斉藤斎藤「予言、〈私〉」に関する一考察

「短歌研究」2012年11月号に斉藤斎藤さんの連作、「予言、〈私〉」が掲載されました。 この連作は、なぜか作者名が二重取り消し線で消されていたり、「才能を疑いて去りし学なりき今日新しき心に聴く原子核論」という岡井隆さんの歌がそのまま載っていたりと、とにかく特徴のある連作です。 この連作について私、堂園がサブアカウント(@honwoyomud)で考えたこと、および宇都宮敦さん(@utsuno)、錦見映理子さん(@eliko38)とお話したことをまとめました。 続きを読む
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@honwoyomud

いま唐突に思いついたんだけど、斉藤さんのあの連作は、岡井さんの歌だけでなく、実は他の歌もすべて引用なんじゃないか?

2012-11-15 22:32:20
@honwoyomud

うーん、さすがに全部引用はないか…。しかし、岡井さんだけ引用だと、取消二重線がいまいち腑に落ちないんだよね。新かな旧かなの混在も。

2012-11-15 22:35:07
@honwoyomud

少なくとも出典はあると思う。廣島、という表記も現在のものではないし。私は個人的には、斉藤さんが2ヶ月くらい前につぶやいていた「連作の資料のために古本にいくらまで出すべきか」がこれではないかと思っている。

2012-11-15 22:37:21
うつの @utsuno

@honwoyomud 僕も同じようなこと考えました

2012-11-15 22:38:38
@honwoyomud

@utsuno @honwoyomud なんと! やっぱりそうですよね。

2012-11-15 23:24:55
@honwoyomud

あと、タイトルが「予言、〈私〉」なんだから、「証言、わたし」の延長上にこの連作はあるはず。

2012-11-15 22:43:10
@honwoyomud

たぶん内容としては、原発事故が起きたにも関わらずいまだに原発がなくならない現状に対する批判、でいいと思うけど、それを広島の二の舞として表現しているんだろう。

2012-11-15 22:50:47
@honwoyomud

ああ、わかった。あれは全部過去の「予言」なんだ。広島後に「このままだとこうなる」とかつて詠われたものなんだ。だから本当に作者は斉藤斎藤じゃないんだ。

2012-11-15 22:53:53
@honwoyomud

二の舞、は言葉が不適切だったな。広島以後、と震災以後、を重ね合わせている、といった感じだろう。たぶんこれは岡井さんへの批判もふくんでいるんでしょうね。

2012-11-15 23:10:25
@honwoyomud

こんなときに11月号が見つからないし、いまのところ思いつきだな。

2012-11-15 23:12:48
@honwoyomud

昨日もつぶやいたけど、短歌って現在では1つしか流派がない感じで、斉藤さんの作品もついその流派にのっとって、感覚で批判してしまうけど、それではダメだと思う。二重取り消し線も初めは斉藤さんの怒りの表現かと思ったが、あれはそうではなくて、読者への読み解きのヒントだったんだな。

2012-11-15 23:21:56
@honwoyomud

それを読み解いたうえで批判するならば、それはそれで仕方ないけれど。

2012-11-15 23:23:28
錦見映理子Info @eliko38

あれ全部過去の人の言葉だということはわかるんだけど、私が一番気になるのは、では予言者は誰なのかということです。

2012-11-16 00:07:30
錦見映理子Info @eliko38

Port B のツアパ終わりに、並んでいた『はじまりの対話』を買いました。斉藤斎藤さんの連作三つ載っている。すごいけど何がどのようにすごいかすぐ言えない。どうしてこうなっているのか…

2012-11-16 00:19:11
@honwoyomud

@eliko38 おそらく、ひとりではないと思います。たぶんあの連作は色んな本から引用がされていて、それぞれ、「原子力の恐ろしさ」を踏まえた発言をしている。つまり、その時点での批判だったわけです。その批判を基にして日本の戦後は進んできたのだけれど、結果、現在事故が起きてしまった。

2012-11-16 00:56:55
@honwoyomud

@eliko38 ということは、その時点での批判が有効に機能してこなかったということで、予言した人々(≒戦後を担ってきた人々)に対してまずメタ的に批判をしている。反省を生かせなかったということですから。

2012-11-16 01:04:00
@honwoyomud

@eliko38 しかも、その過去の言葉が現在においても位相を変えて有効になってしまうということで、現在の我々に対しても批判を行っている。このままだと、こうなってしまうよと。引用という技法だけでこのような何重構造にもなるのは、かなり高度なテクニックだと思います。

2012-11-16 01:06:42
錦見映理子Info @eliko38

うわーまちがって消した。酔っています…

2012-11-16 01:10:15
錦見映理子Info @eliko38

タイトルの予言という言葉が気になっています。あれらを束ねて、予言とした人が必要です。予言そのものだけでは真実は見出しにくく、予言者が登場することが必要な気がしました。これは初読の感想です。←さっき消したやつ

2012-11-16 01:19:27
@honwoyomud

@eliko38 そうですねー。束ねた人、それは僕もわかりません。「予言、〈私〉」の山カッコの〈私〉は、なんとなく、短歌の「私」と関係ある気がしますが……。

2012-11-16 01:13:34
@honwoyomud

「証言、わたし」の「わたし」はひらがななんですよね。あの連作は、津波が迫ってきている場所に、仮に実際にいたら、という設定で作っていて、それも「斉藤斎藤」が主体ではなかったですよね。このへんがヒントになるのかな。

2012-11-16 01:23:34
錦見映理子Info @eliko38

@honwoyomud 「証言、わたし」の歌の主体も複数で、そのとき書き手がどこにいるのかというのを気にしながら読みました。微妙に場所を移しながら気配を消している、という風に読みましたが…。今回のは作者が消えてしまったので、それが有効なのかどうかとても気になります。

2012-11-16 01:40:09
錦見映理子Info @eliko38

わたしと〈私〉の表記の違いについては、よくわからない。。。まだあまりちゃんと読んでいないのです。どれが誰の引用なのか、特定しないとならないから、それはちょっとむずかしい、と思ってそのまま保留。あまり刺さってこなかったというのもあり。。。

2012-11-16 01:43:35
錦見映理子Info @eliko38

あの1ページだけじゃ難しい気がするので、もっとまとまったものを読みたいです。

2012-11-16 01:46:01
錦見映理子Info @eliko38

今日はこれでねむります。。。

2012-11-16 01:47:38