芦田先生:○顧客満足、学校教育、資格よりも国語・算数・理科・社会、そして通り過ぎる先生を、〈先生〉とは言わない。

RT @jai_an 私は、言葉の意味になかなか合点がいかないときには、その反対語を考えることにしている。 「顧客満足」の反対語は何か? 「顧客満足」の反対語は「教育」でしょう、と私はふと思った。 教育される側は、本当に「顧客」なのか? もともと「顧客」や「CS」というマーケティング概念は、〈消費者〉という概念が成立して以来の概念だ。 というよりも〈マーケティング〉という領域そのものが《消費者の時代》の到来と分かちがたく結びついている。 では《消費者の時代》とは何か。それは個人消費が国家の総消費の50%、60%超える時代のことを言う。
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芦田宏直 @jai_an

この間、若手教員と話していて、面白い議論になった。 保護者と学生とは授業料を頂いている〈顧客〉なのだから大切にしなくてはならない、「CS=CUSTOMER SATISFACTION(顧客満足)」を意識しない学校運営は意味がないという意見だ。

2012-12-07 01:17:45
芦田宏直 @jai_an

私は若手のその意見を聞いていて、ずーっと違和感があった。

2012-12-07 01:18:02
芦田宏直 @jai_an

一番大きな違和感は、まさにCS=〈顧客満足〉という言葉そのものだった。

2012-12-07 01:18:19
芦田宏直 @jai_an

私は、言葉の意味になかなか合点がいかないときには、その反対語を考えることにしている。 「顧客満足」の反対語は何か? 

2012-12-07 01:18:36
芦田宏直 @jai_an

「顧客満足」の反対語は「教育」でしょう、と私はふと思った。

2012-12-07 01:18:56
芦田宏直 @jai_an

教育される側は、本当に「顧客」なのか? もともと「顧客」や「CS」というマーケティング概念は、〈消費者〉という概念が成立して以来の概念だ。 というよりも〈マーケティング〉という領域そのものが《消費者の時代》の到来と分かちがたく結びついている。

2012-12-07 01:19:17
芦田宏直 @jai_an

では《消費者の時代》とは何か。それは個人消費が国家の総消費の50%、60%超える時代のことを言う。

2012-12-07 01:19:46
芦田宏直 @jai_an

一回で億単位のお金が動く大企業の設備投資よりもデパート、スーパー、コンビニ、行楽地などでの個人消費の方が消費額として上回る時代が《消費者の時代》だ。 70年代以降、高度先進国はのきなみそういった《消費者の時代》に突入していった。

2012-12-07 01:20:08
芦田宏直 @jai_an

別の言い方をすれば、生産が消費の前提ではなく、消費が生産の前提、消費が新たな消費を生み出す時代ということだ。古典経済学では〈不足=欠如〉が生産の前提だが、つまりその意味では生産が消費の前提だが、そんな〈不足=欠如〉など高度な消費大国では存在していない。

2012-12-07 01:20:28
芦田宏直 @jai_an

何重にも記号化され、シンボル化された消費(消費の必要のない消費)が、人々の消費行動を規定している。 こういった人々を〈消費者〉、〈顧客〉という。

2012-12-07 01:20:51
芦田宏直 @jai_an

〈顧客満足〉とは〈不足=欠乏〉や〈必要〉(機能という意味での必要)を超えた消費者、自立した消費者としての〈顧客〉の“満足”を意味している。つまり生産に従属しない主体的な消費者=顧客の“満足”を意味している。

2012-12-07 01:21:21
芦田宏直 @jai_an

この意味で、〈学生〉というのは、どう〈顧客〉なのだろうか。 私は〈学校教育〉の対象は、すべて〈顧客〉ではない、と思う。 〈学校教育〉の反対概念は、〈生涯教育〉、〈社会人教育〉だ。

2012-12-07 01:21:38
芦田宏直 @jai_an

これらの教育(〈生涯教育〉、〈社会人教育〉)は、最終的に目的の定位者は受講者の方にある。各講座は、すでに存在している、受講者の目的に従属している。色々な講座を“必要”に応じてチョイスして、それらを何に役立てるかは、受講者側の自立した動機が決めている。

2012-12-07 01:22:19
芦田宏直 @jai_an

したがって、〈生涯教育〉、〈社会人教育〉には受講の〈主体〉が成立している。それは消費的な教育、〈顧客満足〉が問われる教育なのである。そもそも〈生涯教育〉、〈社会人教育〉が成立する社会はそれ自体が高度社会、高度な消費社会でしかない。

2012-12-07 01:22:42
芦田宏直 @jai_an

〈学校教育〉は、そういった意味での〈主体〉をもたない。そういった主体を形成するための教育を行うのが〈学校教育〉であって、教育目的の形成は学校側(教育する側)に委ねられている。

2012-12-07 01:23:00
芦田宏直 @jai_an

あえて「満足」という言葉を使うとすれば、何に満足すればよいのか、何に満足すべきではないのか、そこまでをも含めて教育するのが学校教育である。

2012-12-07 01:23:34
芦田宏直 @jai_an

学校教育の基本モデルは(誤解を恐れずに言えば)〈家庭〉だと思えばいい。そもそも親は子供を〈子供満足〉のために育てているのではない。〈親〉は文字通り子供の“生産者”だからだ。

2012-12-07 01:23:50
芦田宏直 @jai_an

〈学校教育〉は、その意味でこそ、学生の〈不足=欠如〉(=主体以前の欠如)に定位した生産型の教育を行う場所であって、〈消費者〉としての“受講者”を想定しているわけではない。

2012-12-07 01:24:11
芦田宏直 @jai_an

〈学校〉で形成される教員と学生との関係は、教員への〈尊敬〉と〈敬意〉との関係であり、〈利害〉関係ではない。家庭の親子関係が〈愛情〉に基づくものとすれば、〈尊敬〉と〈敬意〉は、〈愛情〉の社会的な関係と考えればよい。

2012-12-07 01:24:29
芦田宏直 @jai_an

社会がどんなに高度化しようと、〈学校〉は非消費的な場所である。高度情報社会のように社会が緊密に組織されればされるほど、非消費的な学校という場所はまずます必要とされている、と私は考える。

2012-12-07 01:24:48
芦田宏直 @jai_an

たとえば、なぜ、専門学校は「学校教育法」に於ける「一条校」(=〈学校〉)ではないのか。

2012-12-07 01:25:09
芦田宏直 @jai_an

大概の専門学校が資格の学校だからである。

2012-12-07 01:25:25
芦田宏直 @jai_an

〈資格〉教育は人材像が教育する主体(教育する側)にあるのではなくて、その資格の提供側に存在している。したがってその教育を受ける学生は、資格の有無の利害を消費する受益者の立場に立っている。

2012-12-07 01:25:42
芦田宏直 @jai_an

学習主体を前提する生涯教育組織がほとんどの場合、資格教育であるのはそのためである。

2012-12-07 01:26:05
芦田宏直 @jai_an

資格学校は、その意味では(出来ればなしで済ましたい)通過点の“学校”にすぎない。専門学校に同窓会がなかなか育たない理由の一つは、専門学校の教育が〈学校教育〉ではなく資格主義的な〈消費教育〉になっているからである。

2012-12-07 01:26:27