【ネタばれ有り】映画『ローマ法王の休日』についての覚書

ナンニ・モレッティ監督作品『ローマ法王の休日』を鑑賞した際に呟いた感想を個人的に纏めたものです。
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tacker10 @tacker10tw

ほろ酔いですが帰宅しましたので、忘れない内に『ローマ法王の休日』の話でもメモっておこうかと。

2012-07-24 00:49:01
tacker10 @tacker10tw

やはりアニメ好きを公言するのであれば、本当なら某アニメ映画を観て来るべきだったのでしょうが、そこはいつも通り、ひねくれた性格をしている僕ですので、今日は『ローマ法王の休日』を観に行ってきました。これがその予告編ですね。→ http://t.co/KM77VIgK

2012-07-24 00:56:29
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tacker10 @tacker10tw

とはいえ、敢えて言ってしまうなら、この予告編は完全な詐欺です。コンクラーベ(法王選挙)の末に民衆の前で行う演説、そこから逃げ出した新・法王がローマの街で見つけた温かい何か――このような内容を期待するのであれば、近年の作品なら例えば『英国王のスピーチ』などを観ることをお勧めします。

2012-07-24 01:04:23
tacker10 @tacker10tw

恐らく多くの人がこの予告で『ローマの休日』のような、或いはそれをパロディしたコメディ調の作品を期待して観に行ってしまうはず。実際、僕が観た時の映画館の反応は、そのような形で「肩透かしを喰らった」と友人に呟きながら出て行く人が多数でした(これが評判の悪さに繋がっているのでしょう)。

2012-07-24 01:07:28
tacker10 @tacker10tw

しかしこの映画は(確かに前半はコメディ調で、笑える部分が多い――実際、僕もその部分は笑いっぱなしでした――のは事実なのですが)、実際には極めてシリアスな「息を呑む」作品です。ここで更に風呂敷を広げてしまえば、しかもネット時代の私たちが観て非常に唸らされるものであるかもしれません。

2012-07-24 01:12:40
tacker10 @tacker10tw

先日、僕は『人類は衰退しました』についてブログを書いた時に、マクルーハンから、電子メディアの延長線上にある「地球村」において「この私」は「二重化される」という奇妙な体験を強いられる、といった内容を引きました。

2012-07-24 01:19:38
tacker10 @tacker10tw

ところで現代日本でSFと言えば最早、伊藤計劃の名は外せません。そんな彼は『The Indifference Engine』収録の『Heavenscape』で、冒頭に「プラウドン判例集」から、ある判例を引用しています。それは「王の二つの身体」についてです。

2012-07-24 01:26:23
tacker10 @tacker10tw

「コモン・ロー上、王が王として遂行したいかなる行為も、王が未成年であるという理由で無効にされることはありえない。というのも、王は自らの内に二つの身体、すなわち自然的身体と政治的身体を有しているからである。彼の自然的身体は可死的身体であり、本性上あるいは偶有的に生ずるあらゆる(→

2012-07-24 01:29:48
tacker10 @tacker10tw

→)弱点に服し、幼児期や老齢期の虚弱さや、他の人々の自然的身体に起こるのと同様の欠陥にさらされている。しかし彼の政治的身体は、目で見たり手で触れることのできない体であって、政治組織や統治機構から成り、人民を指導し、公共の福利を図るために設けられたのである。そしてこの身体には(→

2012-07-24 01:32:14
tacker10 @tacker10tw

→)自然的身体がさらされている幼児期や老齢期は全く存在せず、他の自然的な欠陥や虚弱さも全く存在していない。そして、これゆえにこそ、王が彼の政治的身体において遂行することは、彼の自然的身体に内在するいかなる無能力によっても、無効にされたり破棄されることはないのである。」

2012-07-24 01:35:21
tacker10 @tacker10tw

これが伊藤によって「プラウドン判例集 1816年」から引用されている部分です(ちなみに、これについてはカントローヴィチ『王の二つの身体』に詳しい内容が載っているようです)。僕は『ローマ法王の休日』を観ていて、ずっと伊藤がこれを引用した意味について想いを馳せていました。

2012-07-24 01:39:59
tacker10 @tacker10tw

さて、前置きはこのくらいにして、そろそろ本編の話に入りましょう。映画冒頭、枢機卿の面々が謡う聖歌、記者のまくり立てるような声、更にそれを遮るように被せられるヴァチカン報道官の返答。この映画において、このような“覆い尽くさんばかりの”「音/声」は極めて重要な役割を持っています。

2012-07-24 01:51:42
tacker10 @tacker10tw

例えばその直後、選挙で誰もが自分の一票を決め兼ねて、ペンでコツコツと机を叩き、「主よ、どうか私になりませんように」という心の声が五月蝿い程に重なり、部屋に充満するシーン。或いは、選挙結果を一票一票読み上げる声と、その結果が見えた時の拍手。このような音と、画面は常に連動しています。

