文楽:三人遣い

細馬宏通 Hiro Hosoma(@kaerusan)氏の文楽における「三人遣い」についてのツイートをまとめました。
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細馬宏通(『フキダシ論』) @kaerusan

身振り研。奥井遼さんの発表は淡路の人形浄瑠璃のデータ。おもしろい!三人遣いとは一つの身体に三人の相互行為を体現させる芸術。左右の手、足の動きのタイミングのずれに、普段は無意識のうちに行っている行為の微分を見る。身体の震えも見得も、相互行為の分節点と捉えるとでまるで違ってみえる。

2012-11-24 20:52:22
細馬宏通(『フキダシ論』) @kaerusan

かつて、文楽が盛んで、誰もが繰り返し文楽に通った時代、人形の動きの人間ばなれしたがくがくとした節、歩き出すときにまず手ががっと空をつかみ、わずかに遅れて足が出るその所作を見て、客は、そこに、「思わず情に動かされて歩きだそうとしている」身体を見たに違いない。

2012-11-24 20:54:37
細馬宏通(『フキダシ論』) @kaerusan

普段は同時と見える身体の各パーツの動きが、三人遣いでは少しずつずらされ、右手の動きが左手の動きを予告し、頭の動きが踏み出す足の動きを予告する。人形振りはそのような動きの予兆に満ちている。その予兆を、情動の先走りととらえ、ああこんなに気持ちは動いているのに身体がままならぬとみる。

2012-11-24 20:56:30
細馬宏通(『フキダシ論』) @kaerusan

人形は、そのような身体の動きの予兆によって、客を前のめりにさせた。こんなにも動きたいのだという思い入れと、まだ動かぬのか、というじれったさとが、一つの身体に表れる動きのずれとなって、浄瑠璃語りが佳境に入るとそのずれが縮まり、一つの身体の速さとなるその興奮。

2012-11-24 20:59:34
細馬宏通(『フキダシ論』) @kaerusan

文楽に限った話ではないが、「で、キミはどうやってワタシを楽しませてくれるのかね?」という態度で臨む者に、けしてその奥深さは訪れないであろう。そういうふんぞり返った消費者を前提とする社会に、文化もなにも芽生えるわけがない。

2012-11-24 21:06:04