10周年のSPコンテンツ!
4
高橋源一郎 @takagengen
今日の予告編1・今晩24時から「路上演奏」(「午前0時の小説ラジオ」)をやります。間隔が開いているので、新しいフォロワーはご存じないかもしれません。1時間から2時間続く、連投ツイートです。面倒だなと思われたらその間リムーブしても、後でtwilogで読んでいただいてもけっこうです。
高橋源一郎 @takagengen
予告編2・今日のテーマは8月15日にふさわしく「戦争と正義と愛国」にするつもりです。もちろん、どれ一つをとっても大きなテーマであり、それを140字が限度のツイッター上で精密に論じることは不可能ですし、うまくまとめる自信もありません。ただ、それらについて、今日は考えてみたいのです。
高橋源一郎 @takagengen
予告編3・確かに、ツイッターは長い論理を追いかけるのには向いていません。ただ、ぼくは、タイムラインの上にぽつりぽつりと、言葉が現れる瞬間が嫌いではありません。断片は断片で読めばいいと思っています。そして、いつものようにメモだけを傍らに置いてゆっくり考え、キーを押したいと思います。
高橋源一郎 @takagengen
予告編4・叔父たちは、長兄がアッツ島で次兄がフィリピンで戦死(玉砕)しています。父はよくぼくに「祖母ちゃんはいつも、いちばん優秀なふたりが死んで出来の悪いおまえが残った。だから、おまえの兄たちが継ぐはずだったこの家は、おまえじゃなく源一郎に継いでもらうといってたよ」といいました。
高橋源一郎 @takagengen
予告編5・ぼくはその度に「冗談はやめてよ」と言ったものでした。その父もとうに亡くなってしまいましたが、この日になると、その話をよく思い出すのです。それでは、午前0時にお会いしましょう。
高橋源一郎 @takagengen
「午前0時の小説ラジオ」・「戦争と正義と愛国」1・マイケル・サンデルの『これからの「正義」の話をしよう』がベストセラーになった。ぼくも大きな刺激を受けた。サンデルは「正義」と「倫理」は違うと言う。「倫理」が個人に関する問題なら、「正義」はその個人が「社会」と関わる時に発生する。
高橋源一郎 @takagengen
「正義」2・「たがいに負うものは何か?・忠誠のジレンマ」と題された9章で、サンデルは「正義」に関するもっとも本質的な問題の一つについて語っている。それは「歴史的不正に対する公的謝罪」の問題だ。ドイツのユダヤ人ホロコースト、オーストラリアの言就眠アボリジニに対する「謝罪」……。
高橋源一郎 @takagengen
「正義」3・サンデルの母国アメリカの奴隷制に対する「謝罪」、そして日本の前の大戦におけるアジア諸国への残虐行為への「謝罪」。この問題について、サンデルは徹底的に考え抜いた後(明示されてはいないが)「謝罪すべきである」という結論に達する。理由は、それこそが「真の愛国」であるからだ。
高橋源一郎 @takagengen
「正義」4・「自分の国が過去に犯した過ちを償うのは、国への忠誠を表明する一つの方法だ……もしも、自国の物語を現在まで引き継ぎ、それに伴う道徳的重荷を取り除く責任を認める気がないならば、国とその過去に本当の誇りを持つことはできない」とサンデルは言うのである。
高橋源一郎 @takagengen
「正義」5・この論理の当否を問う前に、サンデルと共に、いくつかの前提となる問題を考えたい。「公的謝罪」に関しては、必ず、一つの(きわめて正当に見える)反論が寄せられる。それは、前の世代が犯した不正について現在の世代が謝罪する必要はない、という考えだ。
高橋源一郎 @takagengen
「正義」6・「自分が生まれる前に行われたことについて、どうやって謝れというのだろうか?」と彼らは言う。この主張がきわめて強力であることはサンデルも認める。あるいは、同じテーマを扱った『敗戦後論』という本の中で、著者の加藤典洋は、ある女子学生が語ったこんな言葉を引用している。
高橋源一郎 @takagengen
「正義」7・「こんな議論は全く意味があるとは思えない。なぜいま頃、こんな議論をくどくどしているのだろうか。わたしは戦争のこともよく知らないし、アジアに謝罪しろと言われても、戦没者に哀悼の意を捧げよと言われてもできるわけがない。こんなテーマで本を書くことはもはや無意味である」
高橋源一郎 @takagengen
「正義」8・そして加藤もこの女子学生の言葉が「正しい」ことを認めるのである。しかし、「正しさ」と「正義」は違うのではないだろうか(だから、サンデルも加藤も「正しさ」に背いて「正義」を目指すことになる)。そのことを、サンデル(や加藤)の言葉を参考にしながら、ぼくも考えていきたい。
