備忘録 121027

おしながき ○研究領域のマニアックさと担当科目適合性 ○ぱくりと公共性 ○子供の領分と009 ○クラーク・ケントの転身と天声人語
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「研究領域のマニアックさと担当科目適合性」について

Shotaro TSUDA @brighthelmer

論文の査読について。複数の査読委員がいて、評価が大きく分かれる場合、A(掲載可)をつけた委員はC(掲載不可)をつけた委員より、なんとなく馬鹿っぽく見える感がある。「オマエはこの程度の論文で満足なのか?」と言われている感じ。被害妄想ですか、そうですか。

2012-10-26 23:43:56
Shotaro TSUDA @brighthelmer

というわけで、特に自分の専門からやや外れた論文を見る場合、とりあえずB(修正により掲載可)を付けておき、後は他の委員の反応を見て態度を決めろ、という危険な囁きが聞こえたりして。いやいや、そんな囁きには屈しませんとも。

2012-10-26 23:46:07
Shotaro TSUDA @brighthelmer

これはどの学会でもそうだと思うけど、学会のメインストリームとでも言うべき領域がある。当然、研究者の層も厚い。となると、学会誌の査読で求められる水準も自ずと上がる。他方、査読委員を探すのも一苦労というようなマイナーな領域もある。そういう領域だと要求水準が下がるということはありうる。

2012-10-27 00:12:18
Shotaro TSUDA @brighthelmer

先のツイートではないが、なにせ査読委員も自信がないから、なんとなくBをつけてしまうということがありうるのかもしれない。そんなわけで、査読誌に論文を載せることに必死な若手の研究はえらくマニアックな方向へと流れていく。

2012-10-27 00:14:05
Shotaro TSUDA @brighthelmer

しかし、マニアックな領域で業績を積んでいくと、長い目で見たときに就職により苦労するという事態になりかねない。専門分野が狭いと、大学が求める科目適合性にはまる可能性がどんどんと低くなる。なので、たとえハードルが高くとも若手にはメジャー領域でも勝負してほしいと思う今日このごろ。

2012-10-27 00:18:05
西の彼方 @WestEdgeQ

若手(とくに院生)としては「確実に勝てる領域」で勝負するという傾向はあるんでしょうね~。そうするとマニアックな研究はどんどん増えていきますね。ただ対象はマニアックでも、普遍的な領域、とくにメインストリームの研究に対してどういう示唆を持っているのかは重要な気がします。

2012-10-27 00:18:35
西の彼方 @WestEdgeQ

個人的にはマニアックな研究が増えていくことは良いと思っている。問題はそこから汎用性の高い普遍的な議論が導かれるかどうか。

2012-10-27 00:20:02
西の彼方 @WestEdgeQ

研究分野=教育担当可能分野とすると厳しいでしょうね。例えばメキシコの選挙制度が専門だけど、ラテンアメリカ政治もできますよ!政治過程論もできますよ!っていうのが重要になりますね。 @brighthelmer 専門分野が狭いと、大学が求める科目適合性にはまる可能性がどんどんと低く 

2012-10-27 00:23:32
Shotaro TSUDA @brighthelmer

@toruoga0916 それは大切ですね。大きな構図が見えないマニアックな研究は査読していても辛いので。マニアックな研究でも、そういう構図が見えると確かに面白かったりしますしね。

2012-10-27 00:23:51
Shotaro TSUDA @brighthelmer

@toruoga0916 なので、若手と話すときには、せめて学内紀要でもいいから、幅の広さが見える論文を書いたほうがいいとは言っています。ぼくの恩師からの受け売りですが。

2012-10-27 00:25:49
西の彼方 @WestEdgeQ

@brighthelmer まったく賛成です。ただ問題は学会誌の2万字制限では独自性のある議論を展開して、それを論証・実証してたら、すぐ2万字くらい行ってしまうので、「幅の広さ」とかディシプリンの中での位置づけを示唆しようと思うと、字数を気にせず書ける紀要とか論文集なんですよね。

2012-10-27 00:31:31
西の彼方 @WestEdgeQ

自分の研究成果の反映の場が「教育」だと考える立場と、研究と教育をある程度区別するという立場がありますね。私はどっちでもいいと思ってますが、前者こそが教育であるというイデオロギーには辟易しています。

