矢作俊彦氏による除染レポート

「鼻をつまんで菅を支持する」と題した文章をしめした。 矢作俊彦氏の除染レポート。取材先の一人が「本当に事故が収束して線量が下がるなら、線量が下がってから除染すればいい」、と。なるほど。
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矢作俊彦 @orverstrand

禿の家系に生れ、小学校のころ、アメリカの原爆実験のたび、雨に当たると禿げると母親に言われ、あれほど恐れていた放射能にもめげずフクシマに通って書いた『除染』レポートがやっと片づいた。隔月3回連載だったので、最初の回は公表してかまわないとスズキさんに許可を得たので、順次ツイートする。

2012-11-09 18:25:09
矢作俊彦 @orverstrand

K君に初めて会ったのは、4月の終わり、福島の浜通りは桜の盛りだった。私たちはある友人に案内されて、2キロも続く桜並木を堪能した。出店どころか、車一台、人っ子一人来ない桜並木を。  東京電力福島第一原発(フクイチ)から直線距離にして8キロ足らず、

2012-11-09 18:28:50
矢作俊彦 @orverstrand

『あるところで計りゃ、毎時30マイクロシーベルト(μSv)以上あるでしょうね』友人は平然と呟いた。  年間20mSvというのが、原発作業員の被爆限界値だ。文科省は去年4月学校などにこの数値を押しつけ、物議を醸し、撤回に追い込まれた。

2012-11-09 18:30:39
矢作俊彦 @orverstrand

20mSvは20000μSv。30×24時間×365日で262800μSv。約13倍! これは危険だ。しかし、完璧な静けさの中でこれほど美しいものを見たんだ。少々寿命が縮んでも、それはそれで仕方ない。

2012-11-09 18:32:06
矢作俊彦 @orverstrand

その帰り道だった。とあるスポーツ公園に差しかかったとき、友人は車を路肩に止め、遠くに「おい。K!」と声をかけた。 広くはないがナイター設備が整い、スタンド席もある野球場だった。グラウンドは黒い大きなゴミ袋で埋めつくされていた。重機でないと上げ下ろしできないほど巨大なゴミ袋だ。

2012-11-09 18:32:47
矢作俊彦 @orverstrand

手前に数人、白いタイベック防護服に身を包み青いヘルメットにゴーグル、防塵マスク姿の男たちが何人か作業をしていたが、袋は彼らの背丈ほどもあった。 そのうちのひとりがこちらへ歩いてきた。 「あの袋――フレシキブルコンテナね、中は除染土だよ」と友人は言った。「ひっぺがした表土」

2012-11-09 18:33:35
矢作俊彦 @orverstrand

「線量高いんだろうね」 「100μSvを超えちゃうのもあるだろうな。保護シートを敷いて、遮水シートを載せて、水抜きのドレイン通してね、そこへあれを積んでいくんだよ。線量の高いのを真ん中に、段々低いやつで重ねていって、まあ外へ出てくる線量をごまかすわけさ」

2012-11-09 18:33:51
矢作俊彦 @orverstrand

「ごまかしてんじゃねえ。調節してんだ」防護服姿のお父さんが言った。「そんな身形で、こんなに近づいちゃだめだろ」  私たちは球場のフェンスを離れ、車道の反対側まで後じさった。 「ああ、そっちは駄目だ」K君が怒鳴った。K君と言っても、私よりだいぶ年上、完全に老人の部類だ。

2012-11-09 18:34:13
矢作俊彦 @orverstrand

「その側溝は60μSvぐらいあるらしいぜ」 「ここは除染していないんですか」私は尋ねた。 「したら必ず減るってもんでもねえ。風で偏ったり、水で流れて集まったりするからな。自然が、役人の言う通りなるもんかね」 「あれは何ですか?」私は、ホームベースも思われる奉公を指差して言った。

2012-11-09 18:34:31
矢作俊彦 @orverstrand

 バックネットがあったあたりに,巨大な焼却炉のようなものがそびえていた。  見たまんま、焼却炉だとK君はつまらなそうに言った。試験的に焼却してみたんだ。思った結果が出なかったか、金に見合わなかったのか、すぐにテストはやめちまった。役人のやることだ。よく分からない」

2012-11-09 18:34:45
矢作俊彦 @orverstrand

 それが4月の後半、去年の11月から始まった除染は、終わろうとしていた。  正確には『除染モデル実証事業』という。 『平成23年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震に伴う原子力発電所の事故により放出された放射性物質による環境の汚染への対処に関する特別措置法』

