エゴサーチをしていると、当然のことながら自分のことを批判している呟きに突き当たるんだけど、たとえば、わたしが絶賛している作品のことを「こんなもん褒めるのか」とか小馬鹿にしてる人を見つけると、純粋に不思議な気持ちになる。
2010-01-25 02:16:31自分が好きじゃない作品を、わたしなんぞが褒めてたからといって、だからなんだというのだろうか。逆に、自分が好きな作品を、わたしなんぞが「つまんない」と言ったからといって、だからなんだというのだろうか。んー、ただ言いたいだけなの?
2010-01-25 02:21:25でも、実はそんなことを呟いておきながら、なんなのだけれど、わからないではないんですよね。わたしも某著名な書評家が、某有名新聞で石田衣良のなんちゃってSF『ブルータワー』を激賞してるのを読んだ時、「えーっ」と思ったりしたから。ま、そういうことなんでしょうね。
2010-01-25 02:25:08もうひとつ不思議なのは、「トヨザキは××という作家のことを○○という作品では批判してたくせに○○という新作のことを褒めてた」「手のひら返しだ」って怒る人。一度、批判したら、ずーっとその作家のことは否定し続ける姿勢が書評家としての“誠実”なの? そうじゃないでしょうよ。
2010-01-25 02:28:26逆の事態だってあるわけで。わたしはかつて石田衣良作品のことを自分の連載ページで好んで紹介していたし、文庫の解説だって1作したことがあるけれど、今は批判的です。だけど、またいつか「すごい!」って絶賛するかもしれません。要は、1作1作と向き合ってるだけのことなのです。
2010-01-25 02:34:29ヴァージニア・ウルフは書評家のことを「ガター(要約する)&スタンプ(評価を下す)屋」だと蔑みましたが、わたしはせめて自分のできうる限り(脳力も能力も低いのが悲しいんですが)、誠実なガター&スタンプ屋でありたいと願っております。
2010-01-25 02:38:48@toyozakishatyou 「ガター」と「スタンプ」は分析の基本だと思いますし、著者を読者へつなぐメディア(媒介)の基本だと思います。ヴァージニア・ウルフは質の悪い「書評」に悩まされたことを「メディアが存在することが悪い」ととらえてしまっただけではないでしょうか。
2010-01-25 02:51:26@toyozakishatyou つまりトヨザキ社長の書評は「誠実さ」において希有な方だと尊敬しております。ファンの読者(一部の著者も)は「けなす」と怒り、「褒める」と喜びますが、結局同じ行為の表裏だとなぜ気づかない、と思います。
2010-01-25 02:53:38@ItoShinya あ、もちろん、ヴァージニア・ウルフを揶揄したのではありません。尊敬している作家ですし、このガター&スタンプ言説が収録されたエッセイ集『病むことについて』(みすず書房)を読めば、ウルフの書評家観が「ガター&スタンプ」で片づけられるものじゃないのは自明ですから。
2010-01-25 02:56:17@toyozakishatyou お返事ありがとうございます。そのエッセイ集、読んでみます。文学の話はトヨザキ社長に教えてもらうことばかりで、恐縮です。
2010-01-25 02:58:18わたしは粗筋をまとめること=批評だと思っています。というのも、対象作品をちゃんと読み込めている人と全然読めてない人の粗筋紹介って、同じ作品とは思えないほど差がありますから。作品のどこまでを紹介して、どこを引用して――。それはある種の批評行為と考える者です。
2010-01-25 03:00:09「ガター(要約)」に関しては、そんな次第で迷いがないのですが、「スタンプ(評価)」問題は難しいところです。過去の「スタンプ」で後悔していることもあります。たとえば、福永信さんのある作品を批判したことがあるんですが、その後、その“評価”を謝罪の上撤回したことがあります。
2010-01-25 03:04:56でも、いくら後年、謝罪&訂正したって、その時放たれた言説は取り返せるものじゃないんですよねえ。いくつかの胸が痛む「スタンプ」が、わたしにはあります。
2010-01-25 03:06:18@toyozakishatyou 粗筋の表現=批評、というのは全くその通りですね。学生に「自分で読んだ好きな本の粗筋と評価を書け」と課題を出せば、たまたま同じ本でも全然違うのが提出されたりします。学生は評価を読んで採点されると思っているようですが、批評能力の差は粗筋に出ますよね。
2010-01-25 03:09:38最近、書評は積極的にガター&スタンプであるべきだと思うようになりました。実用としての側面が強くあるべきだよなー、と。なので、ぼくが書いているのは書評じゃなくて、なんかへんなものだという認識。
2010-01-25 03:10:26いや、「あるべき」はやめましょうYO! RT @yonemitsu 最近、書評は積極的にガター&スタンプであるべきだと思うようになりました。実用としての側面が強くあるべきだよなー、と。なので、ぼくが書いているのは書評じゃなくて、なんかへんなものだという認識。
2010-01-25 03:15:50@yonemitsu 米光さんとはこういう話、さんざんしてるからわかってくれてると思いますが、ほら、わたしは「正しい書評」否定論者だから。いろんな書き方があっていいんですよ。粗筋まったくなしで、書き手の文章芸で自立してる書評も、わたしは好きです。
2010-01-25 03:17:58わたしが唯一嫌いな書評は、対象作品の手柄じゃなくて、自分の手柄を誇るタイプ。対象作品を無理矢理自分の土俵に引きずり込んで、ちっちゃな自分のつまんない主張を強化するためにその作品をいいように利用するタイプの書評です。
2010-01-25 03:21:23はい。書評とは本の内容と評価を伝えるもので、それは正しい正しくないとは無関係な定義の問題として。 RT @toyozakishatyou 「正しい書評」否定論者だから。いろんな書き方があっていいんですよ。粗筋まったくなしで、書き手の文章芸で自立してる書評も、わたしは好きです。
2010-01-25 03:24:08@toyozakishatyou 「対象作品の手柄じゃなくて、自分の手柄を誇るタイプ。」自己愛が強すぎるのでしょうかねぇ。それは書評の世界だけではないですよ。大学の研究者でもそういう鼻持ちならない人は結構います。そういう人ほど前に出たがるので困ります。
2010-01-25 03:24:46@toyozakishatyou 美術批評の場合は、対象の絵画に迫らずに、自分の得意な分野から比喩ばかりするのは、対象の分析ができない人だからだ、と烙印を押されるらしいですよ。知り合いの学芸員に聞いた話です。
2010-01-25 03:28:54そういうことはないですねえ。わたしにとって小説は、ちっちゃな自分の生活や精神の状況を凌駕する存在なので。 RT @wondergrass 一般の人はその時の生活状況や精神状態で本への感想は大きく変わると思うのですが、プロの書評家さんはそこらへんは解脱して読まれるのですか?
2010-01-25 03:31:11書評はガター&スタンプである。内容を伝えるためにはしっかり読まなければならない。評価・マッピングするためには、そのジャンルの本を網羅的に読んでいなければならない。つまり、書評を書くためには、読む力と、読書量が、必要。と考えてたりします。もういっこ必要なのは読書傾向を示すキャラ。
2010-01-25 03:34:16そう考えると、ぼくは、圧倒的に読書量が足りない。読書量というか、このジャンルは網羅している、この傾向の本ならまかせておけ、というキャラというか、方向付けがたりないので、書評ではなくて、本にまつわる名づけられない何かしか書けないのだなぁ。
2010-01-25 03:45:29