無断転載とそこに介在する意味性についての批評

TLで無断転載にどのような意味性があるかについての言及を見かけましたので、批評してみました。半分自分用です。 @naonanigashi氏の批評掲載も致しました。批評が並列に見えるよう、カラーリングは致しません。
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これを読む方は次の点に注意してください。

守れない方は読まないことをお勧めします。

紅蓮の猫 @lotusredcat

まとめの有意性を上げるために現在改変中です。また、なにがしさんに突撃するのは、まとめの有意性を下げる行為ですので辞めて下さい。

2012-11-11 17:58:31
紅蓮の猫 @lotusredcat

これは批評と批評のまとめなので、例えそこに批判されるべき事象があったとしても、有意性確保の障害になるならば、なにがしさんの人格攻撃は避けるべきです。

2012-11-11 17:59:32

なにがしさんの批評

なにがし @naonanigashi

作品は、その元データの情報から解放されて、ひとり歩きをはじめてからが本番なんじゃなかろうかなぁとか。そういう意味では新聞紙の切り抜きという喩えは当を得ていると思うけれど、その状態で価値を見出すか否か、というあたりにひとつ、趣味嗜好の相違があるのだろう。

2012-11-10 21:42:12
なにがし @naonanigashi

以前どこかで書いたように、自分の手がけた作品が他者の手を渡り渡っていって、やがて誰のものともしれない都市伝説に成り果てるというのが一種の理想系であったりもする。

2012-11-10 21:44:18
なにがし @naonanigashi

もちろん、自分の作品≒子供≒自分自身が切り刻まれるのに無条件の忌避感を覚えるという立場も理解できるけれど、程度の差はあれ、もとよりそれは他者の目と脳を通す以上避けられないことだし、いわんやことネットに置いておや、情報は光の速度で細切れの解体と再構成を繰り返されているわけで。

2012-11-10 21:53:23
なにがし @naonanigashi

気持ちの部分っていうのは大事だけれど、それを守りきることに拘るなら、システムの冷酷さから遠ざかって、自分の殻に篭る他に結局ないと思うのだよね。あるいは、悟りでも開いて、自分という括り自体を手放してしまうか。

2012-11-10 22:02:04
なにがし @naonanigashi

他者の領分を無思慮に踏みつけるくらいならば、という話か。

2012-11-10 22:06:02
なにがし @naonanigashi

ネットを使い続ける以上それが避けられないなら、むやみに逆らうよりもそちらに考えの主軸を移してしまった方が、面白いもの見られるんじゃないかなーという、そのくらいの立ち位置。

2012-11-10 22:23:31
なにがし @naonanigashi

額縁に飾っているか否かで、その価値が左右されるわけでもなし。

2012-11-10 22:57:34
なにがし @naonanigashi

無限複製が可能な状況においては、「オリジナル」に拘わること自体がもはや不可能なのだから、そこに尊厳の根拠を求めること自体から離れてみればいいんじゃないかなー、なんてね。それに耐えうるイデアを形作るまでには相応に苦労はあるだろうけれど、そのあとはどれだけ刻まれたって

2012-11-11 00:26:33
なにがし @naonanigashi

続)刻まれたって、材料がその人のものである事実は揺らがない。もちろん、その刻み方が無粋である、不快である、という話であれば個人の抱く感情としてもっともだけれど、それはまた別の事柄(リンクするのも人情故避けられないだろうけど)

2012-11-11 00:30:38
なにがし @naonanigashi

無数のドッペルゲンガーのひとりとして埋もれてしまうのを恐れるんじゃなく、その全員が私だ、と言ってしまえばいい。

2012-11-11 00:42:20

批評1

紅蓮の猫 @lotusredcat

なにがしさんの意見読みましたので、反論してみます。

2012-11-11 16:45:04
紅蓮の猫 @lotusredcat

①まず、作品が独り歩きしていくことは、必ずしも、著作権と矛盾していくことではありません。現に、著作権が切れた後の作品は、パロディやオマージュと言った形で、新しく生まれ変わることがあるからです。著作権はその可能性を否定するものではありません。

2012-11-11 16:46:08
紅蓮の猫 @lotusredcat

②著作権の効力が効いているうちに、作品は独り歩きしないかというとそうでもありません。何故なら、作品と作者は既に別物であり、また、作家は作品のために表現をしているわけでなく、表現のために作品を作っています。その意味で、作家=作品ではありません。

2012-11-11 16:47:23
紅蓮の猫 @lotusredcat

③では何故、作家=作品と見えるかと言うと、それは第三者から見た時に、作家が作品を作っているという前提があるからです。つまり、作家にとって作品=自分ではないにも関わらず、観覧者にとって、作品=作家という齟齬が生まれているにすぎないわけです。

2012-11-11 16:48:33
紅蓮の猫 @lotusredcat

④故に、無断転載を擁護することで、作家と作品が分かたれるという発想は、「既に作品と作家が別物である」という前提を、より分かりやすくしているに過ぎず、そこに著作権を侵害するほどの有意性を見出すには、別な要因が必要と考えます。

2012-11-11 16:49:41
紅蓮の猫 @lotusredcat

むしろ作品なんて、作家の意図に関係なく、無限に解釈されうる時点で、作家が作品を定義づけるのではなく、観覧者によって再定義されていくものですから、その意味で言うなら、作品は世に出た瞬間から独り歩きしているとしか言いようがないです。

2012-11-11 16:52:03

批評2

紅蓮の猫 @lotusredcat

もちろん、他の意見にも反論してみます。まず読んでから。

2012-11-11 16:54:02
紅蓮の猫 @lotusredcat

ひとつずつ行きましょう。

2012-11-11 16:55:22