@oyaziMK2 @toruoga0916 むしろこの問題を考える場合、戦前の日本の帝大以外の高等教育機関(旧制高校・高等専門学校)の教員の養成方法や意識がどうだったのか、というところから見ていく必要があるのではないかと。
2012-11-20 18:31:09@oyaziMK2 @toruoga0916 もし彼ら、「研究者」になれなかった者のルサンチマンが日本をあの無謀な戦争に導いたのだとしたら業が深いな、とも。
2012-11-20 18:32:32@oyaziMK2 @toruoga0916 あるいは、欧米に追い付かねばの時代は帝大ですら今のFラン以上に「教育者」としての意識しかない、「研究」は軍なり企業なりの研究所で別の人がやるもの、
2012-11-20 18:36:02@oyaziMK2 @toruoga0916 大学に所属している人間が「研究者」だという意識自体が日本では戦後になってから根付いたものである、という可能性も…
2012-11-20 18:37:12@kogemayo @oyaziMK2 ご提起の点は大変興味深い点です!必ずしもその分野に明るいわけではないですが、戦前の研究者養成は旧帝大でさえも、まともには機能しておらず、せいぜいが留学前の「待合室」のようなものだったときいています。
2012-11-20 20:33:31@kogemayo @oyaziMK2 ただ大学が数えるほどしかなかった時代ですから、教育者としてにせよ、研究者としてにせよ、かなり強いエリート意識があったのではないかと思います(逆に、そこから脱落した人間のルサンチマンも凄まじかったことでしょう)。
2012-11-20 20:34:46@kogemayo @oyaziMK2 旧制高校の教育観は参考になるのではないかと思います(詳しくはありませんが)。ただ、私のもともとの問題意識ですが、エリート養成機関だった頃の旧制高校や大学というのは、ケーススタディとしては有意義ですが、比較対象としては結構厳しいと思っています
2012-11-20 20:39:46@toruoga0916 @kogemayo 参考として、『教養主義の没落―変わりゆくエリート学生文化 (中公新書)』 竹内 洋 http://t.co/pRMVdxVO、『大学の誕生〈上〉帝国大学の時代 (中公新書) 天野 郁夫 http://t.co/kn1feN5l 』
2012-11-21 09:15:10@toruoga0916 @kogemayo 『大学の誕生〈下〉大学への挑戦 (中公新書)』 天野 郁夫 http://t.co/P9QihKgC を挙げておきます。
2012-11-21 09:15:53@toruoga0916 @oyaziMK2教養知の現在 (http://t.co/Uhnx9uAv):僕は闇雲に教養やリベラルアーツを信奉していましたが、専門と教養の逆転があったなんて思いもよりませんでした。ツイッターにとどめておくのはもったいない、書籍化してほしいくらいです。
2012-11-21 09:35:59@Fanjiang8 @toruoga0916 逆転というより、「教養」の中身は時代によって変わるということです。一例をあげれば、200年前の日本人の「教養」は四書五経、仏典、記紀等々だったわけですが、今や、それらは「専門知」になっています。
2012-11-21 09:46:01@oyaziMK2 @toruoga0916 僕は「大正教養人」への憧憬をもっていて、それゆえ「教養」への信奉につながった節があります。大正時代と現代での教養をどちらも同質のものと思い込んでいました。今は大方教養科目を取っていますが、学問と呼ぶに値するか怪しい科目もちらほら…
2012-11-21 09:53:46@Fanjiang8 @toruoga0916 では、『教養主義の没落―変わりゆくエリート学生文化 (中公新書)』 竹内 洋 http://t.co/pRMVdxVO … を読んでみてください。
2012-11-21 10:19:55@oyaziMK2 @toruoga0916 先日、数年前の中央公論に掲載された竹内氏の論評を読みました。全入時代や読書離れに伴う中堅大学の文化衰退を嘆くものでした。早速この本も読んでみます。中堅大学(法政)の人間として、エリート大学に引けを取らない草の根の文化を復興したいです。
2012-11-21 10:27:50@oyaziMK2 @toruoga0916 世間でそう見られているのなら光栄なことでございますが...竹内氏は「東大京大早慶に対抗する大学」を中堅大学と定義していたように思います。そうなると、法政がしゃしゃり出るしかないでしょう!
2012-11-21 10:40:27@oyaziMK2 @Fanjiang8 ひとつ思ったのですが、四書五経、仏典、記紀等は「当時」においても「教養」と位置付けられていたのでしょうか?ここで問題にしているのは、「教養」という言葉があったか?なかったか?ということではなく、「教養」と「専門」という問題設定の時代性です
2012-11-21 20:46:08@oyaziMK2 @Fanjiang8 何が言いたいかと言うと、「教養」と「専門」という問題設定自体が、近代合理主義の産物ではないかということです。
2012-11-21 20:47:02@oyaziMK2 @Fanjiang8 お二人のやり取りを見ながら思ったのですが、教養に貴族的教養と市民的教養(義務教育的・・・)があるように、専門にも職業的専門とオタク的専門があると思いました。つまり特定の職業に就くための狭い知識と、あまり職業とは関係ない趣向的な知識。
2012-11-21 20:50:28@oyaziMK2 @Fanjiang8 で、①貴族的教養、②市民的教養、③職業的専門、④オタク的専門と整理をすると、おそらく①貴族的教養と④オタク的専門はある側面では繋がっているようにも思いますが、これをどのような教育課程でどの程度行なうのかというのは結構難しい問題ですね。
2012-11-21 20:52:36@toruoga0916 @oyaziMK2 僕が教養を重視する一番の理由は、東京帝大以来続く文系/理系の構造に終止符を打ちたいからです。殊に文系→理系へのアプローチはほとんど閉ざされています。学問以前に、個々人の世界が狭まるのはもったいないというか、つまらないことです。
2012-11-21 21:11:10.@Fanjiang8 @oyaziMK2 この関係は「政治」と「政治学」にも言えるのかもしれません。「○○という現象は○○学の知見だけでは解明され得ない」というのは政治に限らずあると思いますが、問題は「必要な無駄」が必要だとして、その答えがリベラル・アーツなのか?ということでは
2012-11-21 21:18:29.@Fanjiang8 @oyaziMK2 考えてみれば理系→文系はあるのに、文系→理系っていうかたちでの学際(というか文理融合)はないですね。文系→理系っていうと心理学とかゲーム理論くらいですかね~(「理系→文系」とは理系の問題意識で、文系の知識にアクセスするという意味です)
2012-11-21 21:25:34.@oyaziMK2 @Fanjiang8 すみません、書き忘れたので備忘録程度に。要するに「教養」という言葉に、やたらと「懐古趣味」的な側面(古き良き○○)と、やたらと実践的な側面(○○に活かす教養)があって、それが問題をややこしくしているような気がしなくもないです。。
2012-11-21 21:41:31