富島健夫研究者のつぶやき(2)

『富島健夫書誌』編集者による富島つぶやき。
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荒川佳洋 @y_arakawa1970

きのう湯島の行きつけの店で名刺交換した人は、TBSのエライさんだった。立派な名刺を出されたが、ぼくのはパソコンで作った粗末なやつ。負けてはならじと、フィランソロピーで作った「富島健夫書誌 編集人」の名刺も付けてやった。ふひひ。

2012-11-09 00:32:07
荒川佳洋 @y_arakawa1970

孤独死が発見される一週間前にも、富島健夫は井上英沖に仕事の話を持ちかけている。富島は井上を「ひで」と呼んで何かと世話を焼いた。その才を惜しんだのだろう。南の島にも行かなくなってヒッピーのような生活から立ち直りかけたように見えたのだが、と友人は言った。亨年47。むろん病死ではない。

2012-11-08 21:58:48
荒川佳洋 @y_arakawa1970

先日の漫画家井上英沖のつづき。菅谷充さんの4年前のブログで86年の井上の死を知ったが、菅谷さんは編集者数人の淋しい葬式だったと書いている。じつは池袋の寺に集まった一人に富島健夫がいた。富島は井上の死にもっとも衝撃を受け、落胆していたという。これは井上の親しい友人から伺った話。(続

2012-11-08 21:53:52
荒川佳洋 @y_arakawa1970

鳥居恵子ときたら、富島健夫のジュニア小説の古典「制服の胸のここには」も上映してほしかったな。また「君たちがいて僕がいた」では、他でやったばかりで新鮮味がない。あと、やはり富島原作の岡本愛彦監督「青春の海」も観たい。青木英美がよかった。

2012-11-06 22:07:54
荒川佳洋 @y_arakawa1970

漫画家井上英沖は富島健夫の歳下の飲み友達だった。池袋の文壇居酒屋「河童」で知り合い親交を結ぶ。富島が面倒を見ていたという人もいる。『遊星少年バピイ』がヒットするのは1965年だから、それ以前のことだろう。菅谷充さんのブログを見て、井上が86年にアパートで孤独死をしたことを知った。

2012-11-06 12:37:23
荒川佳洋 @y_arakawa1970

梶原一騎は少年小説志向で、少年マンガ誌に連載小説を書いていた。佐藤紅緑ばりの小説はもう売れないので原作者に転向したが、内容は変わらなかったと思う。富島健夫は私小説の方法に依らずに自分を語ることに成功した作家で、青春小説の主人公=作者として受容された。旧制高校的であるのが共通する。

2012-11-03 01:43:04
荒川佳洋 @y_arakawa1970

富島健夫『のぶ子の悲しみ』は63年秋元書房書下ろし。廃れゆく炭鉱の町を背景に夜間高校に学ぶ少女を描く。宗武朝子は週刊誌の「私が推薦する純愛小説」で『たけくらべ』『伊豆の踊子』『杳子・妻隠』『白鳥の歌なんか聞こえない』と共に挙げている。江波譲二も「希望の友」で精巧な劇画にしている。

2012-11-03 01:16:02
荒川佳洋 @y_arakawa1970

続)ところが『愛と誠』連載開始以前のマガジンをいくら遡ってもながやす巧の『のぶ子の悲しみ』は出てこない。マガジンは誤りで少女フレンドかとも思うが、現在国会図書館は電子化中で調べられない。どなたか、この辺りの事情に詳しい方いないかな。気になってしかたない。

2012-11-03 00:48:55
荒川佳洋 @y_arakawa1970

宇都宮滋一著『「ダメ!」と言われてメガヒット 名作マンガの知られざる制作現場』に「富島健夫さんの小説『のぶ子の悲しみ』を原作に少年マガジンで連載中」だったながやす巧が、梶原一騎原作『愛と誠』の作画に起用されたという記述がある。つまり『のぶ子』は『愛と誠』のために中断された!?(続

2012-11-03 00:40:54
荒川佳洋 @y_arakawa1970

そればかりか、富島の名をきいたことがない、とまで悪態をついた。学習雑誌に富島と並んでユーモア小説を書いていたはずの入江の暴言にあきれたぼくは、入江徳郎が天声人語や社説の執筆者であると知って、それから目を通すこともしなくなった。

2012-11-02 13:40:17
荒川佳洋 @y_arakawa1970

70年、ジュニア小説に性描写を持ち込んだとして、富島健夫は方々のテレビに引っ張り出され、袋叩きの状態にされた。その急先鋒が入江徳郎だった。富島が入江に「小説読みましたか」と聞くと「あんなもの、読まないでも分かる」と発言し、読まないで批評する批評家の存在を公共の電波で明らかにした。

2012-11-02 13:31:04
荒川佳洋 @y_arakawa1970

富島健夫は没する5、6年前から尾崎秀樹とけっこう頻繁に会っていたという情報がある。尾崎の亡くなるまでの著作からこの痕跡を探すひつようが出てきた。

2012-11-01 00:25:51
荒川佳洋 @y_arakawa1970

富島は妥協案を了承した。「そんなことを気にする人ではなかった」という身近な人の証言もある。「続高校三年生」を作ることになって、新ではなく続であるのに、「高三」の物語を継承できなかった(キャストは同じなのに)のはここに理由がある。あくまで憶測だが、こう考えないとこれは理解できない。

