脱構築テスト化し端的になった受験国語。仏教で難読化しテストされる日本近代。

端的な受験の国語力 http://togetter.com/li/389456 のつづき。なお途中欠落しています。FBのまとめをご覧ください。 https://www.facebook.com/kaoru.ohmoto 続きを読む
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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

ツイートまとめ@FB(^-^)/ 西欧近代を独我論と捉えさせる日本仏教的なテスト問題で批判的に読めるかという国語問題。 https://t.co/mC1NX7h7

2012-12-15 02:25:06
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

早大文学部2008 http://t.co/CsSOwWyy は西欧近代が独我論と思えると、死者が事実とならず、自己が殺人鬼という他者になる、と分らなければならない。この分るが読解であり、国語はこの分るということを計量することしかできない@sunamajiri

2012-12-15 00:28:42
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

だから私たちは、何が近代化させないのか、と問うのが国語力とはっきりと自覚できるようになったというだけ。私は仏教思想が日本を近代化させないと常に言っているのだが、仏教思想側からは西欧近代が独我論と見える、というのがこの早大過去問。@sunamajiri

2012-12-15 00:22:09
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

デカルトをカント・フッサール化させ、独我論と捉えるのが近代思想のメインストリームでないのは明らか。近代とは端的にhttps://t.co/alrtco4Q のように無限懐疑が、方法的に皆無化し、無神論が不可能になった時代のことをいう。@sunamajiri

2012-12-15 00:19:40
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

この(日本を)近代化させない、日本仏教ならではの近代観(デカルト~現象学までを独我論と一蹴するような)、を批判的に読めるかどうかが、端的に現代文の国語力となっている、と纏めて差し支えないと思う。@sunamajiri

2012-12-15 00:13:33
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

要するにその過去問のいうような独我論に近代が見えると、仏教ないしはアニミズム回帰の文が書かれるということなのだが、しかしその文がいうようなデカルト~現象学(ハイデガー)までが独我論だという近代観は日本仏教思想ならではであり、端的に近代ではない。@sunamajiri

2012-12-15 00:10:08
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

ハイデガー批判、あるいはメルロ現象学も、それに対峙した仏教思想への回帰も、別に大して難しい問題ではない。たとえばその過去問は、近代を独我論と捉えれば仏教しかなくなるといいたいわけだが、じつは仏教が独我論だから近代がそう見える、というだけ。@sunamajiri

2012-12-14 23:57:36
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

さて早大文学部http://t.co/CsSOwWyy 問題に現れた仏教思想の話をしていたわけだが、近代に自己言及するしかない日本の評論文は、ハイデガー批判となるか、仏教思想になるか、という私の説の通り、それを命題としておさえれば満点とれるよ、という話。@sunamajiri

2012-12-14 23:49:35
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

デカルトを独我論と捉え、神がいないといいはじめると、自己まで事実ではなくなる。だから、たとえばハイデガー晩年の仏教化を批判的に捉える現象学が、最近出題される国語問題の本体になってきているのだが、もちろんそうした批判眼がないと、早大文学部問題は解けない。@sunamajiri

2012-12-14 06:24:37
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

たまたまさっき、輪廻を説く仏教が現世への執着なのではないか、という妹の違和感https://t.co/SpmamKkW を紹介し、またニーチェに対するハイデガーの晩年が仏教化するという話を、うちにきたりとさんとしていたのだが、それを彷彿とさせる文だった。@sunamajiri

2012-12-14 06:20:07
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

死者という他者を事実とできないと、自己が殺人鬼という他者になる、という独我論がデカルト~ハイデガー的現象学だ、と要約できるこの日本仏教思想なるものは、神を懐疑する方法を徹底して失ったhttps://t.co/alrtco4Q という近代への無理解による。@sunamajiri

2012-12-14 06:13:20
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

冒頭の和辻は余計。筆者は日本仏教思想史だが、デカルト~ハイデガー的現象学までを単なる独我論と切り捨て、問2の自己がいきなり犯罪者になるような他者性を見失うことで、アウシュヴィッツのような死者という他者を事実として受け入れられない、という趣旨ではある。@sunamajiri

