長谷敏司『BEATLESS』『円環少女』『あなたのための物語』関連のやりとり。
長谷敏司先生とのやりとり。
以下の記事二つ(一つは1年半近く前の記事ですが)で考えたことを要約して伝えさせて頂きました。
○『円環少女』13巻再読。『BEATLESS』との相関についてもいろいろと。
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20121028
○「SFマガジン7月号「伊藤計劃以後」特集が素晴らしい」
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20110525
ここ数時間、長谷敏司『円環少女』13巻を再読しつつ、いろいろ引き写してる。読み返しはもう何度目かわからないのに、泣きたくなるくらい面白い。まず、これだけ笑える小説もない。超シリアスな正念場なのに、いろいろ酷過ぎる。
2012-10-27 03:29:25@hose_s 『BEATLESS』、何より面白いエンタメとして楽しむと共に、多くのことを考えさせられます。この作品を読むことが出来て、まず、嬉しいです。ありがとうございます。
2012-10-27 14:33:01@hose_s そうして考えたことの一つとして。『円環少女』、特に13巻と併せて改めて読んでみると「どちらも信頼とそれに基づく選択の物語なのかな」という感想を持ちました。
2012-10-27 14:33:06@hose_s 共に圧倒的に優れた力(魔法という奇蹟/シンギュラリティの先の圧倒的な計算力)による救済をその価値を思い知らされながらも拒み、そうでありながら相手(魔法使いたちという人間/これまで人類と共に歩んできた道具の到達点としての超高度AI)を信じ共に歩み出す事で終わる物語。
2012-10-27 14:33:13@hose_s また選択する主体としてどちらも「英雄や少数の人々だけではない、その時代に生きる世界中の人々の信頼に基づく選択を描いた物語なのでは」とも。その上でSFマガジン2011年7月号に寄稿されていた「原発事故後の想像力の被災について」が思い起こされました。
2012-10-27 14:33:20@hose_s アラトに託されたのは「想像力の被災」を経て、それでも技術を、共に歩んできた道具を信頼することなのでは。「想像力の被災」後に想像力を扱うフィクションであるSFはどうあるべきか。『BEATLESS』は震災に接して自ら設定された課題への、一つの解答かとも思えました。
2012-10-27 14:33:26@hose_s ただし、『円環少女』でのあの世界の人々の信頼と選択は現代というか、近代人ならではということを十崎京香が13巻p134-135で自らの幼なじみとの恋の終わりと決裂を、魔法使いたちから≪地獄≫と呼ばれる地に生きる人々と神聖騎士団との関係と重ねつつ入念に語ったように……
2012-10-27 14:33:34@hose_s 『BEATLESS』では「ハザード」を収束させた人々の信頼と選択とは、100年後の未来だからこそできるものと描かれている。そのあり方は、想定されている「想像力の被災」のダメージの大きさを物語るものかとも思わされました。
2012-10-27 14:33:42@hose_s 不躾に思いこみを投げつけることはどうかとも思えたのですが、以上は直接伝えもしたい感想だとも思いました。乱文、失礼致しました。
2012-10-27 14:33:49@sagara1 感想ありがとうございます。熱心に読んでいただき、書き手としてもうれしいです。円環少女とBEATLESSがともに信頼と選択の物語であるのは、物語を不信で終わらせることができなかったからでもあります。
2012-10-28 00:07:13@sagara1 (承前)想像力は長期スパンでは必ず被災するものですが、それでも今ここから逃げられるわけではない。どこかで信頼が必要になるが、全幅のそれを今の日本で持つのは厳しいだろうという実感でもあります。10年後には社会が変わって、私も違ったかたちを書いているかも知れません。
2012-10-28 00:12:33@hose_s 「想像力は長期スパンでは必ず被災するものですが、それでも今ここから逃げられるわけではない。どこかで信頼が必要になる」。頂いた返信について今、いろいろ考えているのですが。まず「いわば、そのお話のネガが『円環少女』の武原舞花なのだろうか」と思わされました。
2012-10-28 00:55:08@hose_s どんなに求めるべき未来を想像してそのために戦っても「必ず来てしまう被災」と「今ここから逃げられない」ことを許せず、その上でどうしても「信頼」すること、『BEATLESS』風にいえば「チョロくなる」ことが出来なかった少女で。それゆえに最後に立ちはだかった敵なのかと。
2012-10-28 00:55:39@hose_s またやはり頂いた返信の中の「不信で終わらせることができなかった」についても考えているのですが、元々あの物語を描いた長谷先生の持つ不信もまた強烈だからこそ武原舞花も、再演大系もあれだけ鮮やかだったのかと。
2012-10-28 00:55:54@hose_s そして、以前 @ninomae_fumi さんとのやりとりの中で拝見した「再演世界が作られただろう動機のほうは、個人的には共感する部分もあります」https://t.co/8DCGPk7w という御発言もその線上に乗って来るものなのだろうかと考えたりしています。
2012-10-28 00:56:18@hose_s (なお、(承前)と断りを頂いている中、途中で返信を入れてしまい、すみません。しばらく、頂く返信についてこうして考えを重ねつつ、区切りまで待たせて頂きたいと思います)
2012-10-28 00:58:13「ミスタ・クニキダと言いましたか?」/(中略)/「どんな人でしたか?」/「怒りだっていつか時代に取り残されるくらいの、当たり前のことが認められなかった。そいう、意志の強いひとだったよ」(『円環少女』13巻p151) /うん、舞花だけでなく、国城田も神聖騎士団も、≪雷神≫もそうか。
2012-10-28 01:49:54諦めきってしまえば、どこにだって≪楽園≫の看板はかけられる。 信じられなくても、考えることをやめてしまえば、何にさいなまれることもない、ここは安楽のソノだ。 / 長谷敏司「楽園行き」 「ウルトラQ dark fantasy」に収録 http://t.co/TZ7eKVl9
2012-10-26 17:00:01日記に諸々まとめました。「長谷敏司『円環少女』13巻再読。『BEATLESS』との相関についてもいろいろと」 http://t.co/gEJKgiyY #BEATLESS
2012-10-28 02:51:09「『円環少女』13巻から変態描写を抜粋」http://t.co/GR0fRw1t ついでにこちらも。TL上で延々まじめ一方の話ばかり書いてきましたが。『円環少女』は大量の変態が狂態をさらし続ける小説でもあります。13巻から変態百鬼夜行の部分を抜き出してみました。
2012-10-28 02:56:40『円環少女』で武原舞花(も国城田も神聖騎士団も東郷永光も《雷神》も)がどうしても許せなかった「戦いも怒りもいつかは過去になる」こと。そしてそれを乗り越える応答としての「今、ここ」での信頼と選択。それらについて考えながら、『秋の花』での問いかけと、その前後とを思う。
2012-10-29 15:57:06「私達って、そんなにもろいんでしょうか」/円紫さんは回しかけたエンジンキーを停めて私を見た。/深い目だった。そして私のために真剣に言葉を探してくれている目だった。/「もろいです。しかし、その私達が、今は生きているということが大事なのではありませんか。
2012-10-29 15:57:10