斉藤斎藤「予言、〈私〉」に関する一考察
- honwoyomud
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少なくとも出典はあると思う。廣島、という表記も現在のものではないし。私は個人的には、斉藤さんが2ヶ月くらい前につぶやいていた「連作の資料のために古本にいくらまで出すべきか」がこれではないかと思っている。
2012-11-15 22:37:21たぶん内容としては、原発事故が起きたにも関わらずいまだに原発がなくならない現状に対する批判、でいいと思うけど、それを広島の二の舞として表現しているんだろう。
2012-11-15 22:50:47ああ、わかった。あれは全部過去の「予言」なんだ。広島後に「このままだとこうなる」とかつて詠われたものなんだ。だから本当に作者は斉藤斎藤じゃないんだ。
2012-11-15 22:53:53二の舞、は言葉が不適切だったな。広島以後、と震災以後、を重ね合わせている、といった感じだろう。たぶんこれは岡井さんへの批判もふくんでいるんでしょうね。
2012-11-15 23:10:25昨日もつぶやいたけど、短歌って現在では1つしか流派がない感じで、斉藤さんの作品もついその流派にのっとって、感覚で批判してしまうけど、それではダメだと思う。二重取り消し線も初めは斉藤さんの怒りの表現かと思ったが、あれはそうではなくて、読者への読み解きのヒントだったんだな。
2012-11-15 23:21:56Port B のツアパ終わりに、並んでいた『はじまりの対話』を買いました。斉藤斎藤さんの連作三つ載っている。すごいけど何がどのようにすごいかすぐ言えない。どうしてこうなっているのか…
2012-11-16 00:19:11@eliko38 おそらく、ひとりではないと思います。たぶんあの連作は色んな本から引用がされていて、それぞれ、「原子力の恐ろしさ」を踏まえた発言をしている。つまり、その時点での批判だったわけです。その批判を基にして日本の戦後は進んできたのだけれど、結果、現在事故が起きてしまった。
2012-11-16 00:56:55@eliko38 ということは、その時点での批判が有効に機能してこなかったということで、予言した人々(≒戦後を担ってきた人々)に対してまずメタ的に批判をしている。反省を生かせなかったということですから。
2012-11-16 01:04:00@eliko38 しかも、その過去の言葉が現在においても位相を変えて有効になってしまうということで、現在の我々に対しても批判を行っている。このままだと、こうなってしまうよと。引用という技法だけでこのような何重構造にもなるのは、かなり高度なテクニックだと思います。
2012-11-16 01:06:42タイトルの予言という言葉が気になっています。あれらを束ねて、予言とした人が必要です。予言そのものだけでは真実は見出しにくく、予言者が登場することが必要な気がしました。これは初読の感想です。←さっき消したやつ
2012-11-16 01:19:27@eliko38 そうですねー。束ねた人、それは僕もわかりません。「予言、〈私〉」の山カッコの〈私〉は、なんとなく、短歌の「私」と関係ある気がしますが……。
2012-11-16 01:13:34「証言、わたし」の「わたし」はひらがななんですよね。あの連作は、津波が迫ってきている場所に、仮に実際にいたら、という設定で作っていて、それも「斉藤斎藤」が主体ではなかったですよね。このへんがヒントになるのかな。
2012-11-16 01:23:34@honwoyomud 「証言、わたし」の歌の主体も複数で、そのとき書き手がどこにいるのかというのを気にしながら読みました。微妙に場所を移しながら気配を消している、という風に読みましたが…。今回のは作者が消えてしまったので、それが有効なのかどうかとても気になります。
2012-11-16 01:40:09わたしと〈私〉の表記の違いについては、よくわからない。。。まだあまりちゃんと読んでいないのです。どれが誰の引用なのか、特定しないとならないから、それはちょっとむずかしい、と思ってそのまま保留。あまり刺さってこなかったというのもあり。。。
2012-11-16 01:43:35