2012-12-14 06:05:41
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

問2は、自己こそ他者だというのが空欄補填だが、その自己=他者をデカルト~現象学(ハイデガーまで)は、事実として取り出せない、だから死者という他者を事実として受け入れられない、というのが命題だが、これは近代論の誤謬であり、日本仏教の誤謬そのもの。@sunamajiri

2012-12-14 06:01:58
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

土曜に見て欲しいとメールがきた、早大過去問を一読した。日本仏教学による現象学批判なんだが、文中のデカルト~現象学は、我を他者とできていないという命題が、端的に日本仏教による誤謬に見えた。http://t.co/CsSOwWyy

2012-12-14 05:58:06
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

面白いのは、現世に執着が無い人に向かってまで、輪廻を説くのが宗教なのか、と妹が違和感を端的に表明している点。妹にしてみれば、現世に執着させるのがそういう宗教的な言い方と映るらしい。もちろん肉体が滅べば魂も滅ぶ、という恐怖心を和らげる言い方なのだが。@akira_ikeda1

2012-12-14 03:19:24
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

まあ、遺族を慰める法話だからね。そりゃ、もう消えました成仏しましたじゃ悲しいので、すぐに戻ってきます、身近なところにとつい言いたくなるのが人情なんでしょうが、現世に執着がないという妹にはそこが違和感があったようで。そうなると今度は浄土がでてくるというw@akira_ikeda1

2012-12-14 02:26:40
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

もちろん、法話は遺族を慰撫するナラティブなので、チベット死者の書であれ、輪廻で身近なところに戻ってくるという言い方になるのだが、妹は現世がきらいだそうで、はやく解脱して成仏したいのに、輪廻を説かれるのは心外としきりに言っていて苦笑した。@sunamajiri

2012-12-14 02:19:45
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

先日お経の後の法話が、四十九日で次のお腹の中に輪廻というのが、チベット密教の死者の書のエッチを見たら興奮してお腹の中へ、より端的でいいと評したら、うちの妹がTLをみていて、現世に執着ないのに輪廻するの?解脱して成仏すると説かないの?なんか変って言い出したw@sunamajiri

2012-12-14 02:17:16
フリードリヒ・ニーチェ @F_W_N_jp

「神」という概念に対する感覚を堅持することが可能であるとすれば、それはただ、神を衝動する力としてではなく、神を極大状態として、一つの転期として捉えることのみであろう-。-権力への意志-

2012-12-13 05:05:20
聖師出口王仁三郎 @ONISAVULO

『神という言葉』④佛という字は「人に非(あらず)」と書いてあって、凡人にすぐれた覚者の意である。また佛の意味は解ける、すなわち解脱したことをいうのである。#onisavulo

2012-12-13 05:05:01
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

ツイートまとめ@FB(^-^)/ 端的に神を無限懐疑する方法がなくなった近代において、印欧語固有の《悟り》を客観テストするアニミズムまたは唯物論について。 https://t.co/0kdvqxCO

2012-12-12 04:25:15
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

言ってみれば、近代までは神を懐疑するがゆえに悟るものだったのが、近代では神を懐疑できなくなった(懐疑する方法がなくなった)。端的にそういう図式があるわけで、唯物論などというものは、むしろ中世的な神の無限な懐疑に遡行しているだけで、殆ど無意味なわけです。@sunamajiri

2012-12-12 03:53:41
丸山圭三郎 @M_Keizaburo_bot

ラカンのメリットは、フロイトに残っていた実体論的思考、つまり欲動の〈表象代理〉である無意識の実在性を措定したり、隠された真の意図を直接観察可能な見せかけの外観に対置しかねない発想を、無意識自体を言葉と見做すことによって乗り越えた点に見出される。

2012-12-12 03:35:51
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

いわば《我安寧する故に我在り》が《客観性》となるよう国語テストする。それが唯物論的https://t.co/rmZvjHWu には不可欠とされる。しかしそんな安寧=客観性などは、《悟り》というより普通は端的に《神》と呼ばれる、というだけなのでしょう。@sunamajiri

2012-12-12 03:35:32
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

テクストから何を《悟る》かをテストすれば、それは単なる客観性や唯物論や対象自体とかではなく(それでは表象だ)、むしろ端的に心の安寧のようなものなわけで、難読文から《悟り》のように解けるか?という問は、そのまま安寧しているか?という問いなのでしょう。@sunamajiri

2012-12-12 03:22:37
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