黒田官兵衛のおおまかなお話

生誕466年に
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黒田☆如水 @josui_

*このツイートは複数の史料を元に作られていますが、簡略化、脚色、事実とは異なるかもしれない部分があります。ご了承ください。#官兵衛誕2012

2012-11-29 00:01:09
黒田☆如水 @josui_

~播磨(現在の兵庫県)姫路~ #官兵衛誕2012

2012-11-29 00:01:29
黒田☆如水 @josui_

兵士A「朝から冷えるな」兵士B「こりゃ、雪雲が降りてんだ」A「へえ、この時期に珍しい」B「そういえば、聞いた事がある、こんな天候の時に赤ん坊が生まれるとな、その家は栄えるんだと」A「奥方、そろそろなんだろ?」B「ああ、これはめでたい!」#官兵衛誕2012

2012-11-29 00:01:44
黒田☆如水 @josui_

1546年11月29日、午前8時頃。黒田孝高(幼命・万吉)は小寺家の家臣、黒田職隆の嫡男として姫路城で生まれる。この当時の姫路城は現在の国宝姫路城とは全くの別物で、簡素な平城であったという。万吉は姫路の野山を駈け、何の不自由もなく成長していた。#官兵衛誕2012

2012-11-29 00:02:21
黒田☆如水 @josui_

しかし突然幼い万吉にとって堪え難い出来事が起こる。母の死である。 当時13歳の万吉は大変落ち込み、文学に耽溺、籠りがちになる 。#官兵衛誕2012

2012-11-29 00:03:12
黒田☆如水 @josui_

ある日いつものように自室で母の遺した歌集を読み耽っていた万吉は、とある僧に説教される。 万吉「詩の道でも目指そうかなぁ…きっと俺には戦は向いてないんだ」 僧「この時代に生まれた者が戦わないでどうするのですか」 万吉「!!」#官兵衛誕2012

2012-11-29 00:03:54
黒田☆如水 @josui_

この言葉により心を入れ替えた官兵衛はめきめきと頭角を現し、1562年、17歳で初陣を迎えた。#官兵衛誕2012

2012-11-29 00:04:28
黒田☆如水 @josui_

官兵衛は1567年に家督を継ぎ、同年には櫛橋伊定の娘、光姫と結婚。 官兵衛「(ああ、この人が俺の妻になるのか。恰幅がよくて愛嬌のある女性だなあ)」この時官兵衛22歳、光姫は15歳であった。翌年には嫡男長政(幼名・松寿丸)が誕生する。#官兵衛誕2012

2012-11-29 00:05:51
黒田☆如水 @josui_

この頃、時勢は大きく二つの勢力に分かれていた。中国地方で勢力を広めていた毛利、そしてそれに対する織田である。 官兵衛の主家である小寺家でもどちらの勢力につくか大きく揺れていた。 官兵衛は織田につくように進言(当初は毛利派であったという説もある。)#官兵衛誕2012

2012-11-29 12:02:03
黒田☆如水 @josui_

1575年、羽柴秀吉等を介し、岐阜城の織田信長に謁見。その際信長より「圧切長谷部」を賜う。(信長とへしきり長谷部 http://t.co/8aDOKI1y#官兵衛誕2012

2012-11-29 12:02:32
黒田☆如水 @josui_

官兵衛「信長は間違いなくこの後の覇者となるだろう。だが小寺家中は未だ揺らいでいる、なんとかせねば…」#官兵衛誕2012

2012-11-29 12:02:52
黒田☆如水 @josui_

官兵衛は織田への忠心としてただ一人の嫡男である長政(幼命・松寿丸)を秀吉の元へ人質として差し出す。その心意気にいたく感動した秀吉は、松寿丸を自らの正室、おねの元に置き、後の加藤清正、福島正則ら豊臣子飼の武将と共に大事に面倒をみさせたという。#官兵衛誕2012

2012-11-29 12:03:16
黒田☆如水 @josui_

またこの頃、秀吉の元にいた竹中半兵衛とも出会っている。 稲葉山城を攻略し、その後若くして隠居。立志出世することが何よりとされていた時代で、才を持ちながら欲のないこの男に官兵衛は興味を抱いた。#官兵衛誕2012

