山本七平botまとめ/【鉄格子と自動小銃④】/「飢え」と「恐怖」という異常な環境で、あいまいになる「事実」と「判断」

山本七平著『ある異常体験者の偏見』/鉄格子と自動小銃/189頁以降より抜粋引用。
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山本七平bot @yamamoto7hei

1】今なお夢に見る恐怖というのが…あるが、その一つに真暗な何かの底のような処から、鉄パイプの垂直の梯子を昇って行くのだが、このパイプがツルツルに滑って今にも奈落の底に落ちそうになる夢がある。 これがこの船倉の夢である。食物はなかったが水だけは与えられた。<『ある異常体験者の偏見』

2012-12-15 00:57:40
山本七平bot @yamamoto7hei

2】といっても船倉をあがったところに…ドラム缶があり…水が入っていて、縁にキャンセン・カップが一つぶら下げてあるだけである。喉のかわいた者は、鉄パイプの梯子をのぼって甲板に出、カップで水をすくって飲む。

2012-12-15 01:27:56
山本七平bot @yamamoto7hei

3】ところが前述のように「下だし型」がいて、絶えず肛門から粘液をたらすので、この梯子の鉄パイプがツルツルで、足をつけるとツルリと向い側に足が出そうになり、あわてて足をひくとツルリとこちら側に足がはずれそうになる。

2012-12-15 01:57:40
山本七平bot @yamamoto7hei

4】ところが立ちあがっただけで目まいがして…おぼつかない足取りで歩いているのだから、足がはずれたら到底手だけでぶら下がっている力はない。落ちれば下は船倉の鉄板である。船自体もゆれているから、余計にふらふらする。

2012-12-15 02:27:46
山本七平bot @yamamoto7hei

5】今もしこの鉄梯子を見たら、どうしてこれくらいの梯子をのぼるのがあんなに恐怖だったか自分でも不思議であろうが、栄養失調で脚気のような症状を起し、元来足があがらないのだから、一足一足がまるで鉛の棒でも持ちあげるような感じである。…やっと甲板に出る。時間は全くわからない。

2012-12-15 02:57:40
山本七平bot @yamamoto7hei

6】…少し離れたドラム缶に目をやった。何度目にあがったときか憶えていない。 私はドラム缶の少し先に、一人の米兵が、自動小銃をもって立っているのを見た。はじめは確かにいなかった。そしてそのときは、水を飲みに上がるのに別に制限はなかったように思う。

2012-12-15 03:27:50
山本七平bot @yamamoto7hei

7】しかし何か不穏な気配を感じたのであろう。やがて十人以上はあがってはならんということになり、ついで、少し離れたところに自動小銃をもった兵隊が立つようになったわけだと思う。 食糧を支給しないということが、逆に、彼らに警戒態勢をとらせたのであろう。

2012-12-15 03:57:39
山本七平bot @yamamoto7hei

8】妙なもので、この自動小銃を見た瞬間、体が少しシャンとした。私はドラム缶の縁に手をかけ、ジッと米兵を見た。眼球が自由に動かなくなっているから映像がダブッて見える。…私がいつまでも水を飲まないので、米兵が何か怒鳴っている。早く飲んで早く船倉にもどれと言っているのであろう。

2012-12-15 04:27:50
山本七平bot @yamamoto7hei

9】私は水を飲んだ、しかしなぜか飲みながらも自動小銃から目が離せない。カップを口にもって行きながら横目で相手を見つづけていた。船倉に戻る。 自動小銃が頭から離れない。 他の事は全く念頭になく、考える力は全くなくなっているのに、ただこの自動小銃だけがぽっかりと脳裏に浮び、消えない。

2012-12-15 04:57:41
山本七平bot @yamamoto7hei

10】もちろん何かの明確な計画があるわけではない。あの自動小銃を奪って船を乗っ取ってやろうというわけでもない。ただ自動小銃が頭から離れないのである。 こういう場合は、たとえそれが自動小銃でも、実際には、溺れるものがつかむ藁と同じであろう。 その「実質」は関係ない。

2012-12-15 05:27:52
山本七平bot @yamamoto7hei

11】もちろん客観事態の変化を企図しているのでもない。 おそらく、自らが陥っている恐怖から心理的に脱却するための対象、いわば「ワラ」にすぎないであろう。 そしてそれさえつかめば、今の状態から脱出できるような気がしてくる。

