【現代アート】 カオスラウンジとはなんだったのか?
- bb201204291813
- 12326
- 0
- 1
- 0
紅蓮の猫さんと大村k.nの語るカオス*ラウンジ
そこにある主体や意識が明確に存在していなければ、問題や歪みが、それ自体社会の遺物として顕在化することなく存在し続けることができたとするなら、それはまさにネットというものの再現だっただろうと思ってる
2012-11-30 20:07:24カオスラウンジの言葉を借りるなら「システムの冷酷さ」というのがつまるところ、本来ローカルだったはずの存在が、ネット上ではローカルでいられず、かつそれがどのような形であれ、パブリックであることで傷つけられていくことなのだとすれば、カオスラウンジ自体がその体現だったとも言える。
2012-11-30 20:10:03まるでネットに自生するミームであるかのように装うことには必死で、そこもまた作家性を揮発するというカオスラウンジ宣言(黒瀬陽平)とも矛盾していた。結果、詰まらないまがい物の塊にしかならなかった
2012-11-30 20:09:47@doniakatu 彼らが再現を欲望したものは結局高望みでしかなく、必要な計画を立てずに潰えている。しなくてもいいや、というままにアート界、東浩紀、その他いろいろと相互に利用しあっている構図を見てるだけで閉塞感()を覚えます
2012-11-30 20:25:37パブリックであるということが、明確な主体や意識付けを行うのだとすれば、ローカルな存在はまさしくカオスの中にしか存在できない―そこにはアート性が宿ると考えられるのではないか?
2012-11-30 20:11:20その意味で、カオスラウンジが、ローカル上に実在する作品を使ってしまったのは、悪手と言わざるを得ない。何故なら、そういったネットミームや、前述のローカル/パブリックの区分けによる意味性の変化の、もしその再現を行うのであれば、行為主体は存在してはいけなかったからだ。
2012-11-30 20:14:17行為主体がより広域の、例えばネットという総体でしかないからこそ成立するものであるならば、明確な主体を現わした時点で、その再現は崩壊していたように思う。
2012-11-30 20:15:33@lotusredcat ごく普通に考えればそうなんですよね。幾度もカオスラウンジに対して指摘されたカオスラウンジ宣言との矛盾箇所でもあります。かの宣言でその問題を認識しているフリをし過去の時代を否定し新しい価値を偽装し空手形を乱発し、それが今も「歪み」に効く湿布のような扱いです
2012-11-30 20:21:34@ohmura_keru 一番の問題は、カオスラウンジ自体が、理論武装出来てるとしていながらも、それが出来てない点ですね。もし理論武装出来ないなら出来ないで、無理やりにでも是とされるだけの勢いが無いといけません。
2012-11-30 20:39:25@lotusredcat まったくもってその通りだと思います。彼らに欠けていたものはむしろ批判していた側が正確に認識してきたと思います。今は見かけることも稀な擁護派の方々はカオスラウンジ(旧)の有用になりうる部分、使い物にならない部分を全く仕分けられぬまま批判批判に終始してました
2012-11-30 20:42:40@ohmura_keru そうですね。カオスラウンジ自体の評価は一般的には最低でしょうけど、カオスラウンジによってもたらされた、認識というか、確認とでも言うべきものは価値があったと言えるかもしれません。でもそれすら新しく突然出てきた概念ではないですけどね。
2012-11-30 20:44:48アートはズレ って評してる人はよく目にするけど、それでいくなら、カオスラウンジのやった再現は確かにアートってことになっちゃうんだよね。
2012-11-30 20:46:07仮に、その再現が完璧だった時に、何らかの、例えばここまでの大きな影響を与えられたか?という点については疑念を持たざるを得ない。
2012-11-30 20:47:35@lotusredcat ごく普通の認識を再認識する程度のものですね。攻め手のほうにはライブで珍しいものが有ったとは思いますがそれすら別に「新しい」ものではなく、ただ表に出てきてしまっただけでしたしね
2012-11-30 20:47:16@ohmura_keru 広義的にとらえるなら、システムの冷酷さの表出といえるでしょうね。単なるミクロ的再現のつもりだった作品が、実は作家をも巻き込んだ、ネット独特の雰囲気の再現だった、とか。
2012-11-30 20:49:35