2012-11-29 12:03:51
黒田☆如水 @josui_

こんな話がある。官兵衛は秀吉から大層気に入られ「どちらかの身分が高くなったら、お互いに引き立てあおう」という旨の書状を貰っていた。 その事を嬉しげに半兵衛へと報告すると、半兵衛はその書状を見せてくれないかと言う。 官兵衛「おお、勿論ですとも!」#官兵衛誕2012

2012-11-29 12:04:53
黒田☆如水 @josui_

官兵衛が書状を半兵衛に差し出すと… 「ビリッ!!」 半兵衛は涼しげな顔で、書面に目を落とす事もなく半分に破ると、あたっていた火鉢の中に投げ捨ててしまった。#官兵衛誕2012

2012-11-29 12:05:16
黒田☆如水 @josui_

官兵衛「なっ!何をなさるのですか!!」 と、驚く官兵衛に対して半兵衛はにこり、と笑うと 半兵衛「世の中には、心にかなわぬ事ばかりです。このようなものはない方がよろしいでしょう。」 と返した。 官兵衛「あっ…!!」#官兵衛誕2012

2012-11-29 12:06:01
黒田☆如水 @josui_

このような約束をしていると、それはいずれ秀吉への不満へと繋がることになるだろう、半兵衛はそれを教えたのである。 二人の性格は両極端であったが、当人達は互いを理解し、その才能を磨きあって秀吉の両腕となった。 後に二人は徳川秀忠より「今孔明と今張良」と称される。#官兵衛誕2012

2012-11-29 12:08:14
黒田☆如水 @josui_

ここで官兵衛にとって思わぬ事体になる。荒木村重、そして主家である小寺家の毛利への寝返りである。 政職は官兵衛にとってかけがえのない主人であった。急いで政職のいる御着城にて織田方の有利を解いた。 続いて官兵衛は荒木村重のいる有岡城へわずかな手勢で説得に向かう。#官兵衛誕2012

2012-11-29 12:08:52
黒田☆如水 @josui_

この時官兵衛は政職も村重も必ず味方に戻ってくれるだろう、と信じていた。 しかし、政職は官兵衛よりも先に有岡城に使者を出し村重へこう伝えていた。#官兵衛誕2012

2012-11-29 12:09:27
黒田☆如水 @josui_

「いずれ小寺の使いとして官兵衛が参るでしょう、官兵衛は織田方に戻るように説きますが、それは私の本心ではありません。官兵衛はそちらで始末してください」 村重はそれを知らぬ官兵衛を、有岡城内に招き入れ酒宴を開いた。#官兵衛誕2012

2012-11-29 12:09:48
黒田☆如水 @josui_

織田方に戻るように説得を始める官兵衛に対し、村重は逆にこちらの味方につかないか、と誘ってきた。当然これを断る官兵衛。 すると村重は数人の猛者を官兵衛に差し向け、地下牢の中に放り込んでしまった。#官兵衛誕2012

2012-11-29 12:10:20
黒田☆如水 @josui_

官兵衛の幽閉された牢の環境は、大変劣悪であった。湿地帯にあり陽の光も差し込まず、足腰も立たぬ狭さだ。 幾日が経っても開放されることはなく、次第に官兵衛の心身は衰弱していった。 官兵衛「(俺は、ここで終わってしまうのだろうか……)」#官兵衛誕2012

2012-11-29 13:58:43
黒田☆如水 @josui_

説得に赴いたまま戻らない己を、もしかしたら信長は裏切ったと判断するかもしれない。 そうすれば人質に出している松寿丸はおろか、一族全て殺されているかもしれない。 そんな心の折れかかった官兵衛の目に、ふととまるものがあった。 牢の窓から垂れる、藤の花である。#官兵衛誕2012

2012-11-29 13:59:23
黒田☆如水 @josui_

官兵衛「(このような場所でも、身を付けて咲く姿のなんと心強いものか!俺も、諦めてはいかんぞ!)」 後に官兵衛は、この藤の花を家紋にしたとされる。#官兵衛誕2012

2012-11-29 14:00:11