2012-12-15 05:57:39
山本七平bot @yamamoto7hei

12】いわば武器をもっていないと「平和・平静」でいられない、という状態が、自分が平和でいられるために武器を手にしたがっている、といった状態であろう。 確かに、確かに武器を手にすればその瞬間は、今の心理状態からは脱出できるであろう。

2012-12-15 06:27:46
山本七平bot @yamamoto7hei

13】しかしそのことは、いま置かれている客観的な状態から脱出できるということではない。 しかし、人間は、否少なくとも私は、精神的・肉体的に異常な状態にあって、しかも異常な場所におかれると、この二つの差がわからなくなるのである。

2012-12-15 06:57:43
山本七平bot @yamamoto7hei

14】「わからなくなる」といっても勿論、幼児のような形でわからなくなるわけではない。 この心理的脱却が、本当に現状からの脱出であるかの如く、両者を結びつけるため、詳細な計画を立てはじめるわけである。

2012-12-15 07:27:52
山本七平bot @yamamoto7hei

15】もちろんその計画は、どんなに細かく立てていようと、すべて妄想であって、赤軍派の革命計画や長沼判決と似たようなものであろう。

2012-12-15 07:57:41
山本七平bot @yamamoto7hei

16】そしてこういった計画はすべて、自分の行うことが心理的脱却でないと自分に証明しようとしているだけだから、それが、どういう判断に基づいてなされようと、自分がそこに置かれている「諸事実」に何の変更ももたらさないのである。

2012-12-15 08:28:05
山本七平bot @yamamoto7hei

17】だがこの「判断」と「事実」は別だということすら、徐々にあやふやになっていく。 そして私は、また水を飲みに甲板に出ていく。何か計画を実行に移すため偵察に行くような気になってくる。米兵も疲れてくるだろう、また真面目にやるのも、いわば不真面目なのもいる。

2012-12-15 08:57:41
山本七平bot @yamamoto7hei

18】…カップに口をつけ、水を飲んでいる様子をしながら、わざとそちらに近づく。二歩、三歩、米兵は気にもとめない。隙がある。さらに近づく。彼はふいにこちらを見る。知らんぷりをして背を向けて水を飲む。

2012-12-15 09:28:00
山本七平bot @yamamoto7hei

19】しかし全神経は背後に集中していて、相手の挙動がわかるような気がする。不意に振りむいてとびかかったらどうなる……。米兵が何か怒鳴る。わざと悠々とカップを縁にかけ、冷汗をたらしながらまた鉄パイプの梯子を下りる。 妄想はますます広がる。

2012-12-15 09:57:42
山本七平bot @yamamoto7hei

20】もう少し行動半径を広げてやろう。そしてそれに相手が異常を感じない状態になったら、さらに近づいてやろう。 頭の中はそれだけで、あとは何も考えていない。船は相変らず、どこへ向けて走っているのかわからない。 しかし、そんなことはもうどうでもよい。

2012-12-15 10:28:02
山本七平bot @yamamoto7hei

21】そして奇妙なことに、ここまで来ると、当然のことのように、自分で、決行の時期をきめ、それから逆算して、自分の行動を規定しはじめる。

2012-12-15 10:57:44
山本七平bot @yamamoto7hei

22】こういう「事件」は、ひとたびそれが本当に起ってしまったら、後になってどんなに探究しても、その真の原因はわからないであろう。 というのは原因は探索できる外部にあるのではなく、多くはその場にいた一人間の心理にあるからである。 そしてたいていその本人は死ぬ。

2012-12-15 11:27:59
山本七平bot @yamamoto7hei

23】たとえ死なないでも、自分の心理的脱却が引き起した客観的事態にショックを受けて何も言えなくなるし、時には、後で別の客観的状態を再構成し、それによって自己を正当化してしまうからである。

2012-12-15 11:57:42
山本七平bot @yamamoto7hei

24】そしてこれに対して第三者が何らかの「判断」を下し、それを「事実」にしてしまったところで、それは「幻の日本兵」以上に、事実とは何の関係もないのである。

2012-12-15 12:28:03
山本七平bot @yamamoto7hei

25】更にその「判断=事実」に対して「憤慨に耐えない」とか「怒りを感ずる」とかいう言葉を…加えて行っても、これは単にそれを記述する者が「オレは正しい人間だ」「オレは正義の人だ」「オレは立派な人間だ」と自己宣伝しているにすぎず、それは、却って何もかもわからなくしてしまう訳である。

2012-12-15 12:57:43