山本七平botまとめ/【新井宝雄氏への反論②】/「”資料”としての引用」と「他を律する”権威”としての引用」は別だ。

山本七平著『ある異常体験者の偏見』/あとがき――「私の反論のあとさき」を読んで/310頁以降より抜粋引用。
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山本七平bot @yamamoto7hei

①次の確定要素の問題だが、不思議なのは新井氏の「私は山本氏のいう確定要素も当然、重視しているのである。ただ比較をすれば人間の要素のほうがより重要だ」という言葉である。 私は人間には「生物学的限界」ともいうべき明確な確定要素があり、それをはっきり示す一面…として飢えをあげた。

2012-11-25 04:57:43
山本七平bot @yamamoto7hei

②従って「人間の要素」という場合、この「確定要素を内包した人間」以外に、抽象的な「人間の要素」は現実にはどこにも存在しなかった、存在したように見えたのは実は「虚報の詐術」であった、とのべたのである。<『ある異常体験者の偏見』

2012-11-25 05:27:54
山本七平bot @yamamoto7hei

③そして「確定要素を内包した人間」とは別の「人間の要素」とかいうものを勝手に強調し、強調することによって一方的に「人間の要素」に基づく超能力を各人に割り当てられては恐るべきことになる――

2012-11-25 05:57:40
山本七平bot @yamamoto7hei

④これがどれほど恐るべきことになるかは、太平洋戦争と飢えとが如実に示しているのだから、その「人間」とかいう「要素」が、「確定要素を内包した人間」の上にどれだけ上積みできるものなのか、その「要素」を算出する方程式を示してくれと言ったのである。

2012-11-25 06:27:49
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤私の言ったことが「事実を歪曲」しており、新井氏が「科学を重視こそすれ、決して軽視していない」のなら、自らのその方程式を提示して下さればそれでよい。それ以外のことを私は質問していない。

2012-11-25 06:57:45
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥氏はこの質問に答えられず毛沢東を引用された。 そこでまず「引用」の問題に入るが、これは「本文」で論じた通り、史料もしくは資料としての引用と、「権威」としての引用は、はっきり別のことで、両者を同じように「引用」というべきでない。

2012-11-25 07:27:54
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦このことは、「軍人勅諭」を軍人が引用した場合と、私が引用した場合とは、はっきりと別だ、という点で指摘したから再説の必要はないと思うが、新井氏が聖書に言及されたから、この点についてはさらに一言したい。

2012-11-25 07:57:41
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧聖書学という学問は、聖書を「権威」として「引用」したら、その瞬間に崩壊してしまう。 従って絶対に「権威」として引用してはならないのである。 例をあげれば『ペテロ第二書』というのがあり、その冒頭には、ペテロが書いたと明言されている。

2012-11-25 08:28:08
山本七平bot @yamamoto7hei

⑨しかしこの書は文体からいうと「アッチカ擬古典文」で、この文体は紀元150年以前にはないし、ペテロがそんな擬古典文を書くはずはない。 従って著者はペテロではない。

2012-11-25 08:57:45
山本七平bot @yamamoto7hei

⑩これに対して「そんなことを言っても聖書にペテロだと書いてあるではないか」といってその冒頭を引用して反論されても、そういう「権威としての引用」は一切拒否し、違うことは相手が聖書でも「違う」といい、一切を顧慮しないということである。

2012-11-25 09:28:02
山本七平bot @yamamoto7hei

⑪従って「引用」という問題では、我々は異常なほど神経質にならぎるを得ない。 従って「教育勅語にこうある」「毛沢東が『強い軍事力』といったから強大な軍事力だ」式の引用に接した場合、「資料としての引用」か「権威としての引用」かがすぐ意識に浮ばざるをえない。

2012-11-25 09:57:46
山本七平bot @yamamoto7hei

⑫本文における私の聖書の引用は、お読みになればわかるであろうが「こういうことは、二千年の昔に既に人類は気づいていた」という例証としてあげてあるのであって、その例証になるなら何も聖書でなく、ギリシャ人の言葉でも仏典でも中国の古諺でも、何でもよいのである。

2012-11-25 10:28:06
山本七平bot @yamamoto7hei

⑬これが古くから気づいていたことを示すための「史料としての引用」の方法にすぎない。 ロマン・ロランの引用は…私が下手な説明をくだくだするよりロランの方がはるかに的確・簡潔なので引用したわけで、同じことをもっと的確に説明しているものがあればロランでなくて毛沢東からでもよい。

2012-11-25 10:57:47
山本七平bot @yamamoto7hei

⑭必要があれば遠慮なく引用させていただく。 ただしあくまでも史料もしくは参考資料としてであって「権威として引用」する気はない。 たとえば林景明氏は『台湾処分と日本人』の中で「台湾は独立さすべきだ」という毛沢東の言葉を引用しておられる。

2012-11-25 11:28:01
山本七平bot @yamamoto7hei

⑮もちろん林景明氏には林景明氏の引用の仕方があるが、私がもしこの毛沢東の言葉を引用するなら、それはあくまでも「その時点では彼はそう考えていた」という「史料」として引用するわけである。 もちろん『持久戦論』を私が引用すれば同じことである。

2012-11-25 11:57:45
山本七平bot @yamamoto7hei

⑯そして事実と違えば、聖書だろうが毛沢東だろうが「事実と違う」と言うだけのことである。…従って私が新井氏の「引用」を問題にしているのは、何も毛沢東の引用だからではない。 ただそれを史料もしくは資料として引用するか、他を律する「権威」として引用するかというだけの問題である。

2012-11-25 12:28:07
山本七平bot @yamamoto7hei

⑰新井氏の引用のもう一つの問題は「引用文」はあくまでも自分で翻訳すべきで、他人の翻訳を借用して引用してはならないという点である。 翻訳はあくまでも翻訳であって原典ではなく、そこにはどうしても訳者の解釈が入ってしまう。

2012-11-25 12:57:44
山本七平bot @yamamoto7hei

⑱中沢治樹教授が、どんなに努力しても「翻訳は時としては原典を裏切る」と言っておられる。 まして氏の引用が、「最近に日本人向けに訳したもの」ならまず「原典」と照合し、その異同を調査した上で、引用すべきであろう。

2012-11-25 13:28:08
山本七平bot @yamamoto7hei

⑲そうでないと、新井氏の引用が果して日華事変の当時のままの本文なのかわからない。これは「史料」としての引用では、特に共産国のものでは最も重要な点の筈である。 何しろ馮文蘭は過去二十年間に自著の『中国哲学史』を三度書きなおし、今、第四回目の書きなおしをしているそうだから。

2012-11-25 13:57:45