「逆襲のシャア」と「F91」についてのあれこれ

クエスって好きになれないよね・・・って話から劇場版「逆襲のシャア」と「F91」について考えてみました。ついでに「Vガン」と「クロスボーンG」にもちょこっと触れてます。
9
波のまにまに☆ @namima2

「逆襲のシャア」のクエス・パラヤが好きな人っているんだろうか? クエスの最高に嫌いなところは、自分には納得できない思考を徹底的に排除し、自分を肯定してくれるものだけをひたすら求めていくきわめて狭い了見。あれはエキセントリックというのではなく、単に世間知らずのバカなだけ。

2012-12-07 13:41:12
波のまにまに☆ @namima2

クエスやハサウェイら子供たちが、被害者然として表現されており、上の世代の責任を問うてるかに見える。だが問題は上の世代が過保護を当然のように享受している子供たちだ。それを気づかせてやれるのは大人の役目。戦争や仕事のせいにしてはダメという反意が「逆襲のシャア」にはあると思う。

2012-12-07 13:47:51
波のまにまに☆ @namima2

そういう視点で見ると、子供の側の自発を促したのは「Z」「ZZ」だったりするが、そうした子供たちの必死な生存本能は、ただ大人の思惑に踊らされるだけというのが、物語の構造だった。どこまで遡っても腐ってますね大人ってっていう話だよね、富野ガンダムって。

2012-12-07 13:51:03
波のまにまに☆ @namima2

大人が健全な子供の育成を願い、子供が素直に大人になることにあこがれを持てた時代は、最初のガンダム、イデオンだけだったかなあ。特に「Vガンダム」と「ブレンパワード」は大人の無残さの傾向がひどい。またターンAは大人の役割を担うキャラクターが機能していなかった気がする。

2012-12-07 13:55:14
波のまにまに☆ @namima2

世代としての大人を悪とし、若さを正義とする「ザブングル」や「ダンバイン」は、その意味では富野監督の読み通りに動いてくれた作品な気がするんだけどなあ。やっぱり大人の役割を担えない中途半端な大人と、大人を目指せない子供を対立軸で描かない「キングゲイナー」は世相としてわかりやすい。

2012-12-07 14:01:04
波のまにまに☆ @namima2

「F91」って「逆襲のシャア」に比べるとものすごくシンプルでわかりやすい物語で好き。新しい世代に巡っても地球圏は相変わらず戦争しているし、連邦軍は相変わらず腐りきっている。地球上で独立戦争が起きないのは、地球上に残った人類が衰退して覇気が無いからだってすぐに想像できる。

2012-12-10 09:03:45
波のまにまに☆ @namima2

「F91」ってものすごく最初のガンダムに寄せて作られていて、シリーズ化が見込まれて製作されたんだけど、結局作り直して「Vガン」になるしかなかった作品で、そう見ればVガンの過渡期としての「F91」はとても間口の広い、見やすい作品だと思える。ただし、主人公たちの扱いに難あり。

2012-12-10 09:06:20
波のまにまに☆ @namima2

アムロやカミーユ、ジュドーが親と断絶している主人公であることは、人間の生存本能を刺激する形で物語が編み込まれている理由。ガンダムシリーズを彼らの成長物語と見たときには、こうした親との断絶が大人との対立軸になっていることは重要な点。けれどシーブックには母親の存在が大きくのしかかる。

2012-12-10 09:08:41
波のまにまに☆ @namima2

富野監督は「親として子供に残せること」としてシーブックの妹に「あやとり」として、F91の回路の秘密を授けていたんだけど、その妹をシーブックは大事にすることで母親とは断絶せずにすんだ。しかもラストでは半狂乱の息子をなだめて、ベラ探しを手伝う母親まで出している。

2012-12-10 09:11:38
波のまにまに☆ @namima2

母親がシーブックの成長要因として認められている。これはそれまで父母どちらとも断絶した主人公ばかりを描いていたシリーズとは完全に異なる趣旨がある。男の子がどこか母親に依存している話になっている。一方でヒロインであるベラは、これまたひどい親たちに翻弄されており、親子の断絶が残る。

2012-12-10 09:15:04
波のまにまに☆ @namima2

最終的にベラはシーブックを頼って親からの独立を選び、彼氏とともに親殺しにまで荷担する。嫁入り前の儀式のようだ。だけど相手のシーブックは母親と妹に依存して生きている男。果たしてベラはこんな男で満足できるのか?

2012-12-10 09:18:02
波のまにまに☆ @namima2

と、考えると、「親子」をテーマにして選んだ二人の主人公の選択が、作中でコンフリクトを起こしている。それを見いだせずにすんでいるのは、この物語の帰結としての「結婚」が描かれずに終わっているから。

2012-12-10 09:20:58
波のまにまに☆ @namima2

シーブックの女性への依存と、親子断絶を自ら下してしまい、家族を信じられないベラの帰結として「クロスボーンガンダム」って、よくわかる。そしてある意味で「F91」のリメイク的な「Vガン」において、シーブック→ウッソ、ベラ→カテジナになる過程もわかりやすい。

2012-12-10 09:24:20
波のまにまに☆ @namima2

親子や家族と断絶しているカテジナが、頼ろうとした男たちがみな女性への依存が高い。これではカテジナの想いや願いは満たされない。それなら狂うしかない。カテジナという女性の一番醜い部分を見たはずのウッソが、それでもシャクティと添い遂げている(?)のは、女性への依存の高さゆえ。

2012-12-10 09:29:31
波のまにまに☆ @namima2

「Vガン」だと男性キャラクターの女性への依存は「マリア主義」に顕著に表れているけれど、これがカガチによる傀儡としている辺りも皮肉が効いている。求心力のない政治が、祭り上げた女性性としての「マリア」ゆえに、国として保っているザンスカール帝国がいかに奇形か。

2012-12-10 09:34:00
波のまにまに☆ @namima2

「F91」でもクロスボーン・バンガードがベラ=セシリーを担ぎ出そうとしているのも、ほぼ同じ理由でしょう。またクロスボーン側から連邦に寝返るアンナマリーって女性キャラがいるけど、この人も上司であるザビーネがベラ=セシリーに接近していくのを見限って寝返っている。

2012-12-10 09:36:47
波のまにまに☆ @namima2

だから「F91」には男性性への依存に夢破れた女性たちが出てくるわけで。家族を「男性社会」の末端組織とすれば、女性はみなそうした男性性からの脱却を図っている。その一方で男性は実社会の構成単位である「家族」が女性への依存で成立していることを知っているけど、脱却できないでいる。

2012-12-10 09:40:00
波のまにまに☆ @namima2

「F91」は富野監督が意識的に「家族」や「親子」を語ろうとして、あの時点での「男性社会」に内在する問題をはっきりと認めてしまった作品で、それを再構成した「Vガン」があいった形でこわれていった根本的な原因は、時代に対する行きすぎた問題提起だった側面を感じる・・・ってほどでもないか。

2012-12-10 09:43:48

コメント

コメントがまだありません。感想を最初に伝えてみませんか?