2012年11月8日

どうしたら「デマ」「流言」をなくせるのか?(1)――遠山茂樹ほか(1959)『昭和史[新版]』より

 3.11以後、日本では、根拠のない「デマ」や「流言」がたびたび問題になりました。風評被害しかり、チェーンメールしかりです。   しかしながら、歴史的に見れば、「デマ」や「流言」が問題になったのは今回がはじめてではありません。  どうしたら「デマ」「流言」をなくせるのか?――この問題に戦前・戦中のひとびとは言論統制というかたちで解決を与えようとしました。  そこで、以下では、この言論統制のようすを見てみましょう。それによって、現代の問題をどのように考えればいいかの参考になることを期待しています。  まずは、約半世紀前のベストセラー、遠山茂樹・今井清一・藤原彰(1959)『昭和史[新版]』の記述からの引用です。 続きを読む
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dabitur @dabitur

[book] 言論統制とは何だったのか。今日はこのへんをひとつ。この本は当時のベストセラーで、私の手元にあるものは1986年で38刷を重ねている。 / 遠山茂樹・今井清一・藤原彰(1959)『昭和史[新版]』 http://t.co/JELVhD13

2012-11-08 01:58:53
dabitur @dabitur

[quote] 「言論統制の強化」「戦争体制は経済統制にとどまるものではなかった。国民が戦争を批判することはもとより、戦争にわずかの疑問をもつことさえないように、いっさいの民主的な組織や思想を、ねこそぎにとりのぞこうとした」(遠山茂樹ほか(1959:163))

2012-11-08 02:00:01
dabitur @dabitur

[quote] 「日中戦争がおこると、政府は三七年九月から国民精神総動員運動をはじめた。『八紘一宇』『挙国一致』『堅忍持久』などのスローガンのもとに、消費節約、貯蓄奨励、勤労奉仕、生活改善を説教した」(遠山茂樹ほか(1959:164))

2012-11-08 02:01:02
dabitur @dabitur

[quote] 「古手の軍人・官僚を幹部にし、『興亜奉公日』(三九年九月一日より実施、毎月一日)を設定して、梅干一つの『日の丸弁当』を強制したり、あるいはパーマネントをやめさせ、国民服やモンペ姿を男女の制服としておしつけたりした」(遠山茂樹ほか(1960:164))

2012-11-08 02:01:56
dabitur @dabitur

[quote] 「〔これらの〕教化運動は、国民の心をひきつける点では、力あるものではなかった。しかし『ぜいたくは敵だ』というスローガンで、国民ひとりぴとりの私生活までお互に監視しあう風潮をつくり出し」」(遠山茂樹ほか(1959:164))

2012-11-08 02:04:12
dabitur @dabitur

[quote] 「また貧しい人々が常日頃いだいていた富者への反感を、耐乏生活への率先協力という形に流しこんで階級意識をねむらせるなど、国民統制に大きな役割をはたした」(遠山茂樹ほか(1960:164))

2012-11-08 02:05:06
dabitur @dabitur

[quote] 「三八年五月には、『交隣相助、共同防衛』の目的をもつ隣組制度が制定された。これは三五年* 隣保組織の整備が指示されたのが手始めであるが、ついでこの時期には、兵士の見送りや遺族・留守家族への救援活動によって、町内会・隣組の組織と機能が強められた」(ibid.)

2012-11-08 02:06:54
dabitur @dabitur

[quote] 「隣組は、『国策』への協力に向って相互に監視・強制をおこなわせるしくみであって、政府の統制の受けいれ地盤となったのである」(遠山茂樹ほか(1959:164))

2012-11-08 02:07:49
dabitur @dabitur

[quote] 「〔くわえて〕政府や軍部は、思想戦の必要を強調し、言論機関の利用・統制、文化人の動員に力をそそいだ」(遠山茂樹ほか(1959:165))

2012-11-08 02:08:42
dabitur @dabitur

[quote] 「陸海軍報道部は、多くの作家を『ペン部隊』として戦場におくり、ルポルタージュを新聞・雑誌に掲載させた」(遠山茂樹ほか(1959:165))

2012-11-08 02:09:24
dabitur @dabitur

[quote] 「火野葦平の『麦と兵隊』(『改造』1938年8月号)に代表される従軍作家の作品が国民に迎えられたのは、たんに軍部の宣伝に奉仕したというだけではなく、そこにえがきだされた戦場風景や兵士の生態が、出征兵士の安否をきづかう銃後国民の気持をとらえたからであった」(ibid

2012-11-08 02:10:04
dabitur @dabitur

[quote] 「しかし一方では、石川達三の『生きている兵隊』(『中央公論』1938年3月号)のように、いささかでも戦争の非人間性をえがき、戦意昂揚のさまたげになると判定されたものは発禁にされた」(ibid.)

2012-11-08 02:10:38
dabitur @dabitur

[quote] 「新聞社は戦況記事と戦場写真の速報をきそったが、各大新聞社では千人ほどの多数の記者を特派した。短波無線、航空機、電送写真の機械力を駆使したことは、満州事変の比ではなく、この報道競争を通して大新聞は中小新聞を圧倒した」(ibid.)

2012-11-08 02:11:21
dabitur @dabitur

[quote] 「新聞やラジオが農村のすみずみにまで普及したのもこのころであり、ニュース映画も広くみられるようになった。この趨勢にのって、政府は新聞・映画の統制を強化し、戦争協力を強要した」(ibid.)

2012-11-08 02:11:45
dabitur @dabitur

[quote] 「この趨勢にのって、政府は新聞・映画の統制を強化し、戦争協力を強要した。三八年九月からは新聞・雑誌用紙の制限をはじめ、用紙節約の名で一県一紙をめざして新聞の整理統合を指導し、言論統制の基礎をつくった」(ibid.)

2012-11-08 02:12:07
dabitur @dabitur

[quote] 「「雑誌の内容が日中戦争を契機に国家主義的色彩をましたことはいうまでもなかった。とくにマルクス主義や英米思想に対抗する『日本的なもの』や東洋思想の再検討を論ずる論文が、綜合雑誌の中心テーマの一つとなった」(ibid.)

2012-11-08 02:12:45
dabitur @dabitur

[quote] 「この場合、日本ないし東洋の伝統的精神を狂信的に説く超国家主義者を批判し、民族文化のもつ合理的精神や世界史的普遍性を指摘することで良心を表明する論者も少くはなかった」(ibid., p.165f)

2012-11-08 02:13:35
dabitur @dabitur

[quote] 「しかしこの種の論説の中には、白人支配を排撃してアジア諸民族の連帯をとく東亜協同体理論があらわれ、次第に日本の中国侵略を合理化する効果を生むようになった」(遠山茂樹ほか(1959:166))

2012-11-08 02:13:55

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