こがばあ様81歳ツイート「戦争体験を語る~どうか再びこの道に迷い込まないで」

選挙目前にして、自らの戦争体験を若い世代に伝えたい渾身の連ツイ。
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こがばあ @kosato80

【話す】①本当に飢えたことがありますか?戦争は色々な苦しみを連れ込む。命の奪い合いは当たり前でそれは別に書く。別の体験から先に。1945年14歳、栄養失調で歩けなくなりよく転ぶ、擦りむいた所はすぐに化膿、ハエがたかりウジが傷口をなめる痛さ。追い払う気力無し。生理は勿論止まっていた

2012-12-13 13:14:48
こがばあ @kosato80

【話す】②疎開先で住まわせて貰っていたのは蚕室。蚕棚の横で母と3人の妹達と私は蚕が夜中桑の葉を食べ続ける音を聞きながら眠る。蚕が羨ましかった、食べる物があって。映像で見る北朝鮮の子ども達の飢えて無気力な表情は他人事ではないんです。東京の家は空襲で焼けたので戦後はバラック住まい。

2012-12-13 13:32:40
こがばあ @kosato80

【話す】③戦争が奪ったものの一つに「文化」がある。敵国の文化は勿論排斥、自国の文化も華美・軟弱・贅沢等の名目で封印される。音楽・絵画・文学・舞台芸術・映画等々すべて。意を曲げない芸術家は国賊・非国民、投獄された人達も多い。私達女学生は特攻隊を称えた小説位しか読書を認められなかった

2012-12-13 21:25:22
こがばあ @kosato80

【話す】④私は友達に借りた石坂洋次郎の小説を返そうと学校に持っていったのをみつかり職員室に呼ばれた。兵隊さん達が命懸けで戦っているのに軟弱な小説を読むなど恥ずかしくないかと。私は生意気だったのでそれとこれとは違うみたいな口答えをして一層激しく叱られた。映画教室で観たのは「海軍」。

2012-12-13 21:33:32
こがばあ @kosato80

【話す】⑤音楽の時間でも友達とでも歌うのは軍歌やお山の杉の子。幸いドイツは友好国だったのでレコードでクラシックを聴きまくった。疎開して少しの間は英語の授業の時先生がドイツ語で「野ばら」「歓喜の歌」を歌って下さったがすぐ教練の時間に。藁人形を敵兵に見立て突進して槍で突き刺す練習。

2012-12-13 21:46:22
こがばあ @kosato80

【話す】⑥それでも登校していられるうちはまだましで、女学校2年生にも勤労動員が。兵器工場か農家の手伝いか選択できたので私は農家に行き稲刈りや脱穀の手伝いをした。働き盛りの男性が召集されて人手が無いのだ。次は全員が泊り込みで荒地の開墾作業。夜明けから日没まで大きな石ころを掘出す作業

2012-12-13 21:53:50
こがばあ @kosato80

【話す】⑦食事は3食ともおにぎり1個ずつ。おかずなんて見たことなし、おにぎりが大変な贅沢だった。宿舎は板敷きにごろ寝。ノミとシラミ(髪と体と種類が違いその両方)と南京虫が全員にうつった。これは衣類を全部煮沸しないと死なない。2泊3日ずつの交代作業なので帰宅すると身ぐるみ剥がされる

2012-12-13 22:02:03
こがばあ @kosato80

【話す】⑧だがその学校生活?すら連日の空襲で困難に。これは前に書いた蚕室のある県に再疎開する前の熊本でのこと。昼夜を問わず空襲警報が鳴り響きその度に防空壕に駆け込む。寝るときもモンペの上下を着たまま、運動靴だったか?と防空頭巾救急袋を枕元に。ある晩近くの高校が爆撃を受けた。

2012-12-13 22:11:14
こがばあ @kosato80

【話す】⑨窓から吹き出す凄まじい炎に、防空壕にいては蒸し焼きにされると、母や妹達と安全そうな場所を探して逃げ回った。横穴のある小さい傾斜地がありそこで夜明けを待ち家に帰った。家族全員無事なのが奇跡だったと思う、帰る道の両側にはござをかぶせた遺体があちこちにあったのだ。再疎開を決心

2012-12-13 22:20:49
こがばあ @kosato80

【話す】⑩細かいことは数限りなくあるが私が言いたいのは戦争で沢山の命の代償に得られる物など知れているということ。戦後の目覚しい復興と荒廃した人心を救ったのは人々の経済発展に向けての努力もさることながら世界中の文化に触れて人々が生きる意味と本当の力を得たからではないだろうか。

2012-12-13 22:51:16
こがばあ @kosato80

【話す】⑪1945年8月15日、その日の前には8月6日があり、8月9日がある。その悲惨な状況すら離れた地域の人達には他人事になりつつある。失われたものの大きさを考えてほしい。私自身前に書いたように栄養失調に心身の健康を蝕まれたが終戦の日に陥った喪失感と虚しさは未だに癒えていない。

2012-12-13 23:01:27
こがばあ @kosato80

【話す】⑫空襲の悪夢にはもううなされないがサイレンを聞くと動悸がする。叔父達と大叔父と従兄弟、夫の兄と、五人が戦死してしまった。義兄以外は小さい時よく遊んでもらった心優しい人達ばかり。戦争はそういう優しい人だろと誰であろうと奪い去る。私のその叔父達も母親を姉妹を家族を残して逝った

2012-12-13 23:19:30
こがばあ @kosato80

【話す】⑬一応このたびはこれで一区切りとさせてください。思い出話なんかじゃないんです。話しているうちに亡くなった人達を思い出して辛くなってきました。勲章が何になりますか。こんな思いをする人達をつくらないでください。今はそれだけです。お読みくださってありがとうございました。

2012-12-13 23:30:13
こがばあ @kosato80

@hiromi19610226 中途半端で終ったような気がしますが辛くなったので中断しますね。またじっくり書けるときがあるかと思います。背中を押して下さってありがとうございました。どうか再びこの道に迷い込まないでと叫びたいです。

2012-12-13 23:35:45