坂田雅子監督「沈黙の春を生きて」まとめ

映画「沈黙の春を生きて」を鑑賞しての、自分用のまとめ
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mai @jrmmnisi
京都シネマで「沈黙の春を生きて」(坂田雅子監督)を観てきました。 http://t.co/oA38AjcR
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「沈黙の春を生きて」 #映画 #eiga http://t.co/7n9oBQnw @eigacomさんから    ベトナム戦争時の枯葉剤被害を追い続ける「花はどこへいった」(2007)の坂田雅子監督によるドキュメンタリー。
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・・・1960年代、ベトナムの戦場ではゲリラが隠れるジャングルをなくすためアメリカ軍により枯葉剤が散布されていた。当時の米政府は「人体に影響はない」としたが、戦後35年がたってもベトナム人はもちろんのこと、作戦に従事した米兵やその子どもにまで被害は広がっていた。
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手足に障害をもって生まれた帰還兵の娘ヘザーが初めてベトナムを訪れる姿を中心に、化学物質の危険性を描きだしていく。
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「沈黙の春を生きて」ナレーションの加藤登紀子さんのことば:この数十年、人間は自らの遺伝子を傷つけ破壊するたくさんの物質を見出し、いつの間にか日常生活の中にそれらはなくてはならないものにまでなり、
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今ある生活を甘受する限り、気付かないまま、自らの生命を傷つける加害者になってしまう時代を生きています。」
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「水俣でも、チェルノブイリでも、同じようにたくさんの子どもたちが傷つき、苦悶を強いられました。その苦しみには終わりがありません。これから、私たちはどんな未来を生きていくことになるのか。」
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「けれど、もう一方でいのちの姿がたとえどんな姿であっても、その灯をともし続け、きちんと毎日を生き、成長し、愛を交わし、笑い合い、音楽を奏で、子を育て、支え合い、無垢な生を全うして行く、それがどこまでも続くいのちの未来だ、と思うのです」
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「最後のシーンで盲目のタイン・トゥンさんの演奏するベトナム一弦琴の『アメイジング・グレイス』が今も心に響いています。」(「沈黙の春を生きて」パンフレットより一部抜粋)
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私はあの「アメイジング・グレイス」が流れているとき、急性白血病で亡くなった本田美奈子.さんを思い出していた。私は亡くなってから彼女を知ったのだけど…。闘病中、病室で歌っていた彼女の「アメイジング・グレイス」は、忘れられない。
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「沈黙の春を生きて」この映画にも、そこかしこに頷けるシーンが。人は何度同じ過ちを繰り返したらわかるのか。繰り返しても、結局わからないのか。50年も前にレイチェル・カーソンが警告していたのに、枯れ葉剤散布、チェルノブイリ事故、水俣病…その他数々の健康被害が起きてきた。
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それはもう終わったことでもなく、現在進行形で続いていて、さらにこれから起こりうることでもある。加藤登紀子さんの言う通り、「今ある生活を甘受」し、「自らの生命を傷つける加害者」になってしまってはいけない。知る、気付く。そして少しでも、わずかでも、変えていく。
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「沈黙の春を生きて」パンフレットp18〜p19には、枯れ葉剤問題を追うジョン・ミッチェル氏の寄稿も。(画像)【枯れ葉剤と沖縄に関する年表】 http://t.co/WFJ62jje
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(年表より)1962年 米空軍、稲田で生物兵器実験を行なう/1963年 米基地において12000トンを超える生物化学兵器の貯蔵が始まる/1969年 嘉手納空軍基地周辺で神経ガス漏れ事故発生。米兵23人が入院
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1971年 レッドハット作戦により貯蔵されていた生物化学兵器がジョンストン島へ移送される/1972年 沖縄、日本に返還される/1998年 米復員軍人局、1961年に沖縄で枯葉剤を浴びたという兵士に補償を認める
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2004年 アメリカ統合参謀本部、沖縄に枯葉剤が貯蔵されていたことを否定/2009年 米復員軍人局、レッドハット作戦によって移送された化学剤の中に枯葉剤が含まれていたことを認める
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2011年 日本外務省、米国防省に沖縄での枯葉剤の貯蔵と使用について再調査を依頼する
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【沈黙の春を生きて1】レイチェル・カーソン「化学物質は放射能と同じように不吉な物質で、世界のあり方、そして生命そのものを変えてしまいます」
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【沈黙の春を生きて2】レイチェル・カーソン「いまの子供達は生まれた時から化学物質に曝されています。あるいは生まれる前から。彼らが大人になった時どうなるのか、私達は全く分かっていません。こんな経験をしたことがないからです。」
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【沈黙の春を生きて3】1961年からアメリカ軍がベトナムで散布した7200万リットルの枯葉剤は、ダウ・ケミカル社、モンサント社、ダイアモンドシャムロック社などの化学薬品会社によって製造、販売されました。
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【沈黙の春を生きて4】ベトナムへの枯葉剤散布は、戦争の拡大につれ激増。南ベトナムの土地の多くが汚染され不毛の地に。エージェント・オレンジと呼ばれる枯葉剤はアメリカ国内で使われていた農薬と同じものから作られていたが、25倍も強力だった。さらに猛毒のダイオキシンが含まれていた。
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【沈黙の春を生きて5】ダイオキシンは半永久的に環境に留まり、様々な形で人間の健康障害を引き起こす。数百万のベトナム人と、戦争に参加したアメリカ兵の多くが枯葉剤の影響を受け、その被害は子供や孫の世代まで続いている。ダイオキシンは今もベトナムの土に残り、傷ついた自然は回復していない。
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【沈黙の春を生きて6】(ベトナムにて)グエン・タイン・タム「私には6人の息子と1人の娘がいる。娘は眼が悪く、指が6本ある。末の息子は知能が遅れている。孫の1人は神経と呼吸の障害を持ち、もう1人は皮膚病だ」
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【沈黙の春を生きて7】ベトナム帰還兵の娘、ヘザー・バウザー「私は1972年に生まれた。母はそれまで2度流産した。私の誕生は母にとって悪夢だった。なぜなら、私はいくつもの障害をもって生まれたから。私には右膝下、手の指が数本、左足の親指が欠けていた」
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【沈黙の春を生きて8】ヘザー「私の障害について、父は自分を責めた。母も原因不明の流産を重ね、父はアルコールに浸るようになった。ベトナムの虜になって、思う存分生きることができなかった」政府は、彼の死因が枯葉剤と関連があると認めた。
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