山本七平botまとめ/【鉄格子と自動小銃①】/「事実」と「判断」を峻別しなければ、生き残れない”社会的通念”が存在しない戦場

山本七平著『ある異常体験者の偏見』/鉄格子と自動小銃/175頁以降より抜粋引用。
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山本七平bot @yamamoto7hei

1】言うまでもない事だが、客観的な事実とそれに対する各人の判断は全く別である。 「事実とは何か」「それは私の判断である」といいうるのは厳密にいえば幼児だけ、両者を混同し易いのは大体高校生迄で、少なくとも一人前の人間は両者は別だという事を知っている筈である<『ある異常体験者の偏見』

2012-12-13 09:28:04
山本七平bot @yamamoto7hei

2】従って「アパリの地獄船」といっても、これは船倉に入れられ、飢え、食物を支給されなかったという非常に特異な状態におかれた人間の判断であって、客観的な事実はまた別であろう。

2012-12-13 09:57:43
山本七平bot @yamamoto7hei

3】だが人間は異常な肉体的・精神的状態で異常な場所におかれ、外部との撻絡を遮断されてしまうと、単に判断が狂うだけでなく、「判断」と「事実」とは別だということすらわからなくなるのである。

2012-12-13 10:28:04
山本七平bot @yamamoto7hei

4】これは当時のわれわれにも「南京大虐殺」の「まぼろし」の中の実在事件、山田旅団における中国人捕虜の暴動にも見られることだが、こういう場合恐ろしいことは、ある一人間の判断が、一つの客観的な事実のようにみなに受けとられ、みなそれを事実と信じ込んで、(続

2012-12-13 10:57:43
山本七平bot @yamamoto7hei

5】続>その結果、その「架空の事実」に対抗するため、何かのきっかけで、爆発的な、そして現実的には全く無意味な行動へと人びとがかり立てられることであろう。

2012-12-13 11:28:01
山本七平bot @yamamoto7hei

6】一人間の判断が、一見疑う余地ない客観的な事実に転化してしまうという非常に興味深い例は、最近のミンダナオの「幻の日本兵」によく現われている。 三木漱三さんがビラアン族のタオさんを実弟の慮二さんだと判断したのは、勿論そう判断すべき根拠があったからであろう。

2012-12-13 11:57:41
山本七平bot @yamamoto7hei

7】そして朝日新聞の記者がこの漱三さんの判断を自己の判断とし、その自己の判断を事実にしてしまった。 ついでこの「朝日」の「判断=事実」をほぼ全新聞が自己の「判断=事実」とし、それを読んだ全日本人にとってタオさん=慮二さんはほぼ動かすべからざる事実になってしまった。

2012-12-13 12:28:01
山本七平bot @yamamoto7hei

8】…従って、ある一時期、全日本人にとって、彼は「慮二さん」であった。だがどれだけ多くの人がどう判別しようと、彼が「タオさん」であるという事実は、初めから終りまでもちろん何の変化もない。 「事実」は判断とは関係ないから、判断によっては左右されない。

2012-12-13 12:57:42
山本七平bot @yamamoto7hei

9】そしてここに今まで何回ものべてきた問題があるわけである。 軍人的断言法で判断を規制され、単一の判断しか許されないと、「タオさんを慮二さんと見よ」という絶対的命令を下されたに等しい状態になってしまうわけである。

2012-12-13 13:28:05
山本七平bot @yamamoto7hei

10】…こういうことは確か学生時代に、哲学の時間に「認識論」とか「判断論」とかいう講義で、私も、教えられたはずである。 しかし大体、私のような怠け学生には…何一つわかってはいなかった。

2012-12-13 13:57:42
山本七平bot @yamamoto7hei

11】そして戦場で、「なるほど『事実』と『判断』とは無関係だ」と悟らぎるを得なくなって、今度はまた「哲学などというものは、明けても暮れても異民族と戦争をしていた民族が生み出したのではないか」という妙な妄想にとりつかれるようになった。

2012-12-13 14:28:02
山本七平bot @yamamoto7hei

12】そしてこの点でも「日本語では戦争はできない」とつくづく感じたわけである。 簡単にいえば、われわれは「社会的通念」というものを信じていれば、それで生きていける社会にいるわけである。 従って「世の中なぞ絶対に信じない」という人は本当には存在しないわけである。

2012-12-13 14:57:42
山本七平bot @yamamoto7hei

13】なぜなら、そういう言葉を口にする人は、その言葉が相手に通ずることを、絶対に疑っていないし、この言葉には、みなが信じている「世の中」すなわち社会的通念が確固として存在していることを前提にしているからである。

2012-12-13 15:27:57
山本七平bot @yamamoto7hei

14】ところが「戦場という『世の中には何一つこういうものはない…ジャングルにこもった小集団等には基準とすべき通念などは全くなくなっている。…戦場では「社会的通念」がないから通常の社会で使われている言葉が使えなくなってしまうのである。世の中が信じられないとは本当はこういう事であろう

2012-12-13 15:57:40
山本七平bot @yamamoto7hei

15】簡単にいうと、我々は「女の人が来た」という。これに対して「いやその言葉は正しくない。君が見たのは一つの形象であり『女の人』というのは君の判断にすぎない。相手は女装した男性かも知れぬ。…従ってそういう不正確な言葉は使うべきでない」などといえば全く閑人の無意味な屁理屈である。

2012-12-13 16:28:04
山本七平bot @yamamoto7hei

16】しかし戦場では否応なしに、そういう言い方にならぎるを得ないので、ここに本当に「世の中が信じられない」状態の言葉が発生するのである。 先日Aさんが遊びに来た。彼は時々戦争映画を見たり、戦争小説を読んだりして憤慨する。

2012-12-13 16:57:42
山本七平bot @yamamoto7hei

17】…何でも彼が見た映画(だったと思う)では「敵が来た」と報告する場面があったのだそうである。 「バカにしてやがる、そんな報告するわけネージャネーカ」といつものように彼は憤慨した。 確かにその通りで、こういう場合は「敵影らしきもの発見、当地へ向けて進撃中の模様」という。

2012-12-13 17:27:58
山本七平bot @yamamoto7hei

18】確かに彼が見たのは一つの形象であり、彼はその形象を一応「敵影」らしいと判断し、こちらへ来ると推定したにすぎないわけである。 そして対象はこの判断とは関係がないから、味方かも知れないし、別方向へ行くのかも知れない。

2012-12-13 17:57:41
山本七平bot @yamamoto7hei

19】しかし、だからといって一般の社会で、「女の人が来た」といわずに「女影らしきもの発見、当方へむけて歩行中と判断さる」などといえば、それは、逆に頭がおかしいと判断されることになろう。

2012-12-13 18:27:57
山本七平bot @yamamoto7hei

20】そしてそのことは逆に「事実」と「判断」とを峻別しなければ生きて行けない世界とはどんな世界なのか、さらに現実にその世界に生きるとは、一体どういう状態なのかが、今の人には全く理解できなくなったことを示しているといえよう。

2012-12-13 18:57:45
山本七平bot @yamamoto7hei

21】しかし少なくとも外国で何かを判断する場合、また外国を判断する場合は、この心構えが必要であろう。

2012-12-13 19:27:59