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科学主義的リスク言説が置き去るもの

事実、規範、実存、をめぐる、らら美さんと平川先生のツイートをまとめました。
平川秀幸
kei_sadalsuud 15796view 48コメント
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  • らら美 @risashim 2012-11-22 01:31:47
    1.健康被害はあり得ない、という事実認定の否定。2.責任追及を言っても仕方ないという規範的次元の否定。3.被害により奪われ、傷つけられた実存の否定…という3つのレベル(ダンナ談)。福島人権宣言は実存のレベルに深く根ざしているから、12だけで話を済ませたい人には困るのか?
  • らら美 @risashim 2012-11-22 01:49:27
    事実、規範、実存、という構造は、あちこちで起こるコミュニケーションの破綻の共通要因なのかもなぁ。往々にして、事実に関する見解の相違に留まらない、規範と実存の否定を含む言説に、私はムカッと来る。
  • らら美 @risashim 2012-11-22 02:00:15
    原発事故の被害を巡る場合の「事実」がどの程度社会構成的か。事故の責任を問う正当性をどのようにどの程度認める社会で生きていきたいか。他者の実存をいかに尊重する(又は切り捨てる)主体として立つか。そして、それら3つのレベルを一体に受け止めるか別問題と切り捨てるか。
  • Hideyuki Hirakawa @hirakawah 2012-11-22 02:27:47
    ↓以下の件、先週末の学会でも誰かと話してて改めて思ったのだけど、人間の「リスク認知」には大雑把にいって1.被害の程度・発生確率に関する「事実的次元」、2.公平性・自己決定性・責任等に関わる「規範的次元」、3.傷つけられた我が身の承認という「実存的次元」がある。
  • Hideyuki Hirakawa @hirakawah 2012-11-22 02:31:36
    続)リスクについての科学的理解というのは1.の事実的次元に属するが、それはあくまでも、リスク認知の複合次元から「敢えて」2と3を捨象した操作的定義だという認識を伴わないといけない。さもないと容易く2、3を(「敢えて捨象」ではなく)否定する科学主義的リスク理解に横滑りする。
  • Hideyuki Hirakawa @hirakawah 2012-11-22 02:35:16
    続)これについては昔、『現代思想』』2003年7月号に「リスク、不確実性、悲劇性 ― 科学主義的リスク言説が置き去るもの」というのを書いたことがある。ちょっと長いが、以下連ツイで結論部分をコピペしておく。
  • Hideyuki Hirakawa @hirakawah 2012-11-22 02:37:00
    引用1)『結局、人間にとってリスクは、常に誰かの行為に伴うものである。いいかえればリスクは、不正義や不道徳の現象であり、不信や失望、憎しみや怒り、あるいは赦しや購い、償いという行為の対象である。』
  • Hideyuki Hirakawa @hirakawah 2012-11-22 02:38:49
    引用2)『そこで恐れられるのは、予期せぬ、取り返しのつかない、赦しがたい被害が降りかかる怖れや、被害を受け声をあげているのに振り向かれず、傷つけられたわが身の存在を確証してもらえないことの苦しみ・・・』
  • Hideyuki Hirakawa @hirakawah 2012-11-22 02:39:22
    引用3)『・・・そして「被害を受けたのは、なぜ自分であって他ではないのか」――あるいは自分の大切な者が被害を受けたときには「なぜこの人であって自分ではないのか」――という、より根源的で答えのない偶有性の苦しみ であろう。』
  • Hideyuki Hirakawa @hirakawah 2012-11-22 02:40:36
    引用4)『そこで求められているのは、そうした苦しみからの救済や、受け入れがたい現実との和解なのであ。』
  • Hideyuki Hirakawa @hirakawah 2012-11-22 02:43:00
    引用5)『あるいは、求められているのは、意思決定に参加し、自ら、テクノロジーの目的や必要性、リスクと便益を吟味するという政治的機会でもあることをPABEの調査は明かしている。』(PABEについてはこちら参照:http://t.co/GfIiLQPD
  • Hideyuki Hirakawa @hirakawah 2012-11-22 02:43:48
    引用6)『そこにあるのは、そのテクノロジーのリスクを受け入れるにしても、納得して受け入れたいという道理を通すことへの欲求であろう。』
  • Hideyuki Hirakawa @hirakawah 2012-11-22 02:44:06