高橋源一郎 @takagengen
「正義」9・「謝罪」反対派の意見が強力に(同時に魅力的に)思えるのは、彼らの意見を支えている論理を、ぼくたちも認めているからだ。それを、サンデルは「道徳的個人主義」と呼んでいる。それは、一言でいうなら「私の責任は私が引き受けたものに限られる」という考えである。
高橋源一郎 @takagengen
「正義」10・彼らにとって「自由であるとは、みずからの意思で背負った責務のみを引き受けることである。他人に対して義務があるとすれば、何らかの同意…暗黙裡であれ公然とであれ、自分がなした選択、約束、協定…に基づく義務である」。これは、まったく反論の余地のない考え方に見えるだろう。
高橋源一郎 @takagengen
「正義」11・この強力で魅力的な「道徳的個人主義」に問題点があるとしたら、どこだろう。ぼくは、これが本質的に「強者」の論理であるからではないかと思っている。一つ例をあげよう。少し前、上野千鶴子の『おひとりさまの老後』という本がベストセラーになった。
高橋源一郎 @takagengen
「正義」12・これは、どうやって老後を暮らし、誰の頼りにもならずひとりで死んでゆけるかを書いた本だ。その佇まいは強く、凛としている。だが、内田樹は、この本を貫いているのは「強者の論理」ではないかと指摘した。「おひとりさまの老後」を満喫できるのは、経済的余裕のある一部の人間だけだ。
高橋源一郎 @takagengen
「正義」13・この「強者の論理」に、そこから漏れ落ちる「弱者」が入る余地はほとんどないのである。「家族なんか嫌いだ」というむき出しの本音を吐けるのは、「家族」なしでもやっている者だけなのだ。
高橋源一郎 @takagengen
「正義」14・ぼくはサンデルの言う「道徳的個人主義」は、究極のところ、「個人主義」ではなく「孤人主義」に行き着くしかないと考えている。「自己責任」という言葉も、グローバリズムという名の世界標準も、その背後に、「孤人主義」への傾倒を隠し持っている。
高橋源一郎 @takagengen
「正義」15・それは、資本主義と「等価交換」が基準であるような世界の思想だ。それは、自由で強い。だが、ぼくには、いささか寂しい思想であるように思えるのだ。いまや、ぼくたちは、家庭の中でさえも「孤人」と「孤人」として向かい合おうとしているのである。
高橋源一郎 @takagengen
「正義」16・サンデルは、人は「道徳的個人主義」が考える個人(自らの意思で選択した責務にだけ従う)ではなく、なんらかの共同体に所属し(その共同体の、同意によらない「責務」を負って)生きるべきではないか、と言う。理由は、それこそが「生きるに値する」「豊かな」生を与えてくれるからだ。
高橋源一郎 @takagengen
「正義」17・最小限の共同体、それは「家族」だ。そして「家族」の原理は「等価交換」や「契約」ではなく「純粋贈与」だとぼくは考える。親は子どもに将来養ってもらいたいから育てるのではない。自分が親から純粋に「贈与」を受けたように、自分もまた子どもに「贈与」するだけだ。
高橋源一郎 @takagengen
「正義」18・既に書いたことだが、個人的経験を再度書く。次男は去年の正月、急性脳炎で緊急入院し、その場で医師から「生命の危機」と「回復した場合でも重篤な障害が残る可能性が高い」と宣告された。その後の数日間、ぼく(と妻)が感じたのは「暴風のような愛情」と「強烈で圧倒的な責務」だった
高橋源一郎 @takagengen
「正義」19・その極めて困難な「責務」が目の前に迫った時、感じたのは、不思議なことに絶望とそれをも凌ぐ目も眩むような幸福感だった。奇跡的に次男は回復する(いまでも障害は残っているが)。実際に過重な責務を負わされた時、どんな風に思い続けられたのかはわからない。
高橋源一郎 @takagengen
「正義」20・まだ同じような過重な「責務」を負う人々が、ぼくと同じように感じていると断言もしない。だが、ぼくには、サンデルの言う、共同体の課す「責務」は、単なる「負荷」、重たい荷物ではないのだ、ということの意味がわかる気がするのである。
残りを読む(18)

コメント

Noriko Osumi @sendaitribune 2010年8月20日
考えることが大事〈魚群のように人々が振る舞うのは「戦争」の時だけではないことを、ぼくたちは知っている。それに抗するのにも、「考える」しかないのである。「正義」とは、この社会にあって、「考え続ける」ことなのかもしれない。〉
ログインして広告を非表示にする
ログインして広告を非表示にする