2012-11-09 18:35:15
矢作俊彦 @orverstrand

が、去年の8月末に公布され、フクイチの周囲20キロ圈内の『警戒区域』と、そこから北西へキノコのように飛び出した『計画的避難区域』の大地から放射性物質を取り除くため、除染技術の習熟や実証実権のための、つまりモデルケース、ある種のトライアルとして始められた。

2012-11-09 18:35:52
矢作俊彦 @orverstrand

 菅直人が最後に通した法案だったが、再生可能エネルギー特措法ほど話題にはならなかった。その陰で、逆にこの法律にはとんでもないカラクリが潜められていた。

2012-11-09 18:38:12
矢作俊彦 @orverstrand

今まで原発を推進してきた勢力が、高まる一方の脱原発の声に震え上がり、なんとか権益を確保しようとする、実に小賢しい、しかし何ともあざといカラクリだったのだが、その話は少し後にしよう。

2012-11-09 18:38:21
矢作俊彦 @orverstrand

 例のK君だが、彼の家は大熊町で代々農業を営んできた。40有余年前、フクイチが隣の双葉町と大熊町に跨がって建設された後も、ほとんど東電やその下請け企業とは関わってこなかった。

2012-11-09 18:38:37
矢作俊彦 @orverstrand

 これは希有な存在だといえる。どこの原発も同じだが、雇用の大半は電力関係、落ちる金の多くも電力関係だ。タクシーからスーパーマーケット、パチンコに風俗、町の食堂にいたるまで東電とその関係者の財布に頼っている。

2012-11-09 18:39:24
矢作俊彦 @orverstrand

 たとえば、全国的に広がる再稼働反対の声を聞きながら、あの大飯原発の地元の人たちの過半数が賛成の声を上げ、喜びをあらわにしたのを見れば分かる通り、それはただの城下町ではなく、K君ならぬ〝K〟が囚われた『城』を、霧の向こうに仰ぎ見て暮らす人々を思いださせる。

2012-11-09 18:39:28
矢作俊彦 @orverstrand

とはいえK君だって原発と完全に無関係と言うわけではない。従兄弟がやっている建設重機のリース会社も東電なくしては経営が成り立たないし、妹は東電の下請け会社の役員と結婚している。 彼自身、遊休地にこしらえたアパートから家賃収入を得ていたのだが、借り主の大半は東電関係者だったそうだ。

2012-11-09 18:40:08
矢作俊彦 @orverstrand

その話をしたとき、さも苦々しそうにこう付け加えた。「正社員の息子なんかが、畑に入り込んで、収穫直前の梨をもぎって食っちまったとしても、殴るどころか文句ひとつ言うのも憚られたもんだよ。――あの事故まではなあ」

2012-11-09 18:40:45
矢作俊彦 @orverstrand

 実は、放射能汚染された除染土の仮置き場として使っている、あの野球場を含むスポーツ公園も東電の金で造られた。 「結局東電の社員向けさ。土地を提供させて。だがよ、一日中農作業で体使って、たまの休みにテニスだのサッカーだのする百姓はいねえよ」と言って、K君は苦笑する。

2012-11-09 18:41:01
矢作俊彦 @orverstrand

 町の当局が、政府からの要請で、あそこを除染土の仮置き場として差し出したのには、担当者のちょっとしたアイロニーが込められていたのかもしれない。

2012-11-09 18:41:50
矢作俊彦 @orverstrand

 K君の家は震災に耐えた。浜通りを縦貫する国道6号の西側なので津波もこなかった。家具は無事だった。  落ちた食器や本を片づけ、屋根瓦と土壁を補修すればすぐにでも住める。しかし『警戒区域』のただ中だ。居住するどころか通行証がなければ近づくことも出来ない。

2012-11-09 18:42:06
矢作俊彦 @orverstrand

 警察は6号線の北と南に検問所を儲け、出入りを厳しく管理している。他の道路は残らず、20キロ圏で鉄のフェンスに閉ざされ、出入りは出来ない。  いくつかの避難所や行政が借り上げたホテルなどを転々として、今はいわき市郊外の仮設住宅に住んでいる。

2012-11-09 18:42:30
矢作俊彦 @orverstrand

結婚したばかりの息子は福島市の借り上げアパートに暮らしているので、2DKに老夫婦ふたりだが、農家は広い。納屋や車庫、牛小屋などを入れたら住居だけで五百坪はある。遊んでいる土地に十六室のアパートが建つぐらいだ。

2012-11-09 18:42:42
矢作俊彦 @orverstrand

 畑へ出ない農閑期でも、2DKの何百倍の空間を動き回ることになる。  それが今、何もすることはない。ストレスは否応なくたまる。結局12キロ太ったのだそうだ。 避難生活で糖尿や通風など、生活習慣病にかかる人もいる。不足しているのは、むろん『運動』そのものじゃない。

2012-11-09 18:42:57