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アカデミズムにエンターテイメントを持ち込みエンターテイメントにアカデミズムを持ち込むというような切り替え
まあ、あんまり「史実」なんてことばもネタのときくらいしか使わんのだけど……(爆) アカデミズムにエンターテイメントを持ち込みエンターテイメントにアカデミズムを持ち込むというような切り替えのできないひとの中にはこういう物言いするひと多いなぁ、と思ったりする。>RT
2012-12-03 09:50:25しかし大河ドラマの影響力なんて大したことない、という皆さん。Twitterで清盛で検索してみてください。素直に史実と信じ込んで、清盛はどういう人だったんだろうと考え込んでいる純粋な人がいっぱい引っかかりますから。大河ドラマ、決して影響力は侮れません。何度も警告したとおり。
2012-12-03 04:26:18「大河ドラマの影響力は侮れない。素直に史実と信じ込んで、清盛はどういう人だったんだろうと考え込んでいる純粋な人がいっぱいいる」というツイートが流れてきたが、そういうのの相当数は「史実はさておき、ドラマの中ではこうだ」だとも思うのだが。それに大河ドラマは今始まったものじゃないし。
2012-12-03 14:45:11正直、こういう「司馬遼太郎の小説を読んでいる人の脇で『気をつけろ!この小説の話はフィクションだ!!』と叫ぶようなこと」を、歴史の専門家が言うのって(´・ω・`)となる。
2012-12-03 14:47:55同意。RT @jing0724: 歴史研究の方が、教育の責任まで歴史創作におしつけようとなさるのにちょっともにょる。物語聞いて、存在しない人物に感情移入して笑って泣いて、そして現実に帰還するための活力にするのが創作の力であって、それ以上を求めるのは酷ではないか。
2012-12-03 12:20:362
プレジデント史観
昔から「史実とフィクションの混同」の弊害としてよく指摘されるのは、やはり「英雄史観」に無条件に自己投影する「プレジデント史観だろう。やたらと戦国武将や幕末の志士を人生やビジネスの手本にしたがるオヤジ文化。その成れの果てが「維新の会」なわけで。
2012-12-03 15:27:48彼らが前提にする「英雄」や「偉人」(近代の軍人も含む)は大半がフィクションベースで、しかも彼等に迎合するために相当史実を曲筆したものが多い。「八甲田山」のように、原作はリアリズムなのに映画化で「プレジデント史観」化してしまったものもある。
2012-12-03 15:29:54なので、そういった「プレジデント史観」の題材にされやすい人物の伝記を新書などで書く場合、たいてい「はじめに」や「おわりに」が有名フィクションへの批判に費やされ、場合によっては「フィクションとどう違うかを説明する」ことに終始してしまうこともある。そういうのは読んでいてちとツライ。
2012-12-03 15:32:04また、山岡や司馬といった有名歴史小説家や、歴代の大河ドラマのなかの少なからぬ作品が、「プレジデント史観」の再生産に寄与してきたことも事実。そういった「負の側面」を知ってしまうと、フィクションだからと無条件に楽しめないんだよね。
2012-12-03 15:34:45@issengorin 「プレジデント史観」批判に異論はないのですが、「信長に学ぶリーダーシップ」みたいな特集はいつくらいからあの雑誌からなくなったのでしょうね。編集部の方針か、単に受けなくなってきたのか。もし後者なら、その社会の変化を考えてみたい。
2012-12-03 15:48:04@t_kawase プレジデントからなくなった代わりに、ある時期から類似の歴史観を謳う歴史雑誌が乱立するようになった印象があります。最近だとあまりに多すぎて、一見しただけでは区別がつきません。昔は「歴史読本」と「歴史と旅」くらいだったのですが。
2012-12-03 15:49:59@issengorin なるほど、歴史雑誌は確かに乱立気味のような気がしますね。要するに薄く広まっちゃったってことか。中には『歴史通』と自ら名乗る頭の痛いのもありますがw。英雄史観って近現代史でも陥りがちですね。特に抵抗運動とかを扱っちゃうと。
2012-12-03 15:58:55@t_kawase 左派でも場合によっては英雄史観にハマってしまうくらいですから、右派の惨状もむべなるかな、というところですね。特に私は軍事史専門なので、司馬や阿川など明治~昭和の軍人を英雄(悲劇の英雄も含む)に仕立てようとする風潮には閉口しています。
2012-12-03 16:01:54@issengorin 僕の場合朝鮮近代史ですので、植民地権力への対応という問題が常に横たわっています(特にインテリになればなるほど)。そのあたりで、師匠の趙景達先生とも色々やり合ったこともあるのですがw。あと父の本棚にあった阿川の影響で、中高時代はすっかり「海軍善玉史観」にw。
2012-12-03 16:06:47@t_kawase 朝鮮史の場合、日本とは逆の意味で「民族英雄中心史観」になりすぎる傾向はありますよね。日本植民地研究の枠だと「コラボレーター」をどう歴史的に評価するかとか、「植民地近代」の問題など、もう少し多様化しているのですが。。。
2012-12-03 16:09:01@issengorin 僕は要するに以前趙先生に「植民地近代」主義者だといわれたわけですよ(先生はそれへの批判で一冊書いてます)。もちろん「植民地近代化論」には与しませんが、「植民地近代」論も植民地権力の力をある意味過大視することにもなりがちで、悩ましい問題ですね。
2012-12-03 16:12:51@t_kawase 「民族史観」を相対化しようとすると、意図せずして「植民地権力の再評価」に陥ってしまう恐れもありますから、なかなか難しいですよね。私も植民地期台湾史をかじっているので、自分の立ち位置が何かを過大視したり無視したりしていないか、自戒したいところです。
2012-12-03 16:20:33