今日は65年前にアメリカ郡が広島に原爆を落とし大量虐殺を敢行した日。俳句には「原爆忌」という季語(?)がある。自分は、絶対に、この季語を使わない。おそらく今後もずっと。(続く)
2010-08-06 22:56:56(承前)8月6日について、いろいろと考える。ふまじめな自分ができるかぎり誠実に、わかることをわかり、わからないことをわからないまま、8月6日について真面目でありたい。だから、俳句なんぞに、「原爆忌」などという暢気な季語を詠み込んだりしない。それは自分なりの筋の通し方。(つづく)
2010-08-06 22:59:31(承前)句会でもどこでも「原爆忌」の句を見ても、それを読むことはしない。無視する。詠み込む人は、その人なりの筋の通し方・覚悟をもっていらっしゃるのかもしれない。だが、通すべき筋や覚悟は、少なくとも自分には伝わらない。だから信用しない。そのような句も人も。(了)
2010-08-06 23:13:33暢気だし、乱暴だよね。「原爆忌」ってことば。 RT @tokiris7 そう思います。思っていたことを、言ってもらった感じです。 RT @10_key「原爆忌」などという暢気な季語
2010-08-06 23:35:13言葉として、とてもじゃないけど、選べない。お手軽な感じが。 RT @micropopster 暢気だし、乱暴だよね。「原爆忌」ってことば。
2010-08-06 23:42:27う~ん……。正直、「原爆忌」と云う言葉に暢気さを感じてしまわれるとは想像すら出来ませんでした。僕は出来る事なら、一人でも「原爆忌」と云う言葉の存在を知る俳人の方々には、真剣に8・6、あるいは8.9と向き合って、作句して欲しいと思っていたんですが……。
2010-08-07 00:25:40「原爆忌」と云う言葉から導き出される背景を考えたら、到底、その言葉が暢気には感じられないのです……。結局、それを感じる事の出来ない自分が暢気過ぎるという事なのでしょうか(反省)。
2010-08-07 00:27:05「原爆忌」について考える。原爆忌という言葉?それとも、そもそも俳句に原爆を詠み込むこと? http://bit.ly/ccueR4 まさしくけふ原爆忌「インデアン嘘つかない」 中村草田男
2010-08-07 09:02:28@rockets_yamada 五七五になると、とても不謹慎な感じがすると思うんです。「原爆忌」という言葉をワッペンのようにくっつけて、原爆のことを、自分の表現のダシにしているような印象がついてくる。作者がそう思っていなくても、そうなってしまう。
2010-08-07 09:19:35「原爆忌」という言葉を使わなかったとしても、五七五は、原爆のことを詠むのは難しいと思う。五七五の宿命。どうしても、不謹慎な感じがついてきてしまう。
2010-08-07 09:27:49>原爆のことを、自分の表現のダシにしているような印象 @tokiris7 よくわかります。原爆も終戦も戦争未体験者が詠むにはテーマとして重すぎるのかもしれません。
2010-08-07 09:55:42同意。RT @tokiris7 五七五になると、とても不謹慎な感じがすると思うんです。「原爆忌」という言葉をワッペンのようにくっつけて、原爆のことを、自分の表現のダシにしているような印象がついてくる。作者がそう思っていなくても、そうなってしまう。
2010-08-07 10:24:06(承前)(無数の)他人の死と、いまなぜか生きている自分の関係について、複雑でいたい。自分に関しては、そういうこと。複雑でいることと、ヘタな「原爆忌」句をポコポコひねる行為とは、とうてい相容れない。※じょうずならいいのか、って問題じゃなくwww
2010-08-07 10:30:10人として向き合うべき重要なテーマだと、私も思います。 RT @yanokatsu64 私は短詩でも、原爆や戦争に向き合う器足り得ると信じているし、向き合うべき重要なテーマであると思います。
2010-08-07 12:05:54@yanokatsu64 ご質問の件については、私のツイートを読んでください。しゃべりすぎるくらい(説明過多なくらい)に、しゃべっています。
2010-08-07 12:28:41