白鳥の湖:交差する境界に成立した永遠の祝祭空間
特に女性ダンサー=バレリーナのトゥ・ダンスィング(つま先立ちによる踊り)は、この指向を突き詰めた技法であり、生物としての活動の基盤であるところの大地との接点をあえて最小限にしようとする。
2012-12-04 14:07:25だが、トゥ・ダンスィングは、バレリーナに物理的な不安定性を与える。鍛錬された肉体と感覚器官と神経系による精密なフィードバックによってそれは最小限にとどめられるが、精神的な緊張の持続なくしては踊りは維持できない。
2012-12-04 14:08:15このような「ヒトならざる者」への指向、そしてそれにともなう心身の緊張を強いられる環境は、シャーマニズムにおけるトランス状態に至る道に通じるものがある。すなわちバレエという「不自然」な運動はバレリーナをして生(此岸)と死(彼岸)に立つ境界的な存在=シャーマンたらしめる。
2012-12-04 14:08:37クラシックバレエの作品世界で生と死の境界に立つ典型的存在として連想されるのは、やはり「白鳥の湖」のオデットである。彼女は悪魔によって呪いをかけられ、白鳥とヒトの姿をあわせ持つ永遠の乙女であり、人と神霊のはざまにいる。
2012-12-04 14:09:00また、白鳥そのものが、古来から魂の運び手として此岸と彼岸を往来する存在としてとらえられており、湖=水のほとりという場所も死者の棲む異界として民話などで繰り返し使われてきたモチーフである。
2012-12-04 14:09:32オデットにかけられた呪いは永遠の処女という呪いであり、子を成して再生する生と死の循環運動を禁じられる呪いでもある。オデットというキャラクターには生と死が停止したまま互いに表裏一体を成して張り付いている。
2012-12-04 14:10:05循環を停止した生命力=エロスは、永遠という名の死=タナトスの影を背負ったまま、鮮やかなコントラストを成して外部へ露出される。それは、純白のクラシックチュチュを身につけたオデットのエロティックな姿そのものである。
2012-12-04 14:10:35本来、オデットのエロスは恋人であるジークフリート王子との間で循環されるはずである。だが、悪魔によってかけられた呪いの禁忌が、彼らのエロスの循環を成立させない。
2012-12-04 14:11:16もちろん、彼らの精神的な結合はパ・ド・ドゥによって表現されてはいるが、「白鳥の湖」の作品内存在としての王子とオデットは当然「バレエのパ・ド・ドゥ」という形式を認識しない。
2012-12-04 14:11:37バレエの演劇空間は観客席という異界にいる者にのみ立ち現れるものであって、物語の内側にあるオデットと王子には、深い精神的な結合の証(永遠の愛の誓い)を確かめ合う手段は存在しない。だから結果として王子はオデットを裏切ることになる。
2012-12-04 14:11:51踊り手の衣裳や踊りの動き、表情などが織り成すイメージはエロティシズムのエネルギーの裏打ちによってより強烈となり、王子とオデットの精神的な結合を観客が感じ取るための依代となる。
2012-12-04 14:12:23すなわち、「白鳥の湖」の世界には、二つの境界が交差している。ひとつは物語空間における生と死の境界、そしてもうひとつは現実空間(観客席)と演劇空間(舞台)との境界である。
2012-12-04 14:12:49この交差する境界の上で、オデットと王子のエロスとタナトスのエネルギーは、踊りという「人ならざる者」を指向する運動を介して、生死の循環を禁止された状態(物語内部)と循環する状態(物語を視る観客の内面)をあわせ持つことになる。
2012-12-04 14:13:24そして、物語の中で王子とオデットが死後天上で成就させた永遠の恋は、現実世界においてはヒトの生死の循環を超越して反復される恋物語として、世代を越えて存続する。
2012-12-04 14:14:09踊り手は二重の境界上に成立した祝祭空間に立って、生死の循環がもたらす不連続性と、そこから抜け出せないヒトの宿命と葛藤を指し示すシャーマンとしての役割を果たしているのである。
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