ねぼ
@nebonebo7
昨日また何処かのTLで「誰が言ったかではなく何を言ったかだ」ってのを見た。これ自体に誤りは無いのだが実際には大いなる勘違いや詭弁である場合が多い。コミュニケーションにおいて言葉ってのは「誰が」「何を」「誰に」言ったかの3つがセットになって意味が有るからだ。
2012-11-02 10:17:11
ねぼ
@nebonebo7
確かに「何を」と言うのは重要で「何を」は独立して意味を持ちうる。十分に事実検証され論理的整合性が高い「何を」については様々な場面で応用が可能からだ。だがその正しさや有意性については「誰が」言ったかに依存するケースは多い、医者や弁護士などの高度な専門職にあてはめてみるとよく解る。
2012-11-02 10:17:26
ねぼ
@nebonebo7
また「何を」は応用性が高いので、「おばあちゃん言っていた」と発言者責任をうやむやにして伝えられても意味のあものになるが、現実問題としてそれは「誰か」がその言葉を借りて「何か」を言いたかったにすぎない、そう「何を」では無く「何か」こそが現場で意味を持つのだ。
2012-11-02 10:17:37
ねぼ
@nebonebo7
つまりそれがコミュニケーションの場である限り言葉は常に「誰かが誰かに何かを」伝えようとしたもので、その「何か」さえ伝わるのであれば言葉自身の「事実検証」や「論理的整合性」が多少怪しくても、その場限りであれば問題はないのだ。
2012-11-02 10:17:47
ねぼ
@nebonebo7
逆に言えばコミュニケーションの場において発言者の伝えようとした「何か」をとらえようとせず「何を」に拘り極端な「事実検証」や「論理的整合性」を要求するのはディスコミュニケーションであり、そこから生れた言葉がその場にたいして意味を持つ事は少ない。
2012-11-02 10:17:59
ねぼ
@nebonebo7
結局のところ言葉の意味を作りだすのは最終的に「誰に」にあたる受け取りてであるのだ。コミュニケーション参加する我々は善き受け取り手でありたいと自戒を込めて願う。
2012-11-02 10:18:16