茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの連続ツイート第755回「人生という演劇の筋書きは、自分で見つける」

脳科学者・茂木健一郎さんお10月25日の連続ツイート。 穂につも、ひきっづて、日本を元気にするツイートシリーズ!
4
茂木健一郎 @kenichiromogi

上野に向かうスカイライナーの車内から(電源があって助かる!)、連続ツイート第755回をお届けします。文章は、その場で即興で書いています。本日も、引き続いて、日本を元気にするツイートシリーズ! 

2012-10-25 10:26:59
茂木健一郎 @kenichiromogi

じじ(1)昨日、人生という「演劇」には、どんな人にでも役柄があると書いた。無口な人、恥ずかしがりの人、怒りっぽい人、自分勝手な人、そつのない人、不器用な人、それぞれの人に役柄がある。そこにいるだけで、存在感がある人もいる。今朝は、その先のことを、ちょっと補足したい。

2012-10-25 10:17:21
茂木健一郎 @kenichiromogi

じじ(2)演劇には、筋書きがつきもの。「起承転結」があったり、伏線があったり、あるいは最後にカタルシスがあったり。すぐれた演劇は、人生の諸相を映し出し、私たちを傷つけるとともに傷を癒やす。(傷つけるものと傷をいやすものは、しばしば同じである)。よい人生はすぐれた演劇に似ている。

2012-10-25 10:18:46
茂木健一郎 @kenichiromogi

じじ(3)ところが、出来上がった演劇と違って、人生の筋書きは、必ずしも完結するとは限らない。人生は、well-made playよりは、どちらかと言えば断片的で、出来損ないの脚本に似ている。たとえば、恋愛というドラマについても、それがハッピーエンドやカタルシスに至るとは限らない。

2012-10-25 10:20:01
茂木健一郎 @kenichiromogi

じじ(4)好きだったはずが、いつの間にか邪魔が入ったり、連絡が来なくなったり、連絡しても返事が来なかったりして、中途半端に終わってしまう。あれ、この恋愛の「ドラマ」の結末は何だったのだろう、と思うかもしれないが、そのような「宙ぶらりん」こそが、人生という演劇の本質である。

2012-10-25 10:20:53
茂木健一郎 @kenichiromogi

じじ(5)人生というものは冷酷で、始められた会話が完結するとは限らないし、立てられた計画が完遂されるとは限らない。今いいところなのに、と思っても、突然の打ち切りがあり得る。そして、全く関係のないノイズが、ステージに入ってくる。お前邪魔だからあっち行け、と言っても無理である。

2012-10-25 10:21:58
茂木健一郎 @kenichiromogi

じじ(6)人生という演劇の終末、すなわち死だって、「ああ、いい人生だった」という感慨の中に大団円を迎えるとは限らない。中途半端な気持ちのまま終わることもあるし、不慮の死もある。だから、昔の人は無念の思いが残ると考えたり、天の神さまが哀れんで星座にしてくれると想像したりした。

2012-10-25 10:23:31
茂木健一郎 @kenichiromogi

じじ(7)つまり、人生という「演劇」の筋書きは、断片的であり、脈絡がなく、必ずしも納得のできる結末があるとは限らない。涙や感動はあるだろうが、カタルシスがある保証はない。そのような不条理(absurdity)の中から、人間は、むしろ編集し、意味を見つけていく存在なのだ。

2012-10-25 10:25:58
茂木健一郎 @kenichiromogi

じじ(8)何が起こるかわからない、「今、ここ」にあることに必然性がないという「偶有性」は、演劇の重要なモティーフだが、人生においては、それがよりむき出しのかたちで現れる。人生が「演劇」そのものではないからこそ、私たちは舞台の上に、理想化された「演劇」をつくり、人生を理解する。

2012-10-25 10:28:44
茂木健一郎 @kenichiromogi

じじ(9)人生という演劇の筋書きは、自分で書くのです。あなたが編集するのです。人生の意味は、あなたが見つけるのです。ばらばらの断片、ノイズだらけの現場から、あなた自身が、自分の人生という演劇のカタルシスを見いだすのです。いったん幕が下りても、人生は続きます。人生は演劇より広い。

2012-10-25 10:30:12
茂木健一郎 @kenichiromogi

以上、連続ツイート第755回「人生という演劇の筋書きは、自分で見つける」でした。

2012-10-25 10:30:48

コメント

コメントがまだありません。感想を最初に伝えてみませんか?