ことのついでに『豊饒の海』の初版を引っ張り出してパラパラ読み出す。これは余計なことか・・・読み続けるか止めるか・・・他に仕事もあるし・・・しかし、なんてひどい装丁だろう・・・と、子どもの時も思ったが、この出鱈目な鹿や像の足のデッサン!になんの理由があるんだろう・・・
2012-11-01 02:20:28ちなみに、暁の寺は、タイにいた時、殆ど毎日登って座っていた「塔」なんで・・・あれは遠くから見るべきものだ・・・に、しても実はあの割れたお皿の張りぼてみたいな塔は嫌いじゃない・・・陽に照らされ臭い立てるナンプラーそのままの臭いの河風に吹き過ぎられる塔・・・
2012-11-01 10:42:42職場でバイクの鍵を紛失。探す。即効で発見。キーにはキッカーランドの黒ネコが着いている。それが野原のマンホールの所に待っているように座っていて二十メートル先からこっちを「見ていた」。僕はいい加減なくせに、結構こういうもんを失くさない。失くしても即効で見つかる。だから何ってことはない
2012-11-01 17:03:28石井桃子さんのイギリス民話の翻訳ついでに、ウィトゲンシュタインの『宗教日記』からの抜粋と水性動物の「透明標本」を主にした『透明な沈黙』って本を神戸の駅前の本屋で衝動買い。奇麗な本だ。本当は蝶の写真が沢山の奇麗な本が欲しかったのだが、何も置いていなかった。ナボコフ・・・
2012-11-01 17:11:25意図的誤訳って、意味ありげで誤解しないように。ナボコフの『ロリータ』の有名な一節がフランス語訳だと、直訳すると先ほどのようになることに、まあ、フランス語って不思議な言い回しになるなあ、と思っただけの話。因に日本語訳だと「殺人犯というものは決まって凝った文体を用いる」とかになります
2012-11-01 21:00:46周知のようにその言葉の直前の文を直訳すると「何年前かというとロリータが生まれる何年も前、その年の数は、私にとってその夏が人生で何回目の夏だったか、それとほぼ同数になる」という何とももって回った言い回しの文で、僕らはナボコフで時折迫られる推定の「偽の算数」に巻き込まれることになる
2012-11-01 22:06:14むろんこの算数は簡単にすぐ「あの夏」がたぶん「私」が13歳になった年だと分かるのだから「今から何年前か」は「私」が書いている今の年齢から簡単に答えが出る。しかし同時に「私」にとって「決定的なこと」がほぼ12年ごとに起こる、かのように見え始め、などと計算を始めると、「巻き込まれる」
2012-11-01 22:21:27友人宅に行くとコーヒーはほぼ必ずドリップ式やらのきちんと(?)したのが出ますが、僕にとってコーヒーはネスカフェ、しかもゴールドブレンドが望ましい。エーベルバッハです
2012-11-02 10:43:10たとえば三島の読者なら或はいささか食傷するかも知れない一節「・・・そしてこの生を奥底のはうからゆるがす魅惑は、實は必ず、生ではなく、運命につながつてゐた」みたいなのを読んで、ふいにドゥルーズに対してフーコーが語った言葉を思い出す。確かフーコーの死後に書簡のような短文で書かれたもの
2012-11-03 04:58:07「私とフーコーの間の大きな違いがあるとすれば、彼が快楽に憑かれていたのに対して、私は欲望を採るだろうという点です」というようなものだったと記憶する。あくまでも今不意に思いついた「夜中の思いつき」に過ぎないことを断っておくが、この「欲望」を「生」に「快楽」を「運命」に置き換えてみる
2012-11-03 05:10:58言うまでもなく「運命」とは「死」である。要はドゥルーズの「哲学」が「生」の一種の絶対化に向けられていたとすれば(それはまた不思議な生であるのだが)フーコーのそれは「死」に差し向けられ収斂する類いのものだった。そんな思いつき。フーコーには「かくも単純な快楽」という奇妙な自殺論がある
2012-11-03 05:12:14しかし現実には、「事情はともあれ」、ドゥルーズは自殺を選び、フーコーは病死したので、ここに不思議な逆立の交差があって・・・と、まあ、色々無益な思いつきは進む訳です
2012-11-03 05:21:43・・・フーコーは若い時(アルコール依存に悩んでいた頃?)、友人と、ブロッホの『ヴェルギリウスの死』に基づいた楽劇を作る計画を、まあ思いつきでしょうが、持っていたはず。
2012-11-03 05:34:04『春の雪』、空疎すれすれの冷えた雅文は相変わらず入り込みづらいけれど、まあ、あの調子で原稿用紙で言えば1000枚近くを通した力はやはり異様。文そのものをガラスか水晶細工として通してしまう、小説的完成度というのとは異質の「体力」への驚き。という訳で『奔馬』も読み始めてしまう・・・
2012-11-04 09:26:04寺田透さんが、特に『奔馬』に関して、「気持ちの良くない傑作」というような妙な言い方をしていた記憶がある。気持ちはわかる気はする。「神風連」とかの「神道ファナティズム」のエピソード。しかし考えてみれば、これが「カトリック・ファナティズム」なら「気持ち悪くない」のかと言われればどうか
2012-11-04 10:53:46『豊饒の海』そのものは、誰もが言うように最終巻が予定の一年近く時間を短縮して書かれたということもあってか、最後で希薄になり、破綻していると思う・・・にしても、しかし、読者への接近の意志を切り落とした、客観視の難しい「異常な作品」ではある。
2012-11-04 11:36:58「インター・テクスト」なんて言葉が流行った?ことがあるが、その伝で僕は『天人五衰』の「中に」例えば(あくまで例えば)安部公房さんの『箱男』や『密会』『さくら丸』『カンガルーノート』を投げ込んで膨らませてしまう・・・とかで読んだりする
2012-11-04 11:45:26たまには「らしく」。京都で朝吹真理子/鈴木創士の対談講演聴講。フランソワ・ビュルランというフランス系スイスの画家を巡るもの。現代絵画においいてどうこうというタイプではないが、じっと見ていると色々発見のある面白い画家ではある。四方田犬彦は体力は落ちたが元気文筆業に専念という話。慶賀
2012-11-05 03:45:53今日届いた古本には「熊本大学付属図書館」の青い図書館印が何カ所もうたれていた。図書館が重複蔵書を処分するのは珍しくなくこれも盗品ではなく正式の処分本だった。しかしそれが「熊本」の文字を負っているのに一瞬だけ変な気分になる。先ほど『奔馬』の「神風連」の史話の部分を読んだばかりだった
2012-11-05 23:46:56因に届いた本はヘルダーリン全集! だから何だということはないけれど、「熊」の字とヘルダーリンの関係を意味なく考えてしまう(?)。ちなみに僕はバッグに熊よけの鈴をぶら下げている・・・何故か鈴の音が好きで(?)、ほんとはギリシア製かスイス製の、羊の首に下げる鈴みたいなのが欲しいところ
2012-11-05 23:52:15