為末大さん@daijapanの「【終わらせられない心理】について 終わらせるという行為は、許すという感覚ととても近いと思う。 」
人生にはどうにかしたくてもどうにもならない事があって、それを受け入れるというのが次に進む為に大切な事だと思っている。好きな人がいて忘れられない。でも相手は自分に興味が無い。好きでしょうがなくてもどうしようもない事は、どこかで諦めるしか無い。
2012-11-12 09:57:20身近な人の死もそうだと思う。もっと一緒にいたかった。本当はもっと話をするはずだった。死はこちらの都合とは関係なく訪れて、そして取り返しがつかない。なんで、どうしてと問うてみても時間は戻らず、できる事は仕方ないんだと受け入れる事。
2012-11-12 09:58:50僕は100mという種目に憧れていて、ハードルをやるのは嫌だった。できればずっと走りたかったけど、勝てなくなった。夢や希望は大事だけれど、時々人は執着の事を夢を呼んだりする。頑張っているのではなくて、現実が受け入れられない。
2012-11-12 10:01:57試合終了を言ってくれる人はいない。どこかの時点で踏ん切るしかないから、世の中には儀式が多いのだと思う。人生の中の何かをちゃんと終わらせられなかった人は、自責感か他責感を持っていて、何かを責めていないと落ち着かない。その人の中では終わっていない。
2012-11-12 10:04:49残酷さは時に優しい。ああ、もうどうしようもないんだという現実は人を傷つけるけれど、その瞬間に耐えられなくてずっと自分の願望の世界を生きている人もいる。僕は深い意味での”仕方ないんだ”という言葉にすごく優しさを感じる。
2012-11-12 10:08:02【終わり】本当に深い所にいけば自分を許していない。価値が無くても自分は自分でいい、という受け入れが無い。本来無一物、それでいいという許しが持てなくて人は足掻く。終わらせるという行為は、許すという感覚ととても近いと思う。
2012-11-12 10:14:48そして足掻くかどうかは自分で決めてよい RT @hauru4649: @daijapan 足掻いてこそ人生。終わらせるのは、命が終わった時で良い。
2012-11-12 10:51:58はい、そう思います RT @yyamamoto05: @daijapan 成長したいというのに理由がいりますか?理屈をこねて進むのをやめるのが哲学なら、私には哲学はいりません。
2012-11-12 15:18:06