2012-07-24 01:57:26
tacker10 @tacker10tw

騒がしい音はフレームとなり、画面中央少し右上に位置する新法王、メルヴィルを次第にアップにしながら重圧となって追い詰めます。彼の声は、決してそこでは誰にも伝わりません。それは他の大きな音に紛れてしまうからです。例えるなら、ミステリの「大量死理論」がここでは行われている訳です。

2012-07-24 02:03:52
tacker10 @tacker10tw

(ここで一応、アニメクラスタ的な何かとしての発言を差し挟んでおけば、そういう意味で同じような空気感を持つのが現在放送中のアニメ『氷菓』だと言えるでしょう。例えば「関谷純」はどうして犠牲になったのか、「千反田える」が掘り起こすのは何か、を思い起こせば分かり易いはずだと思われます)

2012-07-24 02:08:44
tacker10 @tacker10tw

そして、民衆の前から逃げ出したメルヴィル。そこでようやく無音と共に画面は引き、彼が逃げ込んだのがあのコンクラーベを行った部屋だというのが分かります。そこには先程まで充満していたはずの音はなく、あるのはただの空虚さだけ。ここで二重化による偏執狂の完成される、と言ってもよいでしょう。

2012-07-24 02:14:01
tacker10 @tacker10tw

この引きで写された部屋の空虚さはメルヴィルの政治的身体そのものです。言うなれば器官のない身体。故に彼は身体に異常がないにも関わらず、しかし精神鑑定の場では「これまで会って来た全ての人が消えてしまった」と記憶喪失にも似た症状を訴えます。これは先程の引用をそのまま形にしたものですね。

2012-07-24 02:22:47
tacker10 @tacker10tw

このように描かれるメルヴィルの姿は、既にネットによって「二重化」される体験を強いられる「この私」たちとほぼ同型の問題であるでしょう。それ故にこの作品では精神病患者と精神科医が多く登場します。それは作中で「精神科医ばっかりだな」などと云うメタな台詞が出ることからも明らかです。

2012-07-24 02:30:11
tacker10 @tacker10tw

さて、丁度よく説明にも出てきたのですが、この精神科医のシーンにも注目しておかなければなりません。何故なら、先程の「音/声」と同様に、作中ではもう一つの重圧が存在します。それは画面上で左回りに(メルヴィルの位置を)取り囲むように先回りしようとするベクトルです。

2012-07-24 02:30:29
tacker10 @tacker10tw

彼がヴァチカン報道官と共に廊下を何度も(左巻きに)曲がりながら(しかも曲がる度に憲兵が列の後ろに追加されるという、分かり易すぎるほどの重圧表現までありつつ)部屋へと連れられて外界との連絡を絶たれるシーンは、例えばその後にメルヴィルを追うSPの動きとして反復されます。

2012-07-24 02:39:44
tacker10 @tacker10tw

とはいえ、メルヴィルはたまたま通りすがった車の陰で、SPを振り切り、逃亡します(その瞬間に彼がいたのも、まさに先程の画面中央少し右上でした)。さて、ここで報道官が取ったのは、外部には法王が祈祷のために部屋に籠っていると嘘の情報を流し、時間を稼ぐことでした。

2012-07-24 02:51:13
tacker10 @tacker10tw

メルヴィルは実際には外に逃げ出しているのに、メディア上では法王は礼拝堂の一室にいることとされてしまう(ある憲兵が毎日、部屋に法王がいるかの如く窓のカーテンを揺らす役割を課せられ、他の枢機卿たちもそれを知らされずに過ごすこととなります)。完全に彼が「二重化」される訳ですね。

2012-07-24 02:57:30
tacker10 @tacker10tw

そうそう、このカーテンと窓、というのも作中で極めて重要なモチーフです。何故なら、メルヴィルが逃げてしまった場所こそ、民衆に姿を見せる窓だからです。彼が現れず、ただカーテンだけが棚引く窓の暗さは、(ラストの展開込みで)とても印象に強く残るでしょう。それは言うなれば「舞台」です。

2012-07-24 03:01:35
tacker10 @tacker10tw

では、「二重化」された後の流れを順に追って行きましょう。まずはメルヴィル。一つ前のツイートで「舞台」と書きましたが、彼は若かりし頃、舞台役者志望でした。よって、ローマの街で彼が僅かばかり記憶を蘇らせるのは、精神病の役者(彼の写し身)と邂逅する幾つかの場面のみとなります。

2012-07-24 03:07:44
tacker10 @tacker10tw

他にも精神科医の元・妻で精神科医をやっている女性が仕事で見ている子供の絵に描かれた頭が二本になった竜、そこで交わされる「私はここにいないことになっている」という会話など、これまで述べて来たことと密接に関係するものは多々ありますが、ここでは割愛しましょう。

2012-07-24 03:10:07