して、喜劇は同一律を揺るがす。
茂木健一郎 @kenichiromogi
じだ(3)ところで、これは確か平田オリザさんにうかがった話だと思うが、演劇には、どんな人でも役柄を演じることができる、という側面がある。アメリカに来たばかりの、英語ができない日本人の子どもが、クラスの劇に出ろと言われた。できないというと、「片言しかしゃべれない外国人の役をつくる」
茂木健一郎 @kenichiromogi
じだ(4)人付き合いが苦手で、言葉をあまりしゃべれない人がいたとしても、そういう役柄を脚本に付け加えれば参加できる。よく冗談で「立木」や「馬の前足」の役をやったなどというが、それも立派な演劇への参加である。逆に言えば、同じ人がたくさんいても仕方がない。演劇は多様性の賞賛なのだ。
茂木健一郎 @kenichiromogi
じだ(5)落語には、演劇的側面があるが、そこでも、さまざまな人にそれぞれの役割が与えられている。ちょっと足りない与太郎には、与太郎ならではの役割があって、与太郎なしでは落語が成立しない。同様に、強欲な人、意地っ張りな人、ケチな人それぞれの役割があって、落語が輝く。
茂木健一郎 @kenichiromogi
じだ(6)人生は、しばしば演劇に喩えられる。確かに、よーいどんで一つのペーパーテストの点数を競い合うよりはよほど、演劇の方が私たちの一回限りの人生に似ているだろう。そして、演劇の世界は、弱者や、偏屈者、かわりものを排除しない。逆に、人間の全スペクトラムがなければ困るのだ。
茂木健一郎 @kenichiromogi
じだ(7)東京ディズニーランドでは、さまざまな仕事をする人のことを「キャスト」と言うらしい。確かに、社会の中で自分の役割を見つけることは、演劇において自分の役を割り振られることと似ている。だいじょうぶ、リラックスして良い。世界という回り舞台は広くて、誰でにでも役割があるのだ。
茂木健一郎 @kenichiromogi
じだ(8)オリンピックの競技を演劇としてみれば、誰かが2位、3位、4位・・・となるという「役柄」を演ずるから、1位の人が輝く。予選落ちの人には、予選落ちの役割がある。箱根山、かごに乗る人担ぐ人、そのまたわらじをつくる人、という落語の一節があるが、人生はそれでいいのだ。
茂木健一郎 @kenichiromogi
じだ(9)古代ギリシャの人は、目の前に演じられる演劇に、人生の真実を見たのであろう。人生は、学校の成績の順位に苦しめられてついつい陥ってしまうような狭い視野から見えるよりは、よほど広い。大丈夫。人生という演劇においては、誰にでも役割がある。かならず、自分の場所が見つかる。
茂木健一郎 @kenichiromogi
以上、連続ツイート第754回「人生という演劇においては、誰にでも役割がある。」でした。
「#演劇」

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