「対等な恋愛関係」に対する懐疑論

「対等な恋愛関係」なんて本当にあるのか?「対等な恋愛関係」なんて、そもそも追い求められるべき理想ですらないのではないか? という個人的なつぶやきまとめ
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wagu @wagu108

.@crowserpent さんの「『恋愛を降りる(あるいは降ろされる)』ことと『らしさ』の抑圧性」をお気に入りにしました。 http://t.co/Sjp8IL5z

2012-11-03 21:28:29
wagu @wagu108

「対等で、信頼のある恋愛」ができないなら、たんにしなければいい」ような気もするが、「対等で、信頼のある人間関係」と置き換えてみたらどうか?親子関係ならどうなるのか?対等でない人間関係は常にあるべきではないのか? http://t.co/Sjp8IL5z

2012-11-03 23:17:28
wagu @wagu108

「対等で信頼のある人間関係が築ける人はこの指止まれ。そうでない人は引きこもってね」という主張を一般的にすれば、子どもたちは全員引きこもることになる。そして、成長というものは、一直線に果たされるものでもないのだ。

2012-11-03 23:27:20
wagu @wagu108

「対等で信頼のある人間関係」というのは簡単だが、なんかちょっと怖い人とか近寄りにくい人とかいますよね。そういう人と「対等な人間関係」が築けない場合、「ちょっと怖いあの人」が悪いのか、それとも「臆病な自分」が悪いのか。現実というのは常に微妙だ。

2012-11-03 23:30:10
wagu @wagu108

人間関係が非対称にならざるを得ない場合は、多々あるし、当事者たちが非対称であることを望む場合もあるだろう。対象な人間関係を築きたいんだという場合には、そういう相手を探さなければならない。しかし、そうしようという人が、非対称であることを望む人を馬鹿にする資格があるのだろうか?

2012-11-03 23:42:08
wagu @wagu108

「馬鹿にする」という言い方をあえてしたけれども、まあ、微妙なところだと思う。

2012-11-03 23:44:32
wagu @wagu108

@wagu108 「対等で、信頼のある恋愛」というのは疑問で、「対等な関係を築いていたけれども相手が病気で寝込んでしまいました。意識が戻るかどうかもわかりません。こんなのは対等とは言えません。じゃあ、さようなら」というのはそもそも恋愛と言えるのか?たんなる利害関係ではないか?

2012-11-07 23:27:57
wagu @wagu108

パートナーに対して自分が劣っている点も優れている点も常にあるはずだ。総合的に自分が劣っていることはありうるし、勝っていることもありうる。その辺の評価も難しいが、しかし、「対等」とはそもそも何か?どちらかが依存するような関係は、間違っているのか?

2012-11-07 23:30:16
wagu @wagu108

相手に依存するような関係が間違っているというのであれば、自分が寝たきりになったら自分は恋人の庇護にならずに、公的な施設の世話になるべきだし、相手がそうなったら介護を委託すべきだということになる。それは当然選択肢の一つだけれども「すべきだ」というのは、おかしいような気がする。

2012-11-07 23:33:36
wagu @wagu108

そういやあ、『ラーゼフォン』で「すべての人間関係は利害関係だ」みたいな台詞があったけれども、「対等」というのが利害関係の均衡を意味するのなら、ましてや「利害」が貨幣で測られるとするのなら、人間世界は極めて非人間的になるのではないか?

2012-11-07 23:38:50
wagu @wagu108

非対称的な・対等でない人間関係はあるし、実際には必要だ。それは例えば「ケア」「看病」「親子関係」である(いじめ・搾取はあってはならない非対称な人間関係だろうけれども)。恋愛関係が、そうした非対称な関係に移行することもあり得る。その非対称性を正当化するのは、人間の「尊厳」だろう。

2012-11-07 23:43:13
wagu @wagu108

役に立たない人間だって生きていていいし、生きていって欲しいとみんなから望まれるというのが「人間の尊厳」なのだと思う。「対等な関係が築けないから」「コミュ力が不足しているから」「人目につかないように生きるべき」というのは、「人間の尊厳」を認める態度とは思えない。

2012-11-07 23:45:57
wagu @wagu108

@wagu108 では誰が「役に立たない」彼の相手をすべきなのか?彼と縁があった者に、その第一義的な役割が振ってかかるのだろう。公的なサポートはもちろんあるべきだけれども。

2012-11-08 00:11:04
wagu @wagu108

@wagu108 相手よりも優れている場合も、劣っている場合もあるし、依存している場合も依存されている場合もある。しかし、そのいずれであっても、相手に対する基本的な敬意を持つことはできる。必要なのは、敬意であって「対等であること」ではない。そういうことなのだろうか?