2012-10-27 13:34:35
西の彼方 @WestEdgeQ

そもそも研究というのは何かしらマニアックなものなのでは・・・。

2012-10-27 01:10:36
西の彼方 @WestEdgeQ

たとえばかなりマニアックな研究をしている場合(仮にシンガポールの選挙制度とします)、自身の研究成果を教えることが必ずしも「比較政治」や「政治過程論」の授業にならない場合があります。

2012-10-27 13:38:38
西の彼方 @WestEdgeQ

そうすると自身の研究から多少離れて幅広い、一般的な意味での「比較政治」や「政治過程論」を教える必要があります。結局は分野に拠るのですが、研究=教育という発想が寧ろ学生さんの選択の幅を狭めてしまう場合がある、ということには自覚的でなければならないと思います(無論限界はありますが)

2012-10-27 13:40:11

「ぱくりと公共性」について

ハヤクネナサイ(:3[_] @glasses_king

ぱくった先が元より、地位や名誉や資産を得ることが完全なる悪なのか常識に固執せず考える。人類は真似して文明を進化させてきたのか、あるいは全く0ベースの直感、ひらめきのみで進化してきたのか。例えば日本語も元は古文、つまり漢字をぱくったものだ、そこに後ろめたさはない

2012-10-27 04:17:34
ハヤクネナサイ(:3[_] @glasses_king

だから私は「ある程度」のぱくりは認めないと人類は進歩しないと考える。シロッコがいうような一握りの天才のひらめきのみで世界が動いているとは思わないし、それが正しいと思わない。そこの線引きをどうすればいいのか、漢字として日本語が生まれたとき誰もパクリと責めなかった。公共性が鍵なのか?

2012-10-27 04:20:21
ハヤクネナサイ(:3[_] @glasses_king

人類のことを考えるなら、過度な市場経済によるぱくり抑制は、文明の停滞をもたらすのではないか。結局は、ぱくることで資産や名誉を不当に得ていることが問題なのだろうから、それが影響している間接的原因は今の資本主義だろう。人間と人間は資本主義において敵同士なのだろうから

2012-10-27 04:24:33
ハヤクネナサイ(:3[_] @glasses_king

周りは皆、道徳感でぱくりはだめ、ぱくる奴は悪としてきている。ぱくって作られた作品で感動することもあることから、ぱくったものという対象ではなく、人間的道徳感、あるいは政治的要素を背景にいる人間に向けた敵意であり、それが問題を複雑にしていると考える

2012-10-27 04:28:14
ハヤクネナサイ(:3[_] @glasses_king

ひとつは人類の進歩によって時代が変わったことがあるだろう。おおよそ昔ではぱくるにも努力と技術が必要だった、それが比較的安価ですばやくできてしまうことに、人類の進歩が加速すると思われたが、思わぬ歪みが発生するようになった。創作とそのぱくりの期間が極限まで短くなった

2012-10-27 04:31:14
ハヤクネナサイ(:3[_] @glasses_king

学術などでは、このぱくり、発表された実績が瞬く間に広がることで、より技術の促進が得られるようになった。これも私はぱくりだと思う、何かを元にしていない学術は少ないだろう。こっちの話はもういいか、言うまでもなく、そこに後ろめたさはない、学術は共有される常識なのだから

2012-10-27 04:34:48
ハヤクネナサイ(:3[_] @glasses_king

だけど、売り物は違う。愕然と違う。例えばMMDですばらしい3Dモデルができたとしよう、それは商品、売り物を参考にしたものだ、そうするともうそこに後ろめたさが付きまとう。これはなぜだろう、いい作品が生み出されているのに、売り物をぱくったせいで価値が損なわれる、これは不思議なんだ

2012-10-27 04:37:44
ハヤクネナサイ(:3[_] @glasses_king

何気なく、ネットに落ちてるソースをコピペして動かしているソフトなど山ほどあろう。それに今はさほどメスを入れられていない。それによりソフトウェア開発は爆発的な速度で進歩したといえる。これが車にいえるなら今頃、空飛ぶ車など出てきてもおかしくない速度で。

2012-10-27 04:42:35