無断転載問題に見る #傍論メソッド
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※関連まとめ
無断転載問題において「被害者と関係のない他人が大勢で無断転載者を糾弾する」のは、無断転載した人が逆ギレしたり無反省で垢消しドロン→新垢で同じ事を繰り返すようなクソだった場合なんだけど、相変わらずわら人形だなあ。https://t.co/tKu3GSmj
2012-10-29 10:36:20ABという二項対立において、より批判されているBが当事者と無関係な大勢に批判される状況を忌避する人は少なくないが、そういう人に限って自分の同調者を求める傾向が強いのは、結局のところ「自分は正しい」って前提があるからなんだろな。
2012-10-29 10:40:52ちなみにこの場合の「自分は正しい」は、「Bを擁護するのが正しい」「Aを批判するのが正しい」「Bを批判する連中を批判するのが正しい」「Aを擁護する連中を批判するのが正しい」と、内実が多岐に渡る。 @tikuwa_ore
2012-10-29 10:43:02例えば「被害者と関係のない他人が大勢で無断転載者を糾弾する」行為を否とするのは、もちろんそれ単体では理解出来る。オレ自身もそれは批判していて、オレのフンドシで相撲取ろうとするヤツは散々ゴルァしてきたし。
2012-10-29 10:45:43しかし、「被害者と関係のない他人が大勢で無断転載者を糾弾する」事を問題にするのと、その大元の無断転載に対する是々非々の問題は別の話で、前者を問題にする人が難儀なのはこの別の問題を(故意の有無はさておき)混同し、無断転載を批判する事そのものを忌避しようとする点。
2012-10-29 10:47:00これは他のケースでもよく見られる話で、「被害者と関係のない他人が大勢で無断転載者を糾弾する」事を問題にする類のメソッドは、詰まるところ「集団リンチを許さないメソッド」でしかない。
2012-10-29 10:48:48「集団リンチを許さないメソッド」がめんどくさいのは、彼らの前提する集団リンチっつーのが共謀・同調圧力・集団心理を理由にした批判に足るモノばかりではなく、単に批判される対象の言動に大きな問題があり、結果として大勢からの批判が集中しただけという自業自得な事例まで含まれている点。
2012-10-29 10:51:14つまり、「集団リンチを許さない」メソッドとは“自分は傍観者で無関係な当事者”という前提に基づいた天上の視点、あるいは“集団で責められる側=弱者、集団で責める側=悪”という歪んだ正義感の発露に過ぎない。
2012-10-29 10:56:47この「集団リンチを許さない」メソッドにおいては、“妖怪どっちもどっち”との親和性が高いのが前者。批判される側の瑕疵を無視ないし軽視し、批判する側を責める場合は後者だね。 @tikuwa_ore
2012-10-29 10:58:41裏を返せば「集団リンチを許さない」メソッドとは、究極のダブスタなんだよね。つまり、当事者以外による苛烈な批判を批判しつつも、自分が当事者以外である事は最初から度外視しているワケだから。
2012-10-29 11:02:56ある対立において、当事者ないしその周辺で侃々諤々と舌戦・論戦が生じている。当事者ではない自分はそこにコミットして批評家ぶるつもりはないが、コミットしている大勢の批評家気取りの連中をdisりたい。これが「集団リンチを許さない」メソッドの正体。
2012-10-29 11:05:44ここまで書いて気付いた人がいるかも知れないけど、先に論じた“妖怪どっちもどっち”もこれに準ずる。要するに「集団リンチを許さない」メソッドとは、“誰にも批判されない立ち位置から、全てを批判するため”のメソッドなのよ。 @tikuwa_ore
2012-10-29 11:12:47より正確を期すならば、「“自分は傍観者で無関係な当事者”という前提に基づいた天上の視点」は「妖怪どっちもどっち」メソッドで、「“集団で責められる側=弱者、集団で責める側=悪”という歪んだ正義感の発露」が「集団リンチを許さない」メソッドと限定されるべきかな。
2012-10-29 11:15:25ただ、この二者の親和性がすこぶる高いのは前述した通り。だから、本質的にこの二者に大差ない。詰まるところ“自分は批判されたくないが、誰かを批判したい”という手前勝手な屁理屈を前提とした、いわば“傍論者”に過ぎないからね。 @tikuwa_ore
2012-10-29 11:17:30というワケで、この手の「自分は誰かを批判したいが、自分はされたくない」「議論にコミットするつもりはないが、外野として一方的に誰かを批判したい」っつー連中を称し、以後 #傍論メソッド と呼称する事にする。
2012-10-29 11:20:00