2012-11-08 22:12:23
wagu @wagu108

彼が尊厳を認められるべき存在であるならば、コミュ力不足だろうと、生活保護受給者だろうと、基本的な敬意は払われるべきだ、ということだ。だから「彼の尊厳」と「彼が払われてしかるべき敬意」がセットになっている。逆に言えば、「対等だから敬意を払うべき」なのではない。ということだ。

2012-11-08 22:17:52
wagu @wagu108

ある人が「敬意を払われるべき」条件は、彼が尊厳を有することである。そして彼は人である以上尊厳を常に有する。だから、彼は常に敬意を払われるべき存在である。けれども、そうでないことは多々ある。なぜか? 一つ言えるのは、「敬意を払うこと」には学習が必要だということ。

2012-11-08 22:27:40
wagu @wagu108

ごく、幼い子どもは親に対する感謝の気持ちを持たないと思われるが、成長にしたがってそれを学ぶ。親孝行したいときには親はなしなどども言うけれども…。人が人に対して持つべき敬意というのも、学んで身についていくものだろうし、ということは、何かのはずみで忘れてしまうこともあり得る。

2012-11-08 22:32:06
wagu @wagu108

彼は「生活保護受給者なので」「大人なのにプリキュアが好きなので」「犯罪者なので」最低限の敬意にも値しない。などと考えてしまうものだが、そうではない。そうではないことは、気をつけないと忘れてしまう。

2012-11-08 22:37:36
wagu @wagu108

まあ、「最低限」がなんなのか、という話でもあるけども。

2012-11-08 22:38:47
wagu @wagu108

「対等で、信頼のある恋愛」という話がスタートだった。「対等で信頼のある」という言葉をきくと、常に「対等」な関係をイメージしてしまうが、実際にはそんな静的な関係はありえず、常に関係はあらゆる仕方で流動し性質を変えていく。この辺は、おそらく「言葉」がもたらす錯覚があるように思う。

2012-11-08 22:49:13
wagu @wagu108

「対等で、信頼のある恋愛」と言えば聞こえはいいし、できるならそうあるべきだと思うし、そんな関係を結ぶ自信がないと言う人に対して「卑屈になるな」とか「自信がないからと言って居直るな」と言う気分もわかるのだけど、それは生活保護受給者を叩く感性と同じなのではないか。

2012-11-08 22:53:17
wagu @wagu108

誰しも幼い頃は「対等な関係」なんて結べないし、今は「対等な関係」を結べたとしても、ちょっと気がふさげばそれは難しいかもしれない。また将来において「対等な関係」を維持できなくなるかもしれない。これは「努力の手が届かない」レベルの話だし、努力の背景には、恵まれた環境があるものだ。

2012-11-08 22:57:55
wagu @wagu108

@wagu108 「対等な恋愛関係」は同性愛にしかあり得ないという文句を聞いたことがある。男女間では常に権力関係が生じてしまうというのだ。しかしそれなら、年齢・人生経験・体格差も影響するだろうから、完全に「対等な関係」とはそもそもあり得ない形而上学的概念という事になるだろう。

2012-11-09 22:38:25
wagu @wagu108

ぼくが「対等な恋愛関係」ということで思い浮かべるのは、「完全に有徳な人は友人を持ち得ない」というお話である。愛している友が困っている。彼を助けたい。しかし彼を好きだから助けるのであっては、欲望に従っているに過ぎず、有徳とは言えない、というわけだ。

2012-11-09 22:39:40
wagu @wagu108

「彼を好きだから助ける」というのがよろしくないのは、利己的な欲求に従っているから道徳的ではない、ということである。しかし、恋愛関係においては相手が「好き」だから成立しているわけである。ということはあらゆる恋愛関係は非道徳的なのか?

2012-11-09 22:53:02