2
榊原小平太康政 @sakaki_koheita
ああ、森山崩れの日……。清康公のご命日ですな。今日は。
榊原小平太康政 @sakaki_koheita
森山崩れの話は……明日ぐらいできるといいが、まぁ期待するな。とりあえず今日はこにれて。おやすみ。
榊原小平太康政 @sakaki_koheita
さてと、森山崩れの話をしようと思ってたんだったかな。森山というのは今の名古屋の守山で、森山と書いたり守山と書いたりする。
榊原小平太康政 @sakaki_koheita
松平清康公、殿の祖父にあたる方だが、この方はわしらの頃には、伝説のような方だった。十三で家督をついで安祥松平家の当主となられ、その三年後には山中城攻略、また明大寺にあった岡崎城を現在の位置に移された。
榊原小平太康政 @sakaki_koheita
是の字の夢の話を聞いたことがないかな。ある時、是という字を握った夢を見た清康公は、その解釈を広く求めたが、それに答えられたのは龍渓院輪番模外惟俊和尚だった。
榊原小平太康政 @sakaki_koheita
是の字は分解すると日の下の人と書く。是の字を握るとは天下をとること、清康公か清康公の子孫に天下をとる方が現れる、と。清康公は大変喜ばれて、岡崎に龍海院を建立し、松平の菩提寺にしようとしたのだけれど、これは大反対にあって、酒井雅楽頭殿の菩提寺となった…というのは余談だが。
榊原小平太康政 @sakaki_koheita
清康公はこの夢から五~六年ほどで、三河をほぼ統一された。すさまじい働きだった。わしらもよくこの頃の三河の兵の強さを聞かされたものだ。
榊原小平太康政 @sakaki_koheita
清康公が三河平定にのりだしている間、隣の尾張とは実はほとんど戦いが起きておらん。それは間に、桜井松平の信定殿がおったからだな。今あまり良く言われることがないのだが、信定殿は主に西との外交を担当されておったと聞く。
榊原小平太康政 @sakaki_koheita
享禄3年、三河を統一した清康公は尾張に進出するが、岩崎、品野を奪う。……この岩崎というのは、小牧長久手の時に出てくるあの岩崎城のあたりだな。品野はもう少し北で、瀬戸のほうだ。守山は、さらにその向こうにある。
榊原小平太康政 @sakaki_koheita
天文4年12月、尾張に出兵された清康公は、織田信秀殿の弟、信光殿の護る守山城を攻めた、と言われる。その陣の中で、家臣阿部弥七郎が誤解により、主君清康公を斬った。
榊原小平太康政 @sakaki_koheita
この誤解というのは、弥七郎の父、阿部大蔵殿が織田家と内通して謀叛をたくらんでいるという噂があったそうでな。これは要するに織田側の流言だと思うが……
榊原小平太康政 @sakaki_koheita
大蔵殿は息子に、もし何かあった場合にと誓詞を渡していたらしい。しかし5日早朝、陣にて馬が暴れる騒ぎがあり、この騒動を父が誅殺されたものと思い込んだ弥七郎が刀を抜き、背後から清康公を襲った、と。
榊原小平太康政 @sakaki_koheita
清康公が偉大だった分、やっとまとまった三河の領内は、また分裂した。一時信定公が岡崎に入るが、これは家臣の支持を得られず数年で退去、今川家を頼った広忠公が松平家当主となられる。
榊原小平太康政 @sakaki_koheita
守山崩れから、桶狭間の戦のあと、殿が岡崎に戻られるまで。それは三河者にとっては、長い苦難の道だった。国は乱れ、織田、今川の進出を避けられず、民は飢え、田畑は荒れた。武家も録もなく、それでも主家のため、己のために戦う……
榊原小平太康政 @sakaki_koheita
うちは貧乏だったんだ、という話を以前したことがあるが、その貧乏もこれが原因だな。
榊原小平太康政 @sakaki_koheita
殿が戻られることを、心待ちにする者も多かった。殿は祖父である清康公によく似ておられたということで、余計にだな。当時は文字通り夢物語だった是の字の夢だが……時は流れて、殿は天下を治められたのだ。
榊原小平太康政 @sakaki_koheita
守山崩れから、殿が再び三河を統一されるまで、三十年。関ヶ原の戦いまで、六十五年。大坂の陣まで、八十年。
榊原小平太康政 @sakaki_koheita
天下太平は、遠い夢だった。わしらにとってすら。
榊原小平太康政 @sakaki_koheita
清康公や広忠公については、色々とあるんだが……詳しい話はいずれまた。
ログインして広告を非表示にする
ログインして広告を非表示にする