人権が憲法に組み込まれている国家において施政者たらんとする人が「人権を認める」という表現―認めない場合を含意する―を使うというのはいわば「独身者が結婚していることがある」というようなもんだから、つまりかれは分析/総合のドグマに挑戦する自然主義者なのだろう。さすが全共闘。 (再掲)
2012-11-18 19:14:06ポストモダン・プラグマティストとしての東さんらしいよね。冗談じゃなくて、人権は脱構築可能と考えられているんだと思います。人権はなんのかんのと権力者が付与したり/しなかったりするものであり、それをあたかも人間が人間があるだけで持つ普遍的な権利のように言うことはむしろ欺瞞だと。
2012-11-18 21:19:55これはね、ポストモダンな人であればそう考える人多いんじゃないかな。ローティだってそうだろうし(彼はいちゃもんとかいわないけどね)、人権概念の経験的水準での欺瞞性はポストモダンの人でなくても考える人は多いですよね。
2012-11-18 21:21:57ポイントは、人権が普遍的か否かというの社会学的判断にはない。人権が施政者が認めるようなもんではないというのは人権概念の文法的規約であり、憲法の制約をたとえ建前であっても強く認識していなければならない施政者たらんという人が、その規約を認識していないことが露呈したことがまずひとつ。
2012-11-18 21:27:51政治家たらんとする人が近代国家におけるゲームのルールをあまり切実に内面化していなかったこと、それが副知事の問題。だから全共闘っぽいな、と半分本気でいいました。
2012-11-18 21:32:11で東さんのほうだけど、彼がもし「人権概念は脱構築可能である」という前提で人権論をしているならそれはそれでありうる。しかし、それは政治家による人権概念の脱構築された理解を擁護することには繋がらない。政治家はそういう脱構築をしてはいけないというのが規約だから。批評と政治は世界が違う。
2012-11-18 21:35:26なので、人権脱構築による猪瀬擁護はわたしには妥当とは思えない。学問的言明の真偽は時代や文脈で異なるという経験的知見から、「だから学者は真偽を気にしなくてもいい」とはならないというのと同じこと。これがまずひとつ。
2012-11-18 21:37:18もうひとつは「いちゃもん」という表現。以上の点を踏まえれば、「認める」発言への反発が全然いちゃもんでも言葉尻とりでもないことはあきらかだと思う。ゲームの規約をちゃんと分かってますか、分かってない気がしてそういう人が首長になるのは正直怖いんですけど、という正当な異議申し立てだろう。
2012-11-18 21:40:33なので、東さんの発言をわたしは、(1)社会学的相対主義(脱構築)を政治の場に持ち込めるという考え方、それに由来する(2)人権という語彙をめぐるルールに対する施政者の責任の軽視から出てきた失言であると考える。これ実は議会制民主主義を軽視してきた左翼な人がよくやってきたことでもある。
2012-11-18 21:45:38なので議会制民主主義を軽視し続けたであろう昔の全共闘の副知事と、政治理念の普遍性よりは実利的な政策の効果を重視するポストモダン・プラグマティストの連携は、それほど意外なことではない。その根底にあるのは近代的理念への懐疑であり、ゲームの構造自体を相対化しつづける視線のありかた。
2012-11-18 21:49:46このあたりの危うさを最も知悉していたのがリチャード・ローティであり、だからこそかれが愚にもつかない文化左翼批判を始めたときにはローティも老いたな、と思ってたんだけど、左翼批判者としてのローティを絶賛する議論がうけたりしていて、嫌だねーと思って書いたのが昔々のローティ論でした。
2012-11-18 21:58:22気になるのは、1. 今回の「人権」発言にについては「理念の普遍性」ではなく実利的な政策に繋がりかねない点だから批判があったのではないか 2. それをあたかも実利と乖離した空理空論のように揶揄すればその発言の政治性が問われるのであり、それは批評/政治の違いとは無関係ではないか。
2012-11-18 21:59:26↓たぶん私宛と考えて勝手にリブします。まず1)はまさしくその通りと思います。だからこそこういう発言がポロッと出てくる人に首長されて政策が作られることに強い懸念がある、と様々な方が表明したわけで、それを「いちゃもん」というのは明らかに問題。
2012-11-18 22:05:57「理念の普遍性」については、そういう脱構築的な意図がないと東さんほどの才能があのような発言をしたのか、理解できないから。そう解釈すると、なんとなく彼の言いたいことと言えたことの差異が見えてくる、と。たんに無理解で発言するようなひとではないことはわたしがよく知っているつもり。
2012-11-18 22:08:43清水さんの2の点については、たしかにそうなのかもしれない、「批評/政治」の話と関係ないのかもとも思います。何が現実的か・実利的かというのは、それ自体広義の政治の効果なのに、自分のほうが現実的という認識を持つというのは、なんというかケーガン的といわざるをえない。
2012-11-18 22:15:05「何が現実的なのか」が政治の効果であるのか、直観的に―共感能力によって―把握可能なのか。それは一緒に仕事をしていてもついぞ理解し合えない対立だったです。だから、分からないけど考えるべきと思っていてほしい。わたしの知る彼はこういうのを「いちゃもん」というようなことはなかったと思う。
2012-11-18 22:18:45あともうひとつ。わたしには後期デリダのきわめて政治的な「正義論」とかが、彼の初期・中期と無関係とはどうしても思えない。後期デリダの政治性は初期からビルトインされていたと思うし、彼は一度として「近代的理念を揶揄する」という意味でのポストモダニストではなかったと思える。
2012-11-18 22:21:59東さんはずっと「自分は共感できないけど、しかしそういう立場はありうるだろう」という意味での想像力をどう政治的に実装化していくのか、ということに興味があったと思う。だから「自分は共感できないけど」の部分で違和感のあることをいうし「立場がありうる」というので設計者視線になってしまう。
2012-11-18 22:42:47それは当事者の痛みを考慮せずに「痛いんですね、僕は痛くないけどいい処方箋考えましょう」的な話にもなりうるんでそれは明確に問題なのだけど、同時に「痛みを感じることのできない他者とどう共存するか」という問いにも繋がる。後者の問いは前者と独立にできるはず、というのがわたしの彼への問い。
2012-11-18 22:46:30原理主義の無意味を学び、絶対正義を掲げても意味がないことを学ぶのが、本当の「国語」だと思います。@deguchihiroshi
2012-11-19 00:27:46あ、わかった。「人権という概念は人権はく奪状態を検出する装置である」というのがわからなくて、「性的弱者の人権」とかを政府がやってると、「やっぱり固有の、領域別の人権があるじゃないか」とか言いたい人がいるんだ。いやおめでたい。
2012-11-19 00:29:37石原慎太郎の性的民族的そのほかもろもろ少数者への無理解は自明なのであって、それをいまさら確認しても前進はない。重要なのは、今回の発言をひとつのきっかけにして、猪瀬都政において性的少数者の社会的活躍の機会が広がるよう働きかけていくことだと思うけど、違うのかな。
2012-11-19 00:32:14ジェンダー問題について、あるいは人権問題についてある種の訓練を受けた現代思想的社会学的リベラルの洗練された話法は承知しているけど、それをすべての政治家に求めるのは不可能ですよ。すべての政治家が、エネルギー問題の、災害対策の、金融政策の専門家でありえないのと同じように。
2012-11-19 00:34:16