- contractio
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このエントリ http://t.co/9NdF64iN を読んだ支援関係者から、「おばちゃんになれ!」と、嬉しいメッセージをいただいたんでした。▼「おばちゃん」といっても、年齢・性別・セクシュアリティは関係なくて、至近距離の、日常性の分析をやれるかどうか。
2012-11-13 14:49:35そういうことを集約させて「おばちゃん」と呼んでみたのだけど、中高年の女性が必ずしも分析的な存在であるわけではない。――いわば、「おばちゃん的な動詞」が問われている。
2012-11-13 14:54:20だらしない日常に、細やかな気づきと分析が生きられる。これは、「写真を撮るときだけポーズをとる」ような、自意識の苦労とは真逆だ。とりすました華やかさと無縁であるがゆえに、かっこいい。
2012-11-13 14:55:13ちなみに http://t.co/EUSenJSA このときお会いした女性は、ジャン・ウリのセミナーには参加しているけど、ドゥルーズとかについては名前すら知らなかった。▼私と会ってくださったあとも、日本の支援関係者と交流をもち、スタッフから「センスが鋭い」と驚かれていたらしい。
2012-11-13 14:57:32「有名知識人の講演」って、業績の認知を広げるきっかけにはなるでしょうけど、内容は著作と変わらないですよね。それに、大文字の理論ばかりで身辺がおろそかになるなら、ミーハー的な話にしかならない。(「○○の理論、知ってるんだぜ!」みたいな)
2012-11-13 15:12:49「センスある無名の人」が日常にまぎれて、その仕事のスタイルがじわじわ広がるほうが、祝祭的なイベントよりも重要に思う。▼こういうのも、「医学モデルから生活モデルへ」と言えそう。(理論は、あくまで生活のヒントでなければ)
2012-11-13 15:23:10(とはいえ、あれほどセンスある人が有名にならないのは、むしろ損失に思うのだが、評価するシステムがないのか? 有名になってしまったら、仕事ができないか。あるいは日常は、ああいう「おばちゃん的存在」に支えられているのか)
2012-11-13 15:24:39「ハイカルチャーからローカルチャーへ」には一定の意義があったのだろうけど、むしろ必要なのは、《生活の生産と再生産を、いかにやり直せるか》。 そのヒントこそが必要なので、ハイかローかの揉め事には、あんまり意味がない。どっちもたんにメタ的であり得る。
2012-11-13 15:43:28理論や仕事はメタ的なのに、雑談はローカルチャーだから「親近感がわく」とか、それはバカげている。メタ言説で身分確保があるから、あとは安心してバカ話ができる、ということでもあるだろうに。▼むしろ、「雑談にすら潜んでいる暗黙の思想」をこそ、制度として分析しなければ。
2012-11-13 15:43:55「医学モデル」を堅持する状況では、文学や哲学の代わりに「アニメや漫画」を参照しただけで、より身近に感じるかもしれない。でもそれは嘘で、コンテンツだけをいくら分析しても、生活や意識のスタイルは驚くほど変わらないし、そこで挫折したことに対して、ヒントにもならない。
2012-11-13 15:44:32一方、生活レベルでの挫折を扱うべき臨床心理や精神医学も、「医学モデル」しか持っていない。日常生活の意識や環境に、照準できるディシプリンがない。▼そんな発想で、つまりカテゴリーや理論を当てはめるだけの発想で支援政策をやったら、どうなるか。
2012-11-13 15:54:52「生活や仕事のことは考えたくない。余暇の時間ぐらい、現実を忘れていたい」――だから20世紀フランス思想を読む、というなら、それはアニメと変わらない。(接するスタイルを固着させた、フローとしての消費財)
2012-11-13 15:57:02ジャンルを固着させたまま、「親近感を持たせるために」萌えキャラに頼ったりするのは、フローを加速させただけ。母体ジャンルの体質は固着したままであり、再生産の古いスタイルは、むしろ強化されたかもしれない。
2012-11-13 16:04:39「そこで-どういう人たちが-何をしているのか・どういう人たちに-何が起きているのか」を分析することは、一般に、自分に近いことであればあるほど難しいわけで、そういうものを扱おうとするなら、すごく高い分析能力が必要だろうと思う。
2012-11-13 16:33:39「フランス現代思想」が そうしたものを これまで提供してきた実績があるとは聞いたことがないし、そもそも そういうものの提供を目指しているようにも見えないわけで──なにを目指しているのかは知りませんが──、「ならばなぜ?」と思うのであった。
2012-11-13 16:34:57上山さんの言葉遣いは(あいかわらず)難しいので、語っていることの 1/3 くらいしかわかる気はしないんだけど、でもちょっとは分かるので、なおさらのこと不思議でならないのであった。
2012-11-13 16:36:3520世紀フランスにかぎらず、理論や思想に「まだ何かあるかもしれない」と思い込んでることじたい、好意的すぎる誤解かもしれないので、そういう疑念はつねに続いています。(支援周辺の関係者からは、難しそうな本を読むのを常にバカにされていますし) @contractio
2012-11-13 17:41:46私は1987年に「ポストモダン」周辺に興味をもち、10年ぐらいで「愛想が尽きた」感じになって、その後はすっかり遠のいていたのですが、(その10年は、私の個人的状態が悪化する時間と重なっていました。つまりポストモダンは、何のヒントにもならなかった) @contractio
2012-11-13 17:43:34フェリックス・グァタリ(ガタリ)という、いちばん悪評高い人のおおもとが、精神科病院の活動にあったことを知り、さらにその臨床上の活動趣旨が、ひきこもり問題に直接かかわると強く思うようになって、あらためてチャレンジしている感じです。 @contractio
2012-11-13 17:56:36