    引用7)『結果が完全には予見できないのならば、せめて目的や動機は正統なもの、同意・受け入れ可能なものであってほしい、それならば悪い結果も赦すことができるかもしれない、ということでもあるかもしれない。』
  • Hideyuki Hirakawa @hirakawah 2012-11-22 02:44:41
    引用8)『とはいえ、これらは所詮は、不確定な未来を前にした現在でのことである。これらの求めが仮にすべて満たされ、テクノロジーの利用を「許し」たとしても、その結果を「赦し」受け容れることができるかは、結果が訪れてみなければわからない。』
  • Hideyuki Hirakawa @hirakawah 2012-11-22 02:46:00
    引用9)『リスクを引き受けるかいなかも常に賭けでありリスクなのであり、怖れはなくならない。』
  • Hideyuki Hirakawa @hirakawah 2012-11-22 02:48:18
    引用10)『現在と未来のあいだに横たわる解消不可能な不確実性というリスクの時間性に由来する苦難と恐れ、予め答が用意できない問い。それらが示す人間の生の「悲劇性」は、決して科学的な予測や制御、説明によっては救えず、科学主義的リスク言説の蔓延は、この事実をどこかに置き忘れてしまう。』
  • Hideyuki Hirakawa @hirakawah 2012-11-22 02:49:50
    引用11)『特に「なぜ~であって他ではないのか」という根源的な偶有性の苦しみの経験や予感は、科学主義的リスク言説のなかで人々に「理解」を迫る「リスクの確率論的理解」と徹底して敵対し、決して癒されることはない。』
  • Hideyuki Hirakawa @hirakawah 2012-11-22 02:50:04
    引用12)『リスクに関する言説や実践は常に、人間にとってのリスクという経験の根源から出発しなければならない。』
  • Hideyuki Hirakawa @hirakawah 2012-11-22 02:54:00
    続)同じ話はチェルノ20周年で毎日新聞に書いたこともある(「21世紀を読む―チェルノブイリ事故20年:悲劇から何を学んだか」,『毎日新聞』2006年4月23日朝刊)。以下引用。
  • Hideyuki Hirakawa @hirakawah 2012-11-22 02:56:24
    引用13)『チェルノブイリの記憶の最たるもの。それは、どんなに最善の知識と技術を集めても備えきれず贖うこともできない悲劇は起こりうるということではないか。事故の発生確率として科学的に見積もり、技術で制御可能な「リスク」ではなく、不意をついて襲ってくる正体不明の不幸に対する恐れ。』
  • Hideyuki Hirakawa @hirakawah 2012-11-22 02:58:15
    引用14)『ここで忘れてはならないのは、科学技術・・の問題といえども、常に誰かの意思や行為の結果であり、怒りや憎しみ、あるいは赦しや償いという感情や行為の対象だということだ。そこには、赦しがたい被害が降りかかる怖れや、誰かを憎み、自らもそれに囚われてしまうことの苦しみがある。』
  • Hideyuki Hirakawa @hirakawah 2012-11-22 02:58:56
    引用15)『傷つけられたわが身の存在を誰にも確証してもらえず、償われもしないことの苦しみや、「被害を受けたのは、なぜ自分であって他ではないのか」、あるいは自分の大切な者が被害を受けたときには「なぜこの人であって自分ではないのか」という答えようのない問いの苦しみもある。』
  • Hideyuki Hirakawa @hirakawah 2012-11-22 02:59:35
    引用16)『こうした苦しみに対して科学や技術は無力だ。それらが予測や制御によって、いわば未来を現在の意志に従わせる行為であるのに対し、赦したり、受け入れがたい運命を受け入れたりする「和解」は、他人はもちろん当人ですら、意志の力ではたぐり寄せられない「奇跡」に属することだからだ。』
  • Hideyuki Hirakawa @hirakawah 2012-11-22 03:01:08
    引用17)『この二〇年、科学技術も政治も経済も、問題の解決に向けて大きく前進してきた。しかし私たちの社会の「悲劇との和解」の力はどうだろうか。』
  • Hideyuki Hirakawa @hirakawah 2012-11-22 03:01:31
    引用18)『日本国内を見ても、水俣病など何十年も前の事件で、十分な救済も、被害者としての認定すらも得られず苦しむ人は数多い。チェルノブイリからの二〇年、私たちは何を学んできたのだろうか。』(引用終)

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