東海道中膝栗毛 [初篇]
- KumanoBonta
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初編は、江戸神田から箱根宿までのお話です。
【一日目】神田を出発
思うままに富み栄える平和な時代。かつての戦国の世など、今では額の中の絵や弓にしか存在していない。この平和な世の中で、全国の名所を見て歩いては話のネタにしてやろうという一般市民も増えてきた。
2012-12-01 19:00:11神田の八丁堀に住む一人暮らしの弥次郎兵衛と居候の喜多八。この二人も、今後200年以上に渡り世間に話のネタを提供するために、まさしく旅立ったばかりだ。
2012-12-01 19:00:19旅行費用を腹に巻き、朽木草鞋という長距離用ブランド草鞋を履き、常備薬も揃え、剥き身蛤柄の絞りと浴衣を合わせたファッションで伊勢に向かおうとしている。ついでに京都、奈良、大坂を見て回ろうと思っている。ルンルン足取りも軽く出発し、さっそく高輪にさしかかった。
2012-12-01 19:00:29「高輪へ 来て忘れたる ことばかり」 という句がある。江戸を出た人がちょうど高輪辺りに来た頃あれこれと忘れ物を思い出すという意味だが、弥次喜多の二人には気がかりなことなど何もない。神田を出る前に借家さえ払って出てきたのだ。
2012-12-02 19:53:57往来切手 (旅行証明書)、関所手形 (パスポート) は大家さんに用意してもらった。家財道具の中で少しでも金になりそうな物はすべてリサイクルショップへ。ガラクタ類は保証人に引き取ってもらい、漬物石と鍋底の炭落とし包丁はお隣へ、ボロ暖簾と油壺はお向かいに譲った。
2012-12-02 19:54:05実は酒屋と米屋のツケがまだ残っていたのだが、これは踏み倒すことにした。 「先の世に 借りたをなすか 今なすか いずれ報いの ありと思えば」 と弥次が笑って口ずさむ。
2012-12-02 19:54:14品川宿
日本橋から二里 (7.9 km)
ほどなく品川にさしかかった。弥次がまたここで口ずさむ。「海辺をば など品川と いうやらん」海辺なのに品川ってなんで川?という意味だ。
2012-12-02 19:54:23喜多八が下の句を返す。「さればさみずのあるにまかせて」これは鮫洲と真水を引っ掛けて、きっと鮫洲があるからじゃないの?と返している。弥次「うーん、まあまあかな」
2012-12-02 19:54:32そして鈴ヶ森、ここで弥次郎「おそろしや 罪ある人の 首玉に 付けたる名なれ 鈴ヶ森とは」喜多八「ぶっそうな歌だ」
2012-12-02 19:54:42さて大森に来た。大森は麦わら細工が有名で、家ごとに作っては軒先で売っている。ここでまた弥次郎「飯にたく 麦わら細工 買いたまえ これを子供と すかしっ屁のため」飯にたく麦と麦わら細工、子供をすかす (なだめる) とすかしっ屁をかけたようだ。
2012-12-03 19:27:36そして六郷の渡しを越え、万年屋で朝食をとることにした。店員「おはようございます」弥次「おはよっ。二つください」店員「お待ちください」
2012-12-03 19:27:48喜多八が店員の女の子を眺めながら言う。喜多「なあ弥次、確かあの子去年もここでバイトしてたよな」弥次「ん?そうだっけ」喜多「前はもっと子供みたいにほっそりした腰つきだったんだよ。ずいぶん丸くなったよなー。ありゃ男を知った体だぜ?」弥次「よく見てるな」
2012-12-03 19:28:02喜多は店じゅうをキョロキョロ。喜多「ありゃなんだ、床の間の花が枯れてる。道中の茶屋ってああいうのが流行ってんのか?」弥次「あは」喜多「あの掛け物はなんだ?」弥次「鯉の滝登りだよ」喜多「ははっ、俺はまた鮒がそうめんを食ってるのかと思った」
2012-12-03 19:28:18弥次「キョロキョロしてねえでさっさと食え。冷めるぞ」喜多「おっ、いつのまに来たんだ。いただきます」万年屋の名物は奈良茶飯。茶飯に大豆、小豆、栗、くわいなどが入っているのが特徴だ。
2012-12-03 19:28:32二人はあっという間にパクパク食べ尽くしてしまった。弥次「もう飯びつがカラだ」喜多「またこの先でなんかうまい物食おうぜ」勘定を済ませて再び歩き始める。
2012-12-03 19:28:42川崎宿
江戸から四里十八町 (17.7 km)
しばらく行くと、向こうから大名行列がやって来る。先頭に、川崎の宿場から駆り出されたらしい交通整理の男が二人。60歳ほどのオヤジと、15歳ほどの少年だ。
2012-12-04 19:41:26整理オヤジ「したにぃーしたに。頭の被り物はお取りくださーい」喜多「駆け落ち物は座らなくてもいいらしいぞ」弥次「なんで」喜多「かぶりもの (駆け落ち者) はお通りくださいって言ってる」
2012-12-04 19:41:38