『サウンドを巡る生態系vol.3』DJ KENSEI × 原雅明
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【今週】11.25(日)『サウンドを巡る生態系』テーマはDJ/ゲストはDJ KENSEIさんをお招きします。ダンスフロア黎明期〜ディスコの時代から日本のフロアを見続けてきたKENSEI氏が語る10年代のクラブカルチャーとは?! http://t.co/oyB0CvEW
2012-11-20 21:32:55【サウンドを巡る生態系】当日のレジュメです。 ・DJカルチャーの黎明期 ・ディスコDJ/ヒップホップDJ、その分断と横断 ・ヒップホップとDJ KENSEI ・90年代後半〜2000年代初頭のクロスオーバー ・2000年〜エレクトロニカ、レイヴ以降 ・『プレイヤー』としてのDJ
2012-11-22 18:10:01【サウンドを巡る生態系】ゲストのDJ KENSEI氏は、DJカルチャーの黎明期から活動しながら、今なお最前線を走り続ける唯一無二の存在。さまざまな文化や世代を超えて活動してきた氏ならではの視点を、原雅明が引き出していきます。 http://t.co/5VB9BcoD
2012-11-22 18:14:18【サウンドを巡る生態系】KENSEI氏の音源から、昨年PROGRESSIVE FOrM よりリリースされた『INFINITE IN ALL DIRECTIONS』のトレイラーをご紹介。 http://t.co/6i23PeUp
2012-11-22 18:21:41【サウンドを巡る生態系】伝説的ユニット『インドープサイキックス』による作品のリマスターだが、過去の作品とは思えないタイムレスな魅力を放っている。KENSEI氏の活動を象徴するようなサウンド。 http://t.co/ZYZe5g5h
2012-11-22 18:25:39KENSEI氏の近年の活動から『Coffee & Cigarettes Band』によるセッション映像。生楽器とエレクトロニクスが入り乱れるセッション。10年代の『ジャズ』の一つの形。 http://t.co/0MJYUYFL
2012-11-22 18:32:10ヒップホッププロデューサーとしてのDJ KENSEIの活動から。 TABOO1 feat.志人 「禁断の惑星」 http://t.co/3wPRmD7D
2012-11-22 18:34:53日曜の美学校音楽講座はKENSEIさんがゲストです。DJ、そしてDJ視点のプロデューサーとしての歩みを追いながら、どう音楽と向き合ってきたのかを掘り下げ、感じ取れる場になればと思います。今週だけスタートが午後7時からです。 http://t.co/qwuLwPuL
2012-11-24 13:24:46kensei 中学は厚木の田舎で、テニスやってました笑。東中野の付属高校に進学したんですが内部進学のクラスメイトはヴィトンのバックなど持ってたり、既にパーティなんかもやっているような奴らばっかりでした。そんな悪友に囲まれて、音楽の方面にのめり込むようになったんです。
2012-11-25 19:22:33kensei 最初のクラブはディスコの時代でした。ファッションなど、カルチャー的な要素は衝撃でしたが、最初はそこまでのめり込んでいた訳ではなかったんです。
2012-11-25 19:23:48kensei 高校時代は、六本木のいろんなハコを借りてパーティなんかをやっていました。パー券をさばいたり…僕はそこで、そういった社交的な要素よりも、音楽そのものに少しづつのめり込むようになりました。
2012-11-25 19:25:02kensei ディスコ全盛の時代、六本木の中心から少し離れたところに、アンダーグラウンドなクラブがあったんですが、そこが自分の場所だ!と思って、3日に1回くらいのペースで入り浸っていました。
2012-11-25 19:27:18kensei 先輩に夜中にあちこち回されたり、教えられるうちにDJを始めるようになっていきました。そんな感じで夜中遊んで、昼間高校行く、という生活でしたね。
2012-11-25 19:28:53kensei 渋谷の宮益坂にあったハコ。4台のターンテーブル、フロッピーのサンプラー、MIDI鍵盤など、いろんな機材があったんです。それらのプレイを初めて観たときは本当に衝撃でした。
2012-11-25 19:31:20kensei DJ yutakaさん http://t.co/KzsZZ2cl とのつながりがありました。当時遊びにいくと、オープンリールを使ってエディットをしている姿をよく見かけました。
2012-11-25 19:33:16kensei 当時作った音源をプレイします。サーカスというクラブがスポンサードして作られたアルバムで、実はAvexが一番最初に世に出したCDなんです。自分の中で封印してた音源なんで、ダサくて恥ずかしいのですが笑
2012-11-25 19:38:44kensei 元々日本語ラップは興味なかったんですが…95年くらいかな?高校時代のコミュニティのつながりがあったk-dub shineの活動を手伝うようになりました。そのあたりから日本語ラップにも関わりを持つようになってきました。
2012-11-25 19:47:15kensei 初めてお金をもらって働いた店では、DJをやってないときは照明をやったり、VHSビデオを流してVJみたいな事やったりしてました。当時の六本木のディスコって個性のある店が多かったですね。
2012-11-25 19:54:24