
子供の世界と大人の世界、プーでは当然100エーカーの森が子供の世界で、現実世界が大人の世界になっています。プーの物語はミルン親子の現実世界での会話から100エーカーの森に入ることで始まります。
2012-11-28 01:58:30
そしてクリストファー・ロビンは「最終章」で大人の世界へと旅立ちます。そしてこのシーンは子供の世界でも大人の世界でもない中間地点で行われているのです。それが魔法の場所(Enchanted Place on top of the forest)。
2012-11-28 02:02:58
原作の最終章は100エーカーの森から始まります。森の仲間たちみんなで決議文(イーヨーの詩)にサインをし、ロビンに渡します。それを読み終わる時にはその場にいたのはプーだけになり、ここで「一番好きなこと」の会話が行われます。
2012-11-28 02:08:37
何もしないことをするという答えが100エーカーの森内で行われているのです。子供の世界に今別れを告げようとしているロビンが最後に残した言葉がDo Nothing. 子供の世界に住み続けるプーには当たり前のことにしか思えない言葉でした。
2012-11-28 02:11:14
「何もしないことをする」とロビンが言う前にプーが出した答え、これが100エーカーの森でのプーの生活を象徴した言葉なのですが、つまりこれこそが「何もしないこと」なのです。同じようなやり取りが『クマのプーさん』の最後でも見ることが出来ます。
2012-11-28 02:15:04
『クマのプーさん』最後のプーとピグレットの会話。 ピ「朝起きたら最初に自分自身になんていう?」 プ「朝ごはんは何かな。」「君は何て言うの?」 ピ「今日はどんな楽しいことがあるかな。」 プ「どっちも同じことだね。」
2012-11-28 02:17:07
子供の世界での活動=遊びは何も残すことが無い生産性の無い活動です。それを大人たちは「何もしないでいる」と言いますが、彼らは「何もしないことをしている」のです。この能動性こそDo Nothingの本質だと思います。
2012-11-28 02:20:28
さて、Do Nothingの会話のあと、二人は魔法の場所へと向かいます。ここでロビンはプーに学校で習っていることについて話します。プーは理解が追いつけず夢の状態に陥ります。ここでロビンはもう何もしないでいることが出来なくなったと告げます。
2012-11-28 02:23:23
ここで僕が100歳になっても忘れないでの約束が行われます。この先どんなことがあっても許して。彼らはもう会うことができないのです。それでもプーは時々一人で魔法の場所に来ることを約束し、そして少年と熊はいつでも魔法の場所で遊んでいるのです。
2012-11-28 02:26:51
最終章のあと、プーは子供の世界に戻り、ロビンは大人の世界に住みます。その中間地点はどちらからも行くことが出来ますが、そこで直接会うことは出来ない。それが魔法の場所の特性です。enchanted place ON TOP OF THE FOREST.
2012-11-28 02:30:27
魔法の森から100エーカーの森を見ていれば「何もしないでいること」が出来るかもしれません。しかし「何もしないことをする」ことはプーたち子供の世界の住人にしか出来ないのです。これが最終章で行われた別れです。
2012-11-28 02:35:18
揺るぎない目的を持った生産力は、その目的のものしか生み出さない。副産物は大抵切り捨てられてしまう。だが遊びの中で生産されるものには無限の可能性があり、いかなる副産物も目的によって排除されることがない。「何もしないことをする」とは、まさに目的から自由になるということなのである。
2012-11-28 04:04:24
「ディズニープーは完結していない」 完全保存版最終章で完結したように見えたディズニープーですが、実際その後クリストファー・ロビンを探せで長編復活を遂げます。この作品冒頭で最終章を語り直すことによって復活の理由付けを行っていますが、実は完全保存版最終章自体が完結していないのです。
2012-12-02 01:44:17
ここで注目していただきたいのが、原作版「最終章」とディズニー版「最終章」の違いです。 「最終章」において特に重要な部分は以下の3点。 1.「一番好きなものは何?」「何もしないことをする」 2.「僕が100歳になっても忘れないでいてくれる?」 3.一番最後の一文
2012-12-02 01:44:42
1.「一番好きなものは何?」 尺の都合もありディズニー版では大きくカットされていますが、これでは原作版の持っている100エーカーの森を象徴する文章とはなっていません。
2012-12-02 01:45:53
ディズニー版では100歳になっても忘れないでねという友情の物語になりますが、原作版ではその後にクリストファー・ロビンが謎の質問をします。今後なにがあろうとも、君は理解してくれるよね?これは後にプーの存在によって苦しめられたクリストファー・ミルンによる本の最後で引用されます。
2012-12-02 01:47:57
3.一番最後の一文 原作版ではa little boy and his Bear will always be playing.なのにディズニー版ではa little bear will always be waiting.となっています。
2012-12-02 01:48:44
では、これらから見えてくることは何でしょうか。それが、クリストファー・ロビンが100エーカーの森に戻れるのかどうかという違いです。原作版ではクリストファー・ロビンは二度と100エーカーの森に戻ることはできません。
2012-12-02 01:49:23
「何もしないことをする」ことができるプーと遊べるのは、a little boyである昔のクリストファー・ロビンだけ。外の世界へと旅立ったクリストファー・ロビンは「何もしない」ことは出来ても、魔法の場所からプーたちのいる100エーカーの森を見ることしか出来ません。
2012-12-02 01:49:48
そして、プー側からは外の世界のクリストファー・ロビンは魔法の場所からも見ることが出来ません。だからこそプーがクリストファー・ロビンのことを忘れないということを確認する必要があり、外の世界でクリストファー・ロビンに何があろうともそれはプーには分からないのです。
2012-12-02 01:50:03
また、原作版では「何もしないことをする」=100エーカーの森での遊びという構図になっていますが、ディズニー版ではその一部分に過ぎません。つまり、100エーカーの森全体を総括している原作版に対し、ディズニー版では『完全保存版』での出来事を総括しているのです。
2012-12-02 01:51:05