2012-10-31 21:18:05
荒川佳洋 @y_arakawa1970

これはぼくの憶測だが、元々「高校三年生」のヒットにあやかって映画は企画され、富島の新刊の小説をその物語とした。原作明記の段になって、作詞作曲側から「原作は俺達だろう」と声が上がった。これを調整するためポスターなどには原作明記しない、映画クレジットには詳しく出すということになった。

2012-10-31 21:07:25
荒川佳洋 @y_arakawa1970

富島健夫研究会(会員8名だが)では、映画「高校三年生」についてクレジットには原作者名がちゃんと出ているのに、昔からポスターにも上映チラシにもビデオにも原作者名が表記されないのは何故か、という疑問が寄せられた。富島の原作映画で、唯一この映画だけが原作明記がない。それは確かに変。

2012-10-31 20:46:30
荒川佳洋 @y_arakawa1970

谷沢永一さんにも無視されたっけ。富島官能文学を最初に評価し富島死後も評価しつづけた人だが、青春文学については認めなかったので、『書誌』はお気に召さなかったか。書誌学の大家には素人臭くて笑止だったか。忙しくて無名の著者の献呈本に目を通す暇などなかったか。3番の理由だと思いたいな。

2012-10-28 23:08:09
荒川佳洋 @y_arakawa1970

ぼくも『富島健夫書誌』で完全無視。何かの文庫解説で〝富島さんが文壇に印した足跡のことなどを考えている〟というから、考える資料にと送ったのですが社交辞令だったようです。あはは。RT@pelebo 清原康正さんには一度だけ会ったことがある。挨拶したら気持ちいいほどに無視されました。

2012-10-28 22:26:47
荒川佳洋 @y_arakawa1970

『大菩薩峠』机竜之介のニヒリズムに、敗戦で朝鮮から引揚げる途中や上陸した日本で「人間の本性を見た」「地獄を見た」と思った富島健夫は共感するものがあったのだろうと尾崎秀樹を読んでいて、気がついた。小松伸六は早くから富島の青春物に虚無への憧れ、頽廃への傾斜があることを指摘していた。

2012-10-24 21:32:12
荒川佳洋 @y_arakawa1970

中里介山は日露戦当時に反戦詩を書き、盧溝橋事件では出征兵士の見送り風景に生前葬式を重ね、日本文学報国会の設立時には入会を断るほどの反骨作家だった。しかしそれは抵抗運動につながるものではなく「歌うものは勝手にうたい、死ぬものは勝手に死ね」という机竜之介のニヒリズムに沈潜していく。

2012-10-24 21:08:49
荒川佳洋 @y_arakawa1970

昭33『大菩薩峠』を角川『現代国民文学全集32巻 中里介山』に収録する際、編集者山本容朗は新進作家富島健夫にその梗概を依頼する。文庫20数冊を渡し、50枚くらいにまとめてくれ、と。その要約は山本を唸らせる出来栄えだった。才能でもあるが、富島の机竜之介への共鳴があったからだと思う。

2012-10-24 20:54:02
荒川佳洋 @y_arakawa1970

「高校三年生」の主役は倉石功。数年前、知り合いの会社社長がゴルフ仲間の倉石氏を連れてきて、銀座の寿司屋で飲んだ。ところがぼくは舟木映画のことをすっかり失念して、専ら「ザ・ガードマン」の話ばかり。倉石氏はぼくの隣で寿司を取ってくれたりビールを注いでくれたり。相変わらず格好よかった。

2012-10-24 20:00:56
荒川佳洋 @y_arakawa1970

シネパトスの舟木一夫特集は、「高校三年生」といっしょに「その人は昔」も。きょうが最終日。内藤洋子、見たいような見たくないような。最後の上映が17時40分だから、一本は見られるが。

2012-10-24 09:51:12
荒川佳洋 @y_arakawa1970

井上英沖は『遊星少年バピイ』で得た収入を蕩尽して、業を煮やした奥さんに去られる。もともと生活人ではなく、太宰治のような性格だったという。鳴かず飛ばずになった井上を富島は飲みに連れ歩き、仕事を紹介したり、地方に住む子どもに会いに行く費用を渡したりして何くれとなく面倒を見ていた。(続

2012-11-08 21:55:34
荒川佳洋 @y_arakawa1970

莫大な収入を使い果たし、奥さん子供に去られ孤独死。気になるのは井上がのちにヒッピーに身を投じ、金ができると南の島にあるコミューンへ行っていたという証言。谷沢永一が絶賛した富島の理想郷物『処女連盟』は性ばかりでなく衣食住、文化について蘊蓄を傾けたものだったが、井上との親交の所産か?

2012-11-06 12:56:44
荒川佳洋 @y_arakawa1970

ちなみに富島の筆名は、筑紫太郎。もちろん福岡の筑紫に因むが、尽くしたろ、とも読めて意味深だな。あ、そう言や、石原慎太郎は『亀裂』に都築明を登場させて、つづくめい、と読ませ、石原ブームの終焉を予告したが、今にいたるもつづいている(笑)。にしても、都を築くとは、これも意味深。

2012-11-04 03:06:09