お江戸で暇した大名は何をするのか

お江戸で暇した大名は何をするのかまとめました。
7
@miohiroko

0658[武家]大名の江戸暮らし。参勤交代で常に半数の大名が江戸に滞在するが、そのうち幕府の役職に就くのは僅か。多くは無役のままである。定例の総登城以外はほとんどすることがない。では、無役の殿様たちは江戸にいる間はなにをしていたか。

2012-11-01 19:32:16
@miohiroko

0659[武家]大名の江戸暮らし。登城日は午前中がそれで潰れるのでよい。登城しない日はどうしたか。朝食後、1~2時間ほど政務。江戸時代はすでに現代と同じく書類万能で、担当者、責任者の決裁が無ければ物事は進まなかった。形だけとはいえ、大名の認印が必要。印といっても花押だ。

2012-11-01 19:37:13
@miohiroko

0660[武家]大名の江戸暮らし。下から上がってきた書類に対し、家老(江戸家老)や他の重役から説明を受け、花押をしたためる。何か問題がある時は会議を開くが、江戸滞在中はめったにそういうことはなかったし、ないようにした。自分の領内のもめごとが江戸表に聞こえてはならないからだ。

2012-11-01 19:41:05
@miohiroko

0661[武家]大名の江戸暮らし。政務が済むと、医師の診察。将軍は朝、政務の前にこれを受けたが、大名は後回しだったようだ。午後。将軍さえ羨むほどの完全自由時間。そのため、学問や武芸に励んだり、趣味に没頭したりした。中には数人の供を連れて市中に出歩く殿様もいて、書物を求めたり俳諧→

2012-11-01 19:45:43
@miohiroko

→や書画の会など、身分に関係なく無礼講で集まった趣味の会に参加したり、はては吉原に繰り出す人までいた!

2012-11-01 19:46:56
@miohiroko

0662[武家]大名の江戸暮らし。幕府の命令で将軍のお膝元に滞在し、その間は幕府の公務を担う身でありながら、まるで若旦那、放蕩息子のような暮らしは無礼と思うかもしれない。しかし、担うべき公務がないのだから、幕府でも遊ぶなとは言えない。おかげで、町人と大名が融合して、文化文政の→

2012-11-01 19:50:30
@miohiroko

→華やかな文化風俗が現出した。殿様や重役たちは町人のように打ち砕け、町人たちは武家の雅な世界を拝借して気取ってみせた。身分を超えた平等世界が限られた場ながら生まれてきた。

2012-11-01 19:53:28
@miohiroko

0663[武家]大名の江戸暮らし。ただし、夜更けまで外で遊ぶことは厳禁。意外と知られていないが、武士は下級に至るまで夜は自宅にいなければならず、門限はものすごく早かった。武士はあくまで警護や戦闘のための要員。非常招集に備えていなければならない。居所を明確にすべく夜間の外出は禁止。

2012-11-01 19:57:57
@miohiroko

0664[武家]大名の江戸暮らし。夜。若い殿様なら跡継ぎを作るべく夜の営みをするが、これが将軍と同じく、監視の中で正室や側室と交わらなければならなかった。翌日にはその様子が報告されるのも将軍と同じ。当時は身分が高い者ほど窮屈というのはこの一事でも痛感される。

2012-11-01 20:02:26
@miohiroko

0665[武家]大名の江戸暮らし。食事について。江戸初期は豪華な屋敷とは裏腹に、食事は粗末だった。常在戦場、ろくな食べ物が無かった戦国の世を尊ぶ気風が強く残っていたため、殿様といえども一汁二菜。それこそ漬物とみそ汁だけといった感じだった。

2012-11-01 20:27:30
@miohiroko

0666[武家]大名の江戸暮らし。しかし、次第に泰平の世に慣れ、江戸にいろいろな食材が入るようになるにつれて、贅沢なものとなっていった。鯛や鰹をはじめ、ヒラメ、昆布、かまぼこ、鶏肉まで並ぶようになった。この時点で将軍の御膳より豪華だ。

2012-11-01 20:30:40
@miohiroko

0667[武家]大名の江戸暮らし。食事は豪華になっても、殿様の口に入るまでには台所奉行、さらには毒味役によるチェックが入るため、すっかり冷めてしまった。これも将軍と同じ。冷めてまずくなっても、殿様は残してはいけない。こぼしたものは拾って食べる。先述のようにそういう躾がされたから。

2012-11-01 21:01:57
@miohiroko

0667[武家]大名の江戸暮らし。仮に、ご飯でもおかずでも何か残した場合、それは台所方、料理人の責任問題になる。殿が残すようなまずいものを作るとは何事か、と。まずいもなにも、毒味で冷めてしまうのだから、それは制度の問題。しかし、あくまで料理した者の責任となった。

2012-11-01 21:04:55
@miohiroko

0669[武家]大名の江戸暮らし。が、責任というのは上の者の胸先三寸でどうにでもなるもの。タテマエ上はそうでも、食事ごときで責任問題にするのは主君として大げさであり、恥ずべきこと。ましてや他藩や世間に対して外聞も悪い。そのため、どんなにまずくても殿様は残さず食べなければならない。

2012-11-01 21:07:16
@miohiroko

0670[武家]大名の江戸暮らし。些細な事、上の者がちょっと我慢すればそれで済む事、これをわざわざ世間に向けて「これは問題だ、責任を厳しく明らかにしなければならない」とトップが言うと、世間の一部は勇ましく思うだろうが、自分の狭量さをわざわざ見せつけているのであり、人心は離れる。

2012-11-01 21:10:35
@miohiroko

0671[武家]大名の江戸暮らし。責任は、それぞれの地位や役職で負うべきものがある。が、それ以上のこと、筋違いのことまでその者に負わせるのは、上の者としての責任転嫁であり放棄である。殿様の教育や躾を見るたびに、今の「自己責任」論が上位者の無責任の極みに思えてならない。

2012-11